第12話 図書室の女の子
ライブラリー・ガール
秋と桜子は図書室の扉をそっと開けた。
黒板で道中には何もいないのを確認していたが、校舎から体育館へ入るときには、さきほどの包丁お化けぷりぷりを警戒した。
だが、幸運なことに遭遇することはなかった。どうやらどこかへ行ったようだ。
しかし、裏口の扉にはしっかりと包丁で貫かれた穴が残されており、それが不気味な存在感を与えていた。
「なんだか図書室がすごく懐かしい気がする」
秋が大きく伸びをしながら図書室に入る。やっぱりここは安心する。まるで何かに守られいるかのようだ。
「色々ありましたからね」
桜子もほっとするように同意した。
秋は念の為に、図書室内の電灯のスイッチを入れてみた。今まで入った教室の電灯は点かなかったが、ここはどうだろうか。
予想を裏切り、電灯は眩しいほどに輝きだし、図書室内がパッと明るくなる。
「おお!」
秋は思わず歓声を上げた。
「これは、嬉しい誤算ですね」
桜子の声も色めき立った。
電気というものがこんなに心強いものだとは思ってもいなかった。秋は初めて火を燈すことに成功した人の気持ちが理解できたような気になる。
それにしても、図書室に女の子のお化けなんているのだろうか。もちろん最初にここに来た時は誰もいなかった、はずだ。
「誰も、いないはずだよね」
「ええ。いない・・・・はずです」
二人で図書室内を見回す。
「黒板が間違えたとか?」
「どうでしょう。何とも言えないですけど」
「聞いてみる?ここにも黒板あるし。一応チョークは持ってきたけど」
「あ・・・・」
桜子が何かに気づいて声を上げた。
「なに?」
「私の本が・・・・」
見ると、図書室の奥にある机には桜子が積んでいた本があったはずなのに、いつの間にかそれらがなくなっている。
「桜ちゃん、片付けたっけ?」
「いえ・・・・そのままでしたよ」
「じゃあ・・・・何で片付いてるんだろ?」
誰に聞くでもなく秋が呟く。先ほどから人の気配を感じるのは気のせいだろうか。そして明るくても暗くても怖いものは怖いのだ、と秋は理解した。
「誰か・・・・いる?」
「――ここにいるわよ」
突然、女の子の声がした。その瞬間、図書室内の電灯が一斉に消える。そしてまた図書室は闇と静寂に侵食された。
「まあ、こうなるとは思ってたよ」
秋はがっくりと頭をうなだれた。
「――ごめんなさい。明るいのは苦手なの」
その声は秋たちのすぐそばで聞こえる。
「どこにいるんですか?」
桜子が臆することなく問いかけた。やはり桜子もこうなるであろうことは予測していたようだ。かなしいかな、秋たちはこの摩訶不思議な状況に慣れつつあった。
「――ここ」
その声は秋たちのすぐ傍にある、本の貸出カウンターのところで聞こえる。秋たちがカウンターにじっと目を凝らすと、カウンター内に座る女の子の姿がうっすらと見えた。
その女の子は異人のような端正な顔立ちをしていて、顔色と瞳の色が青い。しかし、そのゴシックさが、この図書室の雰囲気にぴったりだった。
「いつからいたの?」
秋がその子に聞いた。
「ずっと。昼間からいたわよ」
その子は淡々とした声で答える。
「ずっと・・・・?ここに?」
女の子はこくりと頷いた。
「いやあ、気づかなかったなあ」
「私、恥ずかしいから目立たないようにしているの。でもよく目を凝らせば見えたはずよ」
夜でもこんなに存在感がないのに、昼間なんかじゃまず気づけないだろ。と秋は思ったが、それは口には出さず心の中に収めた。
「それより。私は整理された図書室が好きなの。それが秩序というものでしょう?だから本は片付けさせてもらったけれど」
女の子はささやかながらも厳しい口調で言った。
「あそこの机に置いてあった本を出したのは、あなたたち?」
女の子は秋たちが昼間に座っていた奥の机を指差して聞いた。
「ええ。私が出したものです」
