『時間旅行者のキャンディボックス』  ケイト・マスカレナス  茂木健 訳

『時間旅行者のキャンディボックス』

 ケイト・マスカレナス  茂木健 訳


 1967年のイギリス、マーガレット、ルシール、グレース、バーバラの四人からなる科学者たちはタイムマシンの開発に成功する。ところがタイムマシン開発の成功を伝える生放送のテレビカメラの前でバーバラが突然錯乱状態に陥る。

 実験段階での度重なる時間旅行がバーバラの精神に影響したとも受け取られる醜態だった為、貴族出身で体面を重んじるタイプのマーガレットの主導によりバーバラはプロジェクトメンバーから外されてしまった。精神病院に入院していた時も、その後退院して結婚し、娘を産み、主婦としてパートタイムの仕事をこなしながら主婦としてすごす何十年もの間、バーバラは科学者として復帰しもう一度時間旅行をすることを夢見ていたが、かつての友人たちが彼女の元を訪れることは無かった。残った三人は、マーガレットが中心となる形でタイムマシンを管理し研究に用いるための期間として「コンクレーヴ」を起ち上げ、その中核メンバーとなる。以降〈コンクレーヴ〉は純粋な研究機関というよりも、幾人もの時間旅行者を育成し、未来をも含む歴史に対して大きな権限を持ち、時間旅行者ではない人間には伺い知れない独特の文化や倫理観をもった時間旅行者の集団、独立した小さな国のような組織へと変貌を遂げてゆく。

〈コンクレーヴ〉が発展し時間旅行者が珍しくなくなる中、孫のルビーと暮らしていた2017年のバーバラの元にメッセージが届けられる。それは半年後の2018年に亡くなることになっている八十代女性の死因審問の実施通知書だった。時間旅行者によるものとしか思えないこのメッセージの主はバーバラの元友人で2017年では時間旅行者兼現代芸術家としても活動しているグレースだった。

 祖母のことを長年構わなかった元友人がどうして今更祖母に謎を持ちかけるような真似をするのか? しかもどうしてバーバラの死を予言していると受け取られても仕方のないようなメッセージを送りつけるのか? 不可解に思うルビーを置いてバーバラは再び時間旅行をすることを夢みて科学者としての活動に取り組む。それはかつてオモチャとして売り出された小型のタイムマシン・キャンディボックスの改造だった──。

 さて2018年、ロンドンのおもちゃ博物館の地下室で身元のわからない高齢女性の射殺隊が発見される。第一発見者になった学生のオデットは無残な死体を目撃したことから酷いショックを味わう。トラウマに苦しんだオデットだが、乗り越える過程で殺された女性が誰だったのかを調べ始める。その過程でこの殺人事件には時間旅行者、そして〈コングレーヴ〉が関わってることに気づく──。



 このところ立て続けに読んでいる、百合要素のある時間ものSF。

 上記のあらすじではまとめられなかったが、バーバラの孫娘で心理学者のルビーが同性愛者で、彼女を一番の中心に据えて読むと女性同士のロマンティックSFとして楽しめる。

 他にも、悲運の科学者だったバーバラの人生についての物語でもあるし、巻き込まれてしまった殺人事件の謎を調査する女子学生オデットの素人探偵ものでもあるという、時間SF以外にもさまざまな要素を含んでいる読みがいのある小説である。1967〜2017、18年の間やさらにそこから先の未来を含めた時間の中でルビーとオデットを中心にバーバラやそして時間旅行者たちなど様々登場人物が体験した出来事を短い章に分け、適宜時系列をシャッフルしながら事件の始まりと終わりまでを語るという構成がよく効いていて大いに楽しんだ。時系列が前後しているなど、語りや構成に工夫している小説が好みなので満足感は高い。


 バーバラは精神を病んだことから復帰の敵わなかった科学者だし、オデットはセーシェルからの移民の二世で肌の色から差別を受ける。ルビーも同性愛者である他にもインド系の男性と結婚したバーバラを祖母に持つことから判る通り生粋のアングロサクソン系イギリス人ではない。グレースは元々鉱夫の娘で、少女時代には教師から発音を咎められて体罰を受けた過去があるという具合に、どこかマイノリティというか主流から外れた人物たちが多い点は注目すべきかもしれない。彼女らに立ちはだかるマーガレットが貴族出身であり、彼女が支配する〈コングレーヴ〉の職員たちが組織内の以上な倫理に適応してしまった鼻持ちならない人々として描かれていることと対比しても意図的なものだと言えるだろう。

 さまざまな理由でマジョリティにはなれない人々の心情に添うという昨今求められてる小説の機能もきちんと兼ね備えた小説ということも可能である。そこは特に強調するべきかもしれない。


 とまあ、わかったようなわからんようなことを書いてみたけれど、人物描写がドライかつシニカルで毒っ気を効かせたユーモアが至る所で効かせた所に一番の面白みを感じた。いかにもな英国産の小説といった趣があってとてもよい。

