第17話 美術室のももちゃん~幻のお姉さん 

 美術室のももちゃん



 秋たちが美術室に入ると、口を塞がれ、体を縛られた花たちが倒れていた。


「花!」

 秋たちは美術室に足を踏み入れた。直が芋虫のように体を動かしながら、もごもごと何かを言っている。

 秋は花に近寄って確認する。

 てっきりガムテープでも巻きつけられているのかと思っていたが、それは間違いだった。それはガムテープではなく、とてつもなく長い髪の毛だったのだ。

 秋は花に巻きついている髪の毛をほどこうとする。しかし、何重にも巻きつけられた髪の毛は固く、とてもほどけそうになかった。


「くそっ。かたいなこれ」

「ハサミがあればいいのですけど・・・・」

 桜子が辺りを見回した。


「ももちゃん、いるんでしょ?」

 秋が周りを見渡しながら大声で呼びかけた。

 すると、花たちの口を塞ぐ髪の毛がゆるんだ。


 ――あなた、誰?


 ふいに、どこからかそう言う声が聞こえた。それはか細くて、すぐにでも消えてしまいそうな声だった。


「俺の名前は秋。ももちゃん・・・・だよね?出てきてよ」

 すると、秋たちの目の前に、長い髪をした色白の女の子がすうっと姿を現した。その子はまるで日本人形にように美しい顔をしていた。


「何か、用?」


 ももちゃんは無表情に問いかけた。


「俺たちをこの校舎から出して欲しいんだ。君の力で閉じ込められてるんだ。それにそのせいでいろんなお化けが起きちゃったんだよ」

 しかし、ももちゃんはふい、と秋から顔を背けた。


「――いやよ」


「なぜですか?」

 桜子が困ったように聞く。

「だって、あなたたちを帰したら、もう誰もここに来てくれないもの。だからあなたたちは、一生ここから出さないわ」

「それじゃあ、何の解決にもならないですよ」

 桜子がそこで初めて嘆いた。

「あなたたちが見つからなかったら、また新しい話が生まれるわ。そうなれば、みんな私のことを思い出してくれる。そして、忘れないでいてくれる。これからもずっと」


 そう言うと、教室中に髪の毛が溢れ出てきた。そして髪の毛はするりと秋と桜子に巻き付いた。秋は激しく抵抗したが、いくらもがいても無駄だった。


「忘れられたら、存在していないことと一緒。私のことは誰も覚えていなかった。みんな、十二不思議の話だけ。私のことは忘れている」


 髪の毛が秋たちの体を強く締め付け始める。

 秋たちは苦しそうに顔を歪めて、小さなうめき声を上げた。


「他の話の子達もそう。忘れられたら消えてしまう。忘れられるのは、死ぬより辛い」

 ももちゃんは感情を押し殺すように淡々と喋る。それでも彼女の悲痛な心の叫びが聞こえてくるようだった。

 校舎がそれに応えるかのように激しく揺れた。


「――それは、違いますよ」


 いつの間にか校長先生が入口に立っていた。その後ろには桃子とこのか姫もいる。 校長は手を膝にあてて、一息ついた。よほど階段がこたえたのだろう。とても苦しそうだ。

 そこで、秋たちの体を締め付ける髪の毛が少し緩んだ。


「ひい、ふう、いやあ、こりゃ・・・・しんどいなあ」

 校長はポケットから銅のハンカチを取り出して、おでこの汗らしきものを拭く。


「お化けが疲れるなんて恥ずかしいのー」

「ほんとめんどくさい先生ね」

 桃子とこのか姫が呆れるように呟いた。


「桃子!なんでここに?」

 桜子が驚いて叫んだ。

「仕方ないじゃない。秋がいつまで経っても来ないんだもん」

 桃子は不機嫌そうに秋を睨んだ。