桜子が間髪入れずに答える。もしそのことによってこの女の子に何かされた場合、自分だけに被害が及ぶようにという考えだろう。
「いや、俺も出したけどね」
しかし秋も桜子をかばうように口を挟んだ。
「・・・・ふーん」
女の子はそう呟くと、何やら考えるように黙り込んだ。図書室のお化けということだから、本を出しっぱなしにしてここから出て行った秋たちに思うところがあるのかもしれない。
――だとしたら、まずいことになりそうだ。
しかし、次に女の子が発した言葉はそんな二人の予想とは違ったものだった。
「・・・・なかなか、いいセンスね。本をみる目があるわ」
「へ?」
秋は間の抜けた声を上げた。
「今まで、たくさんの子が本を読むところを見てきたけれど、あなたは私と気が合いそうね」
女の子は桜子をじっと見つめて言う。心なしか口元が緩んでいる。
「そ、そうですか」
「どれが一番、お気に入りだったかしら?」
女の子は面接するように桜子に問いかけた。更に、秋にも手のひらを向け、「ああ、もちろんあなたも答えてちょうだい」と言った。
そう言われて秋と桜子はしばし考える。これはこの子の好みに合った返しをするのがベストだろうけど、生憎そこまで予想することはできない。ここは自分の好みで答えるしかないだろう。
「私は・・・・エルス・ポブラン著の『喪失の行方』でしょうか。ずっと読みたかった本だったのですが、既に廃版の上に町の図書館には置いてなかったので」
桜子がゆっくりと答えた。秋はなんだその本は、と衝撃を受ける。
「俺はその人の『幸福の代償』って本かな。あとデビット・ローランスの『黄昏』って本」
秋も唸るように答えた。
「ふーん・・・・」
女の子は吟味するように秋と桜子を交互に見つめた。果たしてアリか、ナシか。
「――良い選択ね。あなたたち二人共。どれも私の大好きな本よ。気に入ったわ」
アリだったようだ。秋はほっと一安心する。実は自分が挙げた本は、桜子が積んでいた本のタイトルで覚えているものを言っただけだった。
「私の名前は胡桃。あなたたちのことは黒板から聞いているわ。もちろん、あなたたちの友達のこともね。その子達もそろそろ来ると思うわ」
まるでそのセリフを合図にしたかのように、図書室の扉がガラリと開いた。
「あ・・・・」
「…おお!やったぜ!」
そこには昼間に別れた懐かしい顔があった。そして、見慣れない顔も。
花と直は秋たちの顔を見ると、思い切り大きなため息をつき、その場にへたりこんだ。
「やっと会えたぜ。あー、ここまで長かったなあ」
直は腰をなでながらそう呟いた。どうやらどこかで痛めたようだ。
「あきしゃ~ん、さくらこしゃ~ん」
花は安心するあまり涙を流し始めた。秋と桜子は二人に駆け寄る。
「やっぱりそっちも色々あったみたいだね。これは、直たちも俺たちと同じ目に遭ったってことでいいのかな?」
秋は直が立ち上がるのに手を貸しながら尋ねた。
「まあな。ほんっと散々な目にあったぜ。ラジー賞、間違いなし」
「花は、大丈夫?」
秋の問いに花は何度も頷く。
「うん、直くんがいたから。でも、こわかったよ~」
そう言ってまた泣き出しそうになる花を、桜子が「よしよし」と優しく抱きしめた。
「そっか。さすが直。頼りになる男だぜ」
秋が直に小さくガッツポーズをする。直はそれに対して照れくさそうに、「おしっこちびりそうだったけどな」と軽口で返した。それは半分、本音だろう。
「その後ろにいる二人は?」
そう言って秋が茜と巴に視線を送る。
「ああ、途中で会ったんだよ。初等部の奴ら。茜と巴。内緒でここに忍び込んだんだってよ」
「・・・・どうも」
茜が無愛想に挨拶した。巴はぺこりと会釈する。
それに対して秋も桜子も「よろしく」とだけ言って会釈を返した。二人の様子を見て、この二人はあまり話しかけられるのを好まないだろうとすぐに判断したのだ。
とりあえず、これで当座の挨拶は済んだ。
「よし、全員揃ったし、早くこのクソ校舎から出ようぜ」