 特に意地悪クソババア・マーガレットなど最高である。独善的で高慢ちきで、常に上からものを言い、それはそてとして立ち居振る舞いは品が良く、行為そのものは下品でも動作はエレガント、上流階級所属の悪者はこうであって欲しい。簡単に屈しては下々に「ざまあ」とつけ上がらせるような、隙まみれの即堕ちチョロチョロキャラクターでは困る。あくまで自分の非を認めてはいけないし、愚かなのは自分以外の皆だと心から思い込んでいてこそだ。でもってそんな自意識を支えられるくらい教養があって頭もよくないといけない。読んでる方に「あー、こいつに早くバチ当たらねえかな」と思わせてこそである。

 そんなわけで、意地悪キャラ好きとしても満足できる一冊であった。やっぱりイギリスの小説はよいものだ。


 肝心の時間SFの点に関しては、自分にその能力がないので云々することが難しい。

 本作は「たとえ未来を知っていても、現在にいる自分がそれを回避するために行動することは不可能である(なぜなら時間旅行者が2017〜2018年現在よりも未来出身の時間旅行者が過去に行き来するのが当たり前になっている世界だから、とかなんとか)」という理屈が前提になっているからなのだけど、なぜにパラドックスが起きないのかについては読み飛ばしたかハナから理解する気がなかったかで覚えていないのだった。とにかくそういう理屈の世界なのである。本作の面白いところはパラドックス云々ではなくて、時間旅行が人間の心にどんな影響をもたらすかについてで話を膨らませている点である。

 本作の時間旅行者たちは過去にも未来にも行き来する。親しい人や家族、それに自分自身がどういう風に死ぬかも知っている。最初はショックを受けていても、時間旅行を行うことで恋人や家族が生きている時代に戻れる状態が当たり前になってしまうと、そこに適応してしまう。中には過去や未来に避難場所や別宅のような時代を作り、その時代時代に恋人や家族を作る者も出現する。そんなことを繰り返すうちに「死」や自分自身を含む生命そのものを蔑ろにするようになり、時間旅行をせず過去から未来へと一方向に流れる時間しか知らない〈コンクレーヴ〉外部の一般人を軽んじるようになってしまう。次第に時間旅行者は一般人とは別に自分たちだけでかたまって暮らすようになり〈コンクレーヴ〉はその敷地内だけ独立国のような様相を呈してゆく──。時間旅行が当たり前になった世界で起きうるのかもしれない、かなりぞっとするような人間心理の変化に着目して書かれた小説なのだ。


 時間旅行は人間の心に影響をもたらす、それも時間旅行者ではない人間とは断絶を生みかねない形で。

 それを提示した後で、マーガレットという独善的で支配欲の強い人間をトップに頂いたがためにどんな風に腐敗していったかが徐々に明らかになってゆく。その過程がスリリングでもあり、おもちゃ博物館との射殺体とどのように関わっているのかという疑問と上手く絡めることで読者を物語にミステリー小説的な引き込む力を生み出しているわけである。それに乗ってページを捲るのが心地よい。しかし、謎に気持ちよく引っ張られながら読んでいる間も、時間旅行こっわ! という単純な感想はどうしても消えない。時間旅行者という特権的な立場をエサに、そして集団に帰属させるために〈コンクレーヴ〉職員たちが新人に強いる残酷なゲームがカルトやなにかの入団儀礼そのものなのも、いい具合に悪趣味である。


 時間旅行は人間を歪ませる。必然的に時間旅行者たちの組織も歪みがちになる。とはいえマーガレット以外のメンバーが〈コンクレーヴ〉のトップに立っていればもう少し自浄作用のある組織になっていたのかももしれない。

 しかしこの世界ではこの在り方が確定しているし、ベテランの時間旅行者の倫理観や人格が破綻してゆくことも避けられない。人間誰しもいつかは死んでしまうように。

 だからこそ自分が自分でいられる間の時間をどのようにすごすか、いかに悔いのないように生きるのか? 登場人物の一人一人が各々それと向き合っている。メメントモリというやつですね。本作にも序盤で出てくる言葉でもあり、非常に普遍的なテーマでもある。

 倫理観について物申したくなる登場人物も複数名いるものの皆それぞれ憎めないのは、時間旅行を通して真摯に死を見つめた人たちだからなのかもしれない(マーガレット除く。いやこの意地悪ばあさん私は好きなんですが)。



 最後にお気に入りの箇所を一つ挙げてみる。

 ルビーのセフレで、脳外科医で夫と子を持つジンジャーという女性が登場する。彼女視点のエピソードが、人生の苦味と諦念と一瞬の情熱を感じさせる味わい深いもので実によかった。ちょっと『春にして君を別れ』を思い出してしまうものもあった。そういうところもイギリス産の小説っぽい。

 彼女の夫や娘も含めたエピソードに一番時間SFらしさが出ているかもしれない。──でもやっぱりドライでシニカルでヒドいんですけどね。本当にもう、笑ってしまうほどですよ。



 そんなこんなで、百合要素やクィア要素のあるSFを今年は三冊読んだ形になります。それぞれに面白く、また時間旅行というテーマ一つとってもアプローチにひねりがあるところが興味深かったですね。ドラえもんやBTTF、ドラゴンボールのトランクスや人造人間が出てくるあたりのエピソードからタイムマシンが出てくる物語のイメージがほとんど更新されていないこともあって大いに勉強になりました。

 なお蛇足ではありますが、時間SFだとドラえもんの「ドラえもんだらけ」という傑作エピソードが大好きです。

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