空を見上げて

小学校卒業間近の僕たちに、先生が粋な提案をしてくれました。ちょうど当時地球に接近していたハレー彗星が最も見えやすいといわれる数日後の夜に、みんなで観察に行こうというものでした。


六時には家に帰らないといけなかった当時の僕たちにとって、逆に六時から出掛けて友達と夜一緒に過ごすというのは修学旅行や友達の家へのお泊りに似た魅力がありましたし、野外でというのがまた何ともいえない興味を引く趣向でした。みんな大喜びでした。


まあ、児童を夜先生が連れ出すのはいささか問題があったようで、先生は何度も、


「いいか。みんなはそれぞれ星の観察に来たら先生に偶然会ったということだからね。」


と、保身のための念押しをしてはいましたが、この際そんなことはどうでもいいことでした。素敵で大胆な企画をしてくれるこの先生のクラスに五年、六年といることができて本当によかったと思いました。


また、理科の授業で天体について初めて習い、星空に夢と興味を抱きはじめるちょうどその頃に、七十六年に一度のハレー彗星が来てくれているということに幸せと喜びを感じました。


早速家に帰って親にお出掛けの許しをもらいました。 当日はめったにないほどの天気に恵まれた日でした。帰りの会のときに先生が、


「よし、今夜は行くことに決定!」


と元気よく言いました。教室は誰からとない歓迎の拍手で満たされました。風邪を引かないように厚着をすることと、家が同じ方向の人たち同士でなるべく一緒に行動すること等の諸注意を受けたあと、ひとまず下校となりました。下校途中もやはりみんな夜が楽しみで落ち着いていられないらしく、そわそわしていました。その日ばかりは日が暮れるのが待ち遠しくてたまりませんでした。 観察の場所は学校近くの山のてっぺんにある広い大きなグラウンドでした。僕はゆうちゃんとくーちゃんとみねたんと待ち合わせて行きました。


薄暗い中をはしゃいでいろいろおしゃべりしながら歩くうちに、グラウンドにつきました。すでに来ている人たちもかなりいました。広いグラウンドの真中あたりに行くと、周辺の家々の明かりに邪魔されず満天の星空が綺麗に見えました。まだハレー彗星は見えませんでした。まずは冬の星座を観察しながらハレー彗星が見えるのをみんなで待ちました。


どのくらいたったでしょうか。急に先生が


「出た!出た!おーいみんな、見える、見えるぞ!」


と叫びました。みんな先生が指差す方向を一生懸命見ました。僕も探したのですが、なかなか見つけきれませんでした。見つけた人は指を差しながら大騒ぎを始めました。ついには近くにいたくーちゃんも、


「見えてる、見えてる!」


と、大興奮で空を指差して叫んでいました。僕も焦ってその方向を見上げました。まだ見つかりません。そのとき、向かって右から左へ、白い光がすーっと瞬きながら空を横切るのが見え、やがて見えなくなりました。見えた。これだ。僕も大興奮でした。みんな感動でしばらくずっと空を見上げていました。


「すごかったねー。」

「うん、すごかったね、くーちゃん。やっぱりハレー彗星って速かったね。」

「え?そうだったっけ。けっこうゆっくりだったでしょ。」

「あ、そう?でもこっちからあっちへすーって・・・」 「え?そう?あそこらへんをゆっくりあっちのほうに向かってたでしょ。」 「ん?そう?でさ、ちかちか点いたり消えたりしてたよね。」

「え?してないよ。青いのがずっと光ってたよ。そがん見え方やったと?」


青い光といわれた瞬間、白い光を見た僕は、ひょっとしてハレー彗星ではなくて別の流れ星か夜間の飛行機を見たのではないかと焦りました。そして、心の中で分析の結果そうに違いないという結論に達しました。しかし、偽物を見て大興奮していたと思われるのが嫌で反射的に、


「う、うん。僕のところからはハレー彗星、そんなふうに見えたよ。」


と答えてしまいました。天体における地球と星の距離に比べて、グラウンドで小学生同士が離れていた距離など何の意味ももたないのに、明らかな強がりでした。しかしくーちゃんはその強がりに何の疑問も持たず、

「へー、そうかー。」

と、納得してしまいました。もはや絶対に後に引けなくなりました。 今、正直に僕は見逃しましたと言えば先生はみんなを呼び止めてもうちょっと僕のために頑張って観察を延ばしてくれるかもと思いましたが、もう後にも引けず、そんなこと言えませんでした。先生はみんなにくれぐれも気をつけて帰るようにと注意して、みんなを解散させて、自分も車に乗って帰ってしまいました。 それ以来毎晩、見えないかなと、何度も夜空を見ましたが、一番よく見える日にちょこっとしか見えないものを一人で見つけることはやっぱりできませんでした。そうこうしているうちにハレー彗星は向きを変えて次の七十六年後に向けて再び旅立ってしまったようです。たった一瞬の強がりは、星の周期だけ強がり続けないといけないという代償をもたらしてしまいました。


かれこれそんなことから早くも二十年近く経ちました。あと、たった五十八年待てば今度こそ見ることができて、やっとくーちゃんやゆーちゃんやみねたんと話を合わせられるな、と思っています。

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