直がいつもの調子を取り戻すように、張り切って言った。
「それが、だめなんです」
それを桜子が困ったように遮った。
「え?なんでだよ」
「実は――」
秋は、桜子と校門から出ようとした時のことを直たちに説明した。
「――マジかよ・・・」
直は愕然とした様子で呟いた。花たちも同様だ。
「じゃあ・・・・どうやってここから出るんだ?こんなところで永住なんて俺はごめんだぜ。最恐の事故物件だろ」
「その方法を聞きに、俺と桜ちゃんは図書室に来たんだよ」
「聞きに来たって・・・・誰にだよ?」
「誰って、この子に」
秋がカウンターに座っている胡桃に手のひらを向けた。すると、やはり直たちも彼女の存在に気づいていなかったようで、「うわっ」と小さく叫ぶと後ろに仰け反った。
「え、いつからいたんだ?」
「・・・・最初からよ」
胡桃は先程と同じやりとりにため息をつきながら答えた。
「この子、胡桃ちゃん。この子がここからの脱出方法を知ってるんだって」
「だって・・・・って誰に聞いたんだよ」
「黒板に」
秋の言うことに直たちは「何言ってんの?」とばかりにただ混乱している。それはそうだろう、自分でも言っていて実感がないし。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。整理しようぜ。さっきまでに起こった出来事をお互い報告しておこう。まず俺たちは――」
直が話し出そうとすると、こほん、と咳払いが聞こえた。
「――えーっと、いいかしら?」
胡桃だ。どことなく、彼女からは不機嫌な雰囲気が漂っている。
「情報交換、大いに結構だわ。とても、重要なことだもの。でもね、簡潔にお願いするわ。そうね、五分でお願い。下手な感想も抜きよ。なぜなら、あなたたちが来なければ、私はとっくにこの子たちに脱出方法の説明を終えていたのだから」
どうやら直たちが自分を差し置いて話し始めたことを、さっきからずっと我慢していたようだ。有無を言わさぬその言い方に、さすがの直も悪態がつけない。
「おう・・・。わかった」
そして秋たちは時間ピッタリで、お互いに起こった奇妙な出来事を報告し合った。 秋が黒板を呼び出した時に、にわかに場が盛り上がりかけたが、胡桃のひと睨みですぐに静寂に戻った。
黒板は胡桃の見ていないところで、「こわーい」「本の虫」など落書きをしている。
「では、いいかしら?あ、その前に――」
胡桃が直と花と巴を見つめる。
「あなた達のお気に入りの本は?」
「え、俺の?」と直は自分を指差してきょとんとする。質問の意図をわかりかねているようだ。
「そうだなあ、マジ切れクレイジーボブって漫画なら全巻持ってるぜ」
「わたしは、趣味の小物づくりって本が好きかなあ。あとグッドテイストお菓子って本」
「・・・・」と巴。
三人の答えを聞いて、胡桃はうんざりするように顔を伏せた。
「わかったわ。どうやらあなた達は騒がしいだけのようね。でも、花ちゃん?でいいのかしら?あなたの趣味はよくわかったわ。素敵な趣味ね」
直は好きな本を答えただけで罵倒されたことに納得がいかないようだ。対して花は「ありがとぉ」と嬉しそうに胡桃にタッチする。
「では、この十二不思議の解決法を教えましょう。ちなみに・・・・桜子と秋が遭遇した『出られない校門』もその十二不思議の一つよ」
胡桃は気を取り直し、まるで予備校講師のような話し口調に変えて話し出した。
「まず、私を含めたこの十二不思議という存在はあなた達の噂話によってつくられたものなの。なので、幽霊や妖怪という存在ではないと明言しておくわ。まあ、ややこしいから別にお化けと呼んでくれても構わないけど」
「・・・どういうこと?」
秋はきょとんとしながら聞く。別に大差ない気がするけど。
「私たちは元々は存在していなかったのよ。私たちは最初こそ、ただの生徒たちの作り話に過ぎなかった。だけど、長い年数、色々な人たちに語り継がれていくにつれ、私たちの話は言霊となり、大きな力を得た。そしていつしかこうして実際に存在するようになってしまったの」