「せっかく私がDVD借りてきたのに」

「ごめん、桃子。ちょっとのっぴきならない状態になっちゃって。でも、遅刻するつもりはなかったんだ!」

 秋が言い訳をする。

「えー。何のDVD見るの?」

 花がうらやましそうに質問した。

「バカ野郎!今する話じゃねえだろ!この状況を考えろ!」


 そんなやりとりを見て直が一喝した。その直後、また髪の毛が秋たちの体をきつく絞め上げた。きゅん、と直が間抜けな声を上げる。


「――うるさい」


 ももちゃんがまたも無表情に呟く。


「ももちゃん、やめなさい。そんなことをしてもどうにもならない。私は君のことをずっと覚えているよ。忘れたことなんてなかった」

 そこで、ももちゃんは初めて校長を見つめる。その目にはどこか懐かしむような色が込もっていた。


「嘘よ。それなら、なぜ今までここに来てくれなかったの?」

「それは・・・・ううむ」

 校長は言葉を濁した。そして桜子の方を見る。


「・・・なぜだね?」

「実際の校長先生は、もう亡くなられていると聞いています」

 桜子は言いにくそうに伝えた。

「あなたの記憶はその銅像が作られた時の年齢で止まっているの」

 このか姫が補足する。


「――あなたは、誰?」

 ももちゃんがこのか姫に問いかけた。髪の毛がうねうねと桃子とこのか姫の周りを漂う。


「私はこの土地の神なの。だからあなたの判断は正しいの。その髪の毛でわたしを縛り上げるということは、とっても失礼なことだもの」

 このか姫はそう言って胸を張った。


「そう。そのご立派な神様が、私なんかに何の用?」

「桃子の大切な人たちを助けにきたの。そして、あなたを成仏させるためにね」

「――あなたが、私を?」

 ももちゃんは皮肉めいた口調で言う。

「無理よ。そんな小さく幼いあなたの力では。元は立派な姿だったでしょうに」

「たしかに、その通りなの。でも・・・・」


 このか姫は桃子をちらりと見た。桃子はきょとんとした顔をする。


「――わかったわ。その子の力を借りるのね。確かに、素晴らしい力を持っているわ」

 ももちゃんが、にたりと笑った。それは背筋が凍るほどぞっとするような笑顔だった。

 気づいた時には、ももちゃんの姿は消え、桃子は叫ぶ間もなく、髪の毛の海にずぶずぶと沈んでいった。


 ――それなら、私がこの子の体をもらえばいい。


 校舎中にももちゃんの声が響いた。


「桃子!」

 秋たちが叫んだ。しかし、美術室に溢れた髪の毛は、既に秋たちの体の半分以上を飲み込んでいた。全く身動きがとれない。


 ――確かに、この子はとても特別な体をしているわ。

 みしみし、と美術室の壁が激しく軋む。


 ――この子を憑き殺せば、わたしはこの世に蘇ることができる。


 髪の毛の海から、桃子がゆっくりと出てきた。しかし、目が虚ろで、口を小さく開けている。どう見ても様子がおかしい。


 ――もうすぐでこの子の人格を奪い取ることができるわ。

 そう桃子の口から発せられた声は、ももちゃんのものになっていた。


「やめなさい、やめるんだ。君はとても友達にやさしい生徒だったじゃないか」

 校長先生が髪の毛に溺れながらも必死に説得を試みる。


 ――それでも、誰も私のことを覚えていないわ。


 美術室の窓ガラスが激しい音をたてて割れた。壁もひび割れ、天井にある電灯も次々に破裂していく。恐らく、校舎中に髪の毛が溢れているのだろう。校舎中がめきめきと鳴いている。校舎中の色々なところで、何かが壊れたり、割れたりする音が聞こえた。


