第2話 二十歳差の奥さん
それから月日は流れ――本当に、どうしてこうなったのか。
ふたりの暮らす村は小さな村で、農業や酪農を主産業としているところだった。
人よりも羊の方が多いこの場所は停戦中の隣国――ルイスヴィ帝国との小競り合いも無く、ときたま出る魔物も作物を荒らす小型の害獣のみ。およそ平和や平穏を絵にかいたようなこの村で、オズワルドはリリィベルとの新婚生活を始めた。
平均寿命が六十そこらである昨今、老い先短い四十にもなって何を言い出すかと思うかもしれないが。人生とは驚きの連続だ。いや、そんな毎日を送ることができたのは、この歳の離れた奥さんのおかげなのかもしれない。
ふたりで暮らしてみて初めて、彼女が存外強引な性格だと思い知った。
リリィはオズワルドの歳のことなど考えず、今日はあそこへ行こう、ここへ行こう。あれをしよう、これをしようと毎日のように笑顔で彼を引っ張り回す。
そんな彼女に絆され感化されたのか。聞いたときは思わず、感動よりも先に自分にため息を吐いてしまった。
(つい、年甲斐もなく頑張ってしまった……)
『おめでとうオズワルド。まさか、お前がまた父親になる日が来るとはな』
友人からの手紙に綴られた祝いの言葉に、オズワルドは困ったように口元を綻ばせた。お腹の大きいリリィが、それを興味深そうに覗き込んでくる。
「お知り合い?」
「ああ、古い友人だよ」
「もう、あなたはまたそうやって老人のような物言いを……!」
「実際、枯れっ枯れのおじさんだからね」
茶化すように「はは、」と笑うとリリィはお腹をさすり、いたずらっぽい笑みを返す。
「……そこまで枯れてないくせに」
「ぐぅの音も出ないな」
だが、再婚するまでの約十年以上女性に性的関心を抱かなかったのも事実。
実際新居に着いて寝室を分けようとしたら、リリィに信じられないといった顔をされた。「私たち夫婦でしょ?」と言われて、改めてその歳の差を実感する。そうか、夫婦なら一緒に寝るのが当然か。新婚なら尚更。
だが体験して改めて思ったよ。若い奥さんは、凄いな。あの瑞々しい肢体と蕩けた表情で甘えられると、ついその気になってしまう。
彼女自身にそういった経験は無く「実は、初めてなの」と恥ずかしそうにそう漏らしていたが、さすが若人。一度覚えれば貪欲になり、毎夜のように迫ってくる。さすがのオズワルドもこれにはたじたじだった。
それに何より身体が若い。その感度と締まりの良さに始めは驚いたものだ。だがそれ以上に、リリィが可愛過ぎたことが大きいだろう。あの顔に『ねぇ、お願い』なんて懇願されたら断れる男はいない。
とまぁ、そんなこんなで今に至る。
「それより歩いて大丈夫なのかい? して欲しいことがあればなんでも言うんだよ。掃除とか、買い出しとか」
労わるように椅子を譲ると、口元に手を当てくすくすと笑われた。
「ふふっ。これ以上私のする事を無くすつもりなの? 結婚当初はびっくりしちゃった。朝起きたらリビングにいい匂いが満ちていて、テーブルにご馳走がたくさん並んでいるんですもの」
「あれは標準的なモーニングだよ。君も知っているだろう?」
「私はお姫様じゃないわ?」
「十年も執事をしていたんだ。つい、癖でね」
「ふふ。それでもやり過ぎよ?」
「……だって暇なんだよ。私みたいな老人は、朝早く起きてしまうから」
バツが悪そうに視線を逸らすと、予想外ににこっと手を握られる。
「でも、嬉しい!」
ふわりと笑みを浮かべたリリィに、自分は遂に耄碌したのかと目を疑う。
だって、一瞬――
「天使が舞い降りたかと思った……」
つい零すと、リリィは真っ赤になって手を引っ込めた。
こんなくさい台詞を顔色ひとつ変えずに言ってのける奴が世にいるなんて。戯曲のロミオもびっくりだ。
だが、幼い頃から他のメイドのお姉様に混じって恋物語を読み耽っていたリリィからすると、これがまた堪らなく良い。
ロマンチストとはまた違う、人生の酸いも甘いも噛み分けたであろうオズワルドから滲み出る妙味。恥ずかしいなどという感情をとうの昔に捨て去った、心からの言葉。
「そ、そういうことを平気で言えるのは、年の功の成せる技ね……」
「そうなのかい?」
「えっ。ひょっとして素なの?」
驚いたように見開いた目がはた、と合う。「これだから若メイドキラーは……」と妻は小さく愚痴を零すがオズワルドには聞こえない。そして、思い直したように再び手を握る。
「でも、そういうことなら私も朝は早く起きる! そうして一緒に散歩に行きましょう? 適度な運動はお腹の赤ちゃんにも良いもの! それにね――」
リリィはまだ若く、照れ臭い気持ちを捨てきれない。しばしもじもじと指先を遊ばせ、彼女は呟いた。
「朝起きて隣にあなたがいないと、寂しいの……」
なんだそれは。
「可愛いね」
「あなた、そういうところよ!? よく恥ずかしげもなく――」
「ん? 褒められるのは嫌だった?」
「そんなことない……好き……大好き……」
「ならよかった。じゃあ、明日から早朝は一緒に出掛けよう」
「はい……!」
これ以上ない晴れやかな笑みに、オズワルドも「ありがとう」と同様の笑みを返した。
「そういえば名前はもう決めたの? 魔法使いの占いによれば、性別は男の子だって」
リリィはにこりと微笑み、
「アーサーよ!」
と、そう答えた。オズワルドは心臓がどきりと止まるかと錯覚する。
(そうか、私が十七の頃、リリィはまだ生まれてないから知らないのか……)
まったく、何の因果なのか。よりにもよってその名を選ぶとは。
しかし、過ぎ去ったことをいくら気にしても仕方がない。お腹の子と『彼』はまったく関係ないのだから。
オズワルドはゆったりと頷き、言葉を返した。
「素敵な名だね」
生まれて来る子がどんな子になるかはわからない。しかし、リリィが母親なんだもの。きっと良い子に育つに決まってる。
そうして月日は過ぎ去って、ふたりは元気な男の子を授かった。若い頃の自分に似た鋭い目元に幾ばくかの懐かしさを覚える。
「リリィ。私に素敵な思い出と宝物を、ありがとう」
素直に述べると、出産の痛みにも涙を零さず耐えきったリリィは堪えきれなくなってわんわんと泣き出した。
「やれやれ、仕方ないですね……」
そう言って、零れる涙をハンカチで拭うオズワルド。いくらこの先耄碌しようとも、あの日の嬉し涙を忘れることは無いだろう。
しかし喜びも束の間。いくら執事として長くやってきたオズワルドでも赤子の世話は専門外。四十過ぎにして抱っこにおんぶに寝かしつけ……さすがに身体のあちこちにガタが来る。毎日のように悲鳴を漏らすオズワルドを、リリィは支えながらも楽しそうに眺めていた。
幸せだった。初めての誕生日、初めて歩いた記念日。カレンダーはお祝いの日付でどんどん埋め尽くされていった。本当に本当に幸せだった――
息子が、十四歳になるまでは。
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