「じゃあ、この世に未練が・・・・とかではないの?」
花はいつの間にか胡桃の隣に座っていた。オカルト関係は苦手だけれど、胡桃のようにかわいくて害のないものは平気なのようだ。映画でもホラーは嫌いだけど、ファンタジーホラーは好きみたいなものなのか。
「ええ。私たちの設定はあなたたちが決めたのよ。正しくはあなたたちの先輩かしら。細かい設定は時代によって変わっているけど」
「なるほど。そうだったんですね」
桜子が納得したように頷いた。その順応力と対応力は大したものだ。
「でも、この十二不思議・・・・実は十三番目の話があるの。それは噂話ではなく、実際にあったお話よ」
「え・・・・?それは本物の幽霊が一人いるってこと?」
秋の問いに胡桃はゆっくりと頷く。
「そういうことね」
花と桜子は顔を見合わせた。それについて今日の朝、二人で話したことを思い出したのだ。
桜子ちゃんが言っていた噂は、本当のことだったのか。
そうなるとまた話が変わってくる。というか、幽霊が存在するという前提で話が進んでいるが、もはや誰もそれに対する疑問を抱いていなかった。
「実は私たちには、こうしてあなた達に干渉できるほどの力はないのよ。それが出来ているのは、その幽霊の力が大きいの」
「つまり?」
直が結論を急かす。それに対して胡桃はわずかに眉をつり上げた。どうやら少し気分を害したようだ。
「つまり、その幽霊を見つけて、この世の未練を断ち切らせてあげるのが解決方法。簡単に言うと成仏させてあげればいいのよ」
「なるほど、そういうことか」
直はわかったようなわからないような顔で相づちを打った。
「それで、その実存する幽霊はどんな話なんですか?」
桜子が核心に触れる。
しかし、今まで饒舌に話していた胡桃は、打って変わって急に黙り込んだ。
「――それは、わからないわ」
花はそんな胡桃の言葉に違和感を覚えた。なんだろう、さっきもこんな違和感を受けたような気がする。
「わからない?じゃあ、成仏させる方法は?」
「それも、残念ながら」
「何だよ、それじゃあほとんど打つ手なしじゃねえか」
直はここぞとばかりに野次を入れた。この相手を挑発する癖はなんとかならないだろうか、と秋はあきれる。
「ご心配なく。十二不思議の中に、その幽霊を知っている人がいるわ」
もはや胡桃は直と目を合わさずに話している。まあ、この二人は合わないだろうな、と秋は内心で呟いた。
「それは・・・・誰なの?」
花が胡桃の顔を覗き込んで尋ねる。胡桃は近すぎるほどに顔を寄せる花に対し、照れるように顔を逸らして言った。
「――校長先生の銅像よ」
「うわあ・・・」
秋は思わずそう声を漏らしてしまった。桜子も表情を強ばらせている。
今まで出逢った不思議たちの中でも、校長の銅像は悪い部類のものではないようだ。
しかし、あの動く銅像の強烈な迫力は、ぷりぷり同様、秋と桜子に結構なトラウマを植え付けていた。
胡桃はそんな二人の様子をくすくすと笑いながら見ている。
「大丈夫よ。話してみればいい人だもの」
「そうなの?」
「ええ。でもあの人と握手やハグはしないようにね。手が潰れてしまうわよ。それにわざわざハグで自分の内臓を吐き出したくもないでしょう?」
秋は校長にハグされて内臓を吐き出す自分の姿を想像してぞっとした。よし、この件は直に任せよう、と秋は桜子と視線を交わしながら無言で誓った。
そして、その様子を花が遠慮がちに見ていた。
更に、そんな花の姿を茜がじっと観察していた。
黒板に聞くと、校長は校長室にいるようだった。
秋たちは胡桃に礼を言って図書室を出る。
胡桃は「幸運を」と手をひらひらさせて、本を読み始めた。
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