「もう・・・・だめだ」

 秋が呟く。


 すると、このか姫が髪の毛の渦に体を埋めて、呟いた。


 ――ああ、悪いけれど、その子は私が守るの。


 次の瞬間、このか姫の体が輝きだした。このか姫は小さな丸い光玉に姿を変えると、そのまますうっと桃子の体に入り込む。


 桃子、ちょっと体を借りるのね。


 その途端、まばゆい光が美術室を照らした。そのあまりの眩しさに全員が目をつむる。


 ――目を開けると、絹のような髪の毛を振り乱して倒れているももちゃんがいた。

 そしてそれを見下ろすように、このか姫と同じ袴を着た、美しい女性が立っている。 

 いつの間にか、秋たちの体に巻き付いていた髪の毛は解けていた。


「久しぶりに元の姿に戻れた。やはりこの子には依代の才能がある。きっと素晴らしいイタコになれるだろう」

「なぜ・・・・なぜ・・・・」

 ももちゃんは壊れたオルゴールのように繰り返し呟いている。

「死者は、甦ってはいけないんだよ。君は君の領分を守らなければ」

「・・・・みんなが、みんなが私を忘れていく」


 ももちゃんは泣きそうな声で呟いた。

 すると校長が大きな体を揺らしながら、ももちゃんにそっと近寄った。


「大丈夫。私たちがずっと傍にいるよ。ずっと一緒だ」

 いつの間にか、ももちゃんの周りには十二不思議のお化けたちが集まっていた。

「無理よ。あなたたちは作られた存在なんだから。私とは違うわ」

 ももちゃんは激しく頭を振った。


「その心配には及ばないさ」

 このか姫がももちゃんの頭に手を乗せて言う。


「私がみんな連れて行ってやろう。お前たちは言霊によって作られた八百万の神の系統だからな。私の管轄だ。この校舎に縛られるより、ずっと良いだろう」


 校長が優しく頷いた。

「ああ・・・・聞いたかい。私たちも一緒に行こう。それが良い。そうしよう」

 校長はそう言って、にっこりと笑う。周りのお化けたちも穏やかに頷いた。


「俺たちも、忘れないよ」

 秋がももちゃんの目を見つめて、はっきりと言った。

「な、そうだろ?」

 そう言って秋は直の顔を見る。直は眉を少し上げて肩をすくめた。

「当たり前だろ。こんな激烈な体験、忘れたくても忘れられねえよ。一生の鉄板ネタになるぜ」

「そうだよね。これから先、わたしたちが大人になってもこの話で盛り上がれそう」

 花も思い切り同意する。

「きっと、私たちに子どもや孫ができたら話して聞かせるでしょうね。そういった意味では今回のあなたの行動は成功だったのかもしれません」

 桜子もそっと微笑む。巴は何度も頷いている。


「ほらごらん。何も心配することなんかないじゃないか。一緒に行こう」

 校長は力強く励ますように、ももちゃんに声を掛けた。

 秋たちの言葉を聞いて、ももちゃんは静かに涙を流した。


「――そうね。それがいいのかもね」

 ももちゃんはよろりと立ち上がると、自分の髪の毛を丁寧に直した。

「・・・・いいわ。いきましょう」


 ももちゃんは十二不思議のお化けたちを見つめる。もはや白い紙となっている白い人がくねくねと体を動かすと、ももちゃんは初めて小さく笑った。


「では、準備はいいようだな。それと、もも。お前は一つ勘違いをしているぞ。そもそも、お前のことは今でも語り継がれているんだ。最初から誰もお前のことを忘れてはいないから、安心しろ」


 このか姫の言葉に、秋はひっかかるものを感じた。


「そうだ。お前は・・・・どうする?一緒に来るか?」


 このか姫はそう言うと、手を差しのべて問いかけた。


 ――茜に向かって。



 幻のお姉さん


「なっ、どういうことだよ!」


 直はわけがわからないと言った顔で、茜とこのか姫を交互に見る。このか姫は意外そうに答えた。

「何だ、知らなかったのか?この子も十二不思議の一つだよ。『声をもらう女の子』って話さ」

「そんな・・・・」

 直が何も言えずに黙り込んだ。


 桜子は、黒板が教えてくれたマークを思い出した。

 あの時、黒板が示したのは「ガキ大将」「かわいこちゃん」「無口くん」の三人と、◎が三つ。二つの◎は悪魔の絵だった。

 あと一つの◎は、茜ちゃんのことだったのだ。


 そして、花もそこで巴が喋らなかった理由や、校長先生が話してくれた「音楽室の魔女」の正体がわかった。そして十二不思議にあった「声をもらう女の子」という話も、その話が形を変えたものだったのだ。

 更に、茜が先生に会いたがらなかった理由や、その先生のお化けが「あれ・・・お前は」と茜に対して言っていたことにも納得した。お化け同士だから、もともと顔見知りだったのだ。


