信じる心

自分で言うのもなんですが、僕は人を信じるタイプです。人を信じずに傷つけるぐらいなら信じて傷つく方がいいという姿勢の持ち主です。


独身寮は湯舟こそあるものの、中途半端に大きいため、そこにわざわざお湯を張って入るような時間のかかることはせずに、シャワーで体を洗う程度でいつもすませています。ただその代わり、週末には努めて温泉なんかに入りに行くようにしています。週に一回の貴重な機会ですし、もともとが風呂好きなので付き合ってくれる人がいなくても一人で行きます。


なんて話を先輩に話していたら、すでにそのとき佐世保在住三年のその人が、


「それならのうちの近くににお風呂屋さんがあるよ。市内で近くていいんじゃない?行ってみたら?」


と言うもので、その週はそこに行ってみることにしました。 朝十時頃、そこは下町風情のある一帯で、そこの一角に風呂屋を見つけました。


中に入ってみると、ちょっと古めの内装にど演歌が流れていて、これまた下町風情溢れていました。入浴券の自動販売機に、『お風呂でエステが流行りです。塩サウナはプラス二〇〇円』と書いてあり、なんだかプラス二百円でそんな体験ができるのかと思い、思わず塩サウナ込みの入浴券を買って番台に出すと、そこで塩の入った袋が渡されました。サウナに入ってそこで体に塩をつけるということみたいでした。


まだ誰も入っていませんでした。一番風呂にちょっと得した気分になって体を軽く流して早速塩サウナに入りました。塩を体におそるおそるつけてみるとまあ特にすぐ効果は現れないみたいでしたが、なんだかよく分からないけどきっとお肌にいいんだろうと思いました。


「お早うございます。」


僕に続いて、四十ぐらいの男性が挨拶しながらサウナに入ってきました。


「お早うございます。」


気軽に挨拶するところが下町情緒だなと思いながら挨拶を返しました。


「見ない顔ですね。ここ初めてですか?」

「はい、そうです。」

「はぁー、そうですか。ところですみません、背中に塩を擦り込んでもらっていいですかね?」

「あ、はい、いいですけど。」


内心汗をかいた男の体を触りたくはなく、まいったなと思いましたが、ここは下町のふれあい、イヤだなんて言ったら佐世保に住み始めた人間として失格だと自分に言い聞かせて引き受けました。


おそるおそる塩を少し手にとって背中にゆっくりつけたら、


「もっと力入れて!」


などと言われ、すこしずつ相手の様子をうかがいながら力を入れていきました。こんなはっきりとものを言うことも下町気質なんだなと思いました。


「もっと塩たっぷりをガリガリ擦り込まにゃあ。」


とか言われ、仕方なく一生懸命力を入れて体をこすりました。体を触っている手も気持ち悪かったのですが、相手が動くもので汗が飛び散って自分のところに飛んできて、それもかなり気持ち悪かったです。


「いいよこんぐらいで。ありがとう。」


と言われたので、やっと終わった、よかったよかった、相手を傷つけないようにさりげなくサウナを抜けてとりあえず手と体を洗おうと思っていたのですが、


「じゃ、今度は私があなたに塩擦り込みますけん。」

なんて言われ、いよいよ参ったなと思いましたが、これも下町のふれあいと思い、仕方なく好意を受けることにしました。


「ここ初めてって言ってたけど、塩サウナも初めてみたいね。」

「はい、そうです。」

「ここのこと、どこで知ったの?」

「職場の先輩にきいてです。」

「奥さんはいるの?」

「いや、いません。独身です。」

などという会話をしながら、背中に塩をガリガリ擦り込まれました。なるほど、この人は僕にこのぐらいの力でやってほしかったのか、それにしてもちょっと痛いなと思いました。 そうこうしているうちに、その人の手が僕の脇腹までこすってきたので、


「あ、いや、手届くところはいいですよ。自分でできますから。」

と言って遠慮すると、

「いやいや、初めてって言いよったろ?慣れてないとこういうところに気づかんで擦り込み忘るっとさ。よかよかしてやっけん。」


余計なことなのになと思いながら、下町気質いっぱいの好意を受けることにしました。しかし、お腹までならまだしも、手を挙げさせてわきだとか、腕や太ももなんかもしてくれて、ちょっと親切にもほどがあるなと思いました。さらにどんどんエスカレートして、無心にお尻や、両手を後から回してきて胸とか、内ももにまで塩を擦り込んできました。ちょっとこのおじさんはいわゆるアレなのかなと思いましたが、でも純粋な下町情緒だったら大変だ、疑ったようなことを相手に言うと好意を仇で返してしまうことになると思い一生懸命耐えました。何とも言えない雰囲気でもはやそこに会話はありませんでした。


内ももを触っていた手が突然横滑りして、どう考えてもそこを触れば僕と異なる趣味であることが確定するところを握った瞬間、明らかに今までの行為(好意)は下町気質ではない、これは大変なことになったと思いました。どうにかしてこの場を離れないとまずいと思いました。しかし、そんな状況になってまで、相手のことを気遣い、さりげなく離れなければと考えてしまっていました。


そこに同じく四十ぐらいの男が入ってきました。助かった、さすがに人前で露骨な行為はしなくなるだろうと思いました。しかし、


「おやおや、遅かったねー。待ってたよ。」


その言葉を聞いたときさらにもうダメだと思いました。そこに入ってきたのはこれまた同じく僕と異なる趣味の仲間でした。そしてその瞬間、さりげなくどこでこのお風呂屋を知ったのか、奥さんがいるかなんて訊いてきたりした理由も含めて全てが分かりました。そのお風呂屋のその時間はそういう趣味の人たちの時間なんだと。僕の趣味とは違う。今ここでは、僕こそが、部外者。もうやばいと思い、

「すみません、塩サウナ初めてなんで、僕はもうのぼせそうです。」

と言って素早くサウナを出ました。そして、とりあえずは洗い場で触られたあとを一生懸命洗い流しました。こんな状況でも相手を気遣った理由を言ってサウナを出る僕はなんなんだと思いました。


そんな相手を気遣った理由を言ったがばっかりにおじさん二人はまだあきらめていなくて、体を流している間、サウナのガラスの向こうから、僕が戻ってくるのを待ってこっちをずっとみているのが鏡越しに分かりました。気持ちは悪かったけどもう体を洗うのを切り上げて浴室を出ました。体を拭くのもそぞろに、服を着てすぐ出発しました。


独身寮でもう一回念入りに体を洗いました。おじさんに結構力を入れて触られていた感触をかき消すためにさらに力を入れて洗わないといけないので、こすりすぎて体が真っ赤になりました。それでもその日からしばらく感触が気持ち悪かったのが忘れられず、食欲もなく眠れない日が続きました。


それ以来、そのお風呂屋には行ってません

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