「その制服も、昔のやつだったんだね」

 花がそう言うと、茜は無言でうつむく。そして、巴の顔を見つめた。巴もじっと茜の顔を見つめている。


 すると、茜は哀しそうに、にこりと笑った。


「私も、行くわ」


 その瞬間、巴が茜の手を掴んだ。


 茜は躊躇うように、その場に立ち尽くした。それでも、心を決めたように、巴の手をそっとほどく。

そして、ぐっと一歩踏み出すと、あとは迷わずこのか姫の元へと歩き出した。


「おい待てよ!こいつはどうなるんだよ!」

 直が巴を指差して叫んだ。

 茜はくるりとこちらを振り向いて、言った。

「大丈夫よ。この子はもう。あんたたちがいるんだから。もう、私がいなくても大丈夫」

 巴は目を真っ赤にしながら、小さく震える。泣くのを必死に我慢しているのだ。


「そうでしょ、巴?」

 茜は優しく巴に問いかけた。巴は茜に向かって大きく頷くと、ついに大粒の涙をぽろぽろとこぼし始めた。


「ばかね、大丈夫よ。この人たちなら大丈夫。あなたなら、大丈夫。いつまでも幻の存在に頼ってはいけないのよ」

 茜は直の顔を見る。

「この子のこと、頼んだわよ。あんた、ろくでなしのクソ野郎だけど、悪い奴じゃないから」

「ああ、まかせろ。友達100人は作らせてやる」

 直は大真面目な顔で言った。

「多すぎでしょ。やっぱりバカね」


 しかし茜は、言葉とは裏腹に、泣きそうな顔で微笑んだ。


「あ、そうだ。巴に、これ返さないと」

 茜はそう言うと、ポケットから柔らかく光る塊を取り出した。

「あなたの声。これからは思い切り喋りなさい。言いたいことは言いなさい。伝えたいことは言葉じゃないと伝わらないわ」


 光の塊は、ふわりと飛んでいき、巴の口に入り込んだ。


「あなたと過ごした時間・・・・とても幸せだった」


 すると、巴が大きな声で叫んだ。


「ぼく、がんばるよ!見ててね!がんばるから!友達100人つくるよ!」


「だから、多すぎでしょう。バカね」

 茜が嬉しそうに笑った。


「ありがとう・・・・おねえちゃん」

 その巴の言葉に、茜は堪えきれずに涙を流した。


「バカな弟。――私こそ、ありがとう」


 ――このか姫の周りには、十二個の話のお化けたちが集まった。


「さあ、行こうか」


 お化けたちの体が、風船のようにふわりと浮かび始める。校長先生がももちゃんの頭に手を置いて、にっこりと微笑む。

 片腕教師は、未だに痙攣しながら失神している。白い人もぺらぺらのまま一反もめんのように空中をただよっていた。

 包丁お化けぷりぷりの顔は、真横に真っ赤に腫れ上がっており、恨めしそうに秋と桜子を見ている。

 轟や、光石の周りにたくさんある小さな光たちは部員たちだろう。嬉しそうに顧問の周りを飛び回っていた。

 美術室にある黒板には『また会おーね!おみやげあげる☆』と書かれている。

 ダリアとロバートは相変わらず何やら口喧嘩をしていた。


「また会おう。もし良ければ、これからも私の祠にお参りに来てくれ」


 このか姫はそう言うと、手を上にかざした。

 校舎全体が激しく揺れる。とても立ってはいられず、秋たちは尻餅をついた。生徒たちの合唱の声や、遊ぶ声、チャイムの音が校舎内に鳴り響く。


「桃子の体は後で返すよ。そうだ、最後に・・・・」


 このか姫はそう言うと、まるで指揮者のように指先を動かした。

 すると、桜子の体が自分の意思に反するように動き出す。


「え、え?」

 桜子は戸惑いの声を上げる。桜子はそのまま、秋のところにふらふらと近づく。


「え?」

「あ――」


 次の瞬間、桜子は秋に唇を重ねていた。


「はっはっは!意気地のないお前に、一つきっかけを与えてやったぞ。後は自分次第だ」

 このか姫は豪快に笑った。


 そして、さきほどよりも更にまばゆい光が校舎全体を包む。


 ――そこで秋たちは意識を失った。

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