桜の木の下で、また君と

 その日は私にとって特別な日だった。

 私、二四歳の佐倉歩美は、鏡に映る自分の顔をまじまじと見ながら化粧下地を丁寧に整える。

 どんなものだって、下地がしっかり出来ているかで結果と言うのは大きく変わる。

 化粧下地に関しては、肌の凹凸を無くすことでその後のファンデーションのノリが違うし、化粧崩れを防いでくれる。

 化粧下地の上にパウダーファンデーションをパフで肌の表面に滑らせる。ムラができないように丁寧に慎重に。

 それが終わると今度はチークを塗った。頬にほんのりとしたピンクが乗っかり血色がよく見える。チークは薄すぎても、濃すぎてもいけない。

 自分に合うチークを見つけるまでかなりの時間を要した。

 今度は、ビューラーでまつ毛を上げる。根元・中間・毛先の三段階に分けることで綺麗に仕上がる。アイシャドウを薄めの色から入れて目元をクッキリと見せる。

 そして瞼を持ち上げ目線を下げて目尻から少しずつアイラインを引いていく。マスカラも忘れず丁寧に回しながら慎重に塗る。

 今日の私のメイクはいつもより大胆で、けれども落ち着きのあるものだった。

 服もこの日の為に準備した。

 いつもはあまり身なりに力を入れない私だが今日は、彼との約束の日だ。

 そう、今日二月二十九日は私たちにとって特別な日なのだ。

 二月二十九日は、四年に一度訪れる閏年。

 私たちはこの日だけ会うと決めている。

 いや、この日だけしか私たちは会うことを許されていない。

 私は別にロマンチストなんかではないが、この関係はどこか織姫と彦星を彷彿とさせ、彼らの方が年に一度出会えるのだから羨ましいなと少しばかりの嫉妬を覚える。

 彼との待ち合わせ場所は決まっていつもの場所。

 思い出の桜の木の下。

 その桜は公園の真ん中に一本だけ植えられていて堂々とした大木が風格を見せている。

 例年春には満開の桜が目一杯咲き誇り、圧巻の一言に尽きる。

 その公園の正式名称は木の下公園と言うのだが、あまりにも桜が印象に残るため、皆一様に桜公園と呼んでいる。

「歩美、今年も来てくれた」

 私が桜公園に着くなり、彼は嬉しさを隠すための照れ笑いで、えくぼを見せながら言った。整った顔をくしゃっと崩すところが昔からずっと変わらない。

「当たり前じゃない」

 私もどこか恥ずかしく彼の目を見れず少し下を向きながら話す。

 そんな私に彼は「四年振り何か変わった事はあった?」と、私の姿をまじまじと見ながら聞いた。

「大学卒業して就職したよ」

 私がそう言うと彼は、「確かにどこか大人の女性になった感じがする」と納得した風に、あの日から何も変わらない彼が言った。

「たぶん化粧の仕方とか、服もさ、気を使ってみたんだけどそのせいかな……どう?」

「うん。すごく似合ってる」と今度は彼が少しうつむいて言った。耳が赤くなっているのが見て取れた。お互いに緊張していてそれがお互いに伝わってくる。ぎこちない会話がそのまま続き、ぎこちない時間が流れる。

 四年間の想いや話したいことは沢山あるのだが、彼を目の前にすると用意していた話題が何も出てこず、頭の中が真っ白になってしまう。

「彼氏は?」

 唐突に彼が私に聞いてきた。

「そんなのいないよ。仕事で精一杯」

 私の答えを聞いて彼は少し安堵した顔を見せる。

「仕事……無理してない?」

「無理はしてないよ。今の仕事好きだし。でも、大人って色々大変。毎日上司や取引先に気を使ったりしないといけないし」

「そうなんだ」

「貴方が羨ましい」

 ……あ、私はつい彼の気持ちを考えず不用意な言葉を言ってしまったと自覚する。

 彼の顔はどこか暗くなった様に見える。

「……」

「ごめん。今のは違うの。えっと……なんていうか……」

「大丈夫。気にしてないよ」

 彼は元の表情に戻り笑顔を浮かべ言った。

 他愛ない話が尽きたところで、「えっと、また四年後も私ここに来るけど、次来るときは私どんな風になってると思う?」と私は彼に尋ねた。

「そうだね。次会う時は二八歳だからもっともっと、大人らしくなってるんじゃない?仕事がバリバリ出来るお姉さんみたいな」彼はキャリアウーマンってやつ?と付け加えあどけなさの残る顔で笑って言った。

 私も一緒になって笑った。

 私は今、二四歳だが四年前の二十歳だった頃に今の自分が想像できたかと言うとそんな事は全然なかった。

 元々やりたい仕事があり、漠然とその業界に入るものだとばかり思っていたのだが、蓋を開けてみると全く違う畑で仕事をしていた。

 人生とは何が起こるのか分からない。

 現在働いている仕事はやりがいがあり面白い。

 もし、二十歳の頃の私が今の私を見たら一体なんて言うだろうか。

「夢を諦めたの?」はたまた「いい仕事見つけたね」と褒めてくれるだろうか。

 分からない。分からないが人生は選択の連続だ。沢山の中から一つを選ぶ。

 選択を続けた先に将来の自分があり、大人になるということは何かを諦めて、また別の何かを手にする者の事を言うのだとこの四年で知った。

「それじゃあ、また四年後に会おうね」

「待ってる。四年後にまたここで」

 私は振り返ることなく彼の元を後にした。


 あれから四年の月日が流れる。

 二八歳になった私は四年前と同じように鏡をみて自分の身だしなみを整える。

 彼との約束の日だ。

 彼の元へ私は向かった。あの桜公園へ。


「今回も来てくれたね」

「当たり前じゃない」

「ねぇ、一つ聞いていい?」彼はそう言って質問してきた。「隣にいる子は誰?」私にくっ付いて離れない男の子のことを言っているのだろう。


「……私の子だよ」

「え?」

「私の子供。私、結婚したの」

 彼はそれを聞いて小さく「そうなんだ」。と呟いた。

「お母さんになったんだ。……キャリアウーマンじゃなくて」

「うん。そうみたい。四年の間に結婚して子供も出来た」

「俺てっきり……」彼は歯切れ悪く言う。

「てっきり何?」

「いや、なんでもない」

「好きだったよ。貴方のこと」

 私は四年間……いや、ずっと秘めていた想いを彼にぶつける様に言った。

「え……」それを聞いて彼は嬉しさの中に戸惑いと困惑の表情を見せる。

「好きだった。いや、今でも貴方のことずっと好き」

「なら、なんで?」

 なら、なんで?その言葉は私の胸にズキっと、痛くずしりと重みがのしかかった。

「貴方は私にとってかけがえのない人。忘れられない人。……でも貴方はもうこの世にいない」

 十二年前の二月二九日。彼は事故でこの世を後にした。

 当時高校生だった私はその知らせを聞いてわんわんと泣いた。

 幼なじみだった彼が……想いを寄せていた彼が急にいなくなってしまった。

 けれど何故だろう?四年に一度訪れる彼の命日二月二九日にだけ彼に出会うことができた。公園の桜の下で数時間だけ。彼は当時のまま変わらない。高校の制服を来てどこか子供の様な顔を残したまま時が止まっていた。最初は夢かと思った。誰かに相談しようとも思ったが、こんな事誰に言えるでもなく、私は誰にも言えない初恋をずっと胸に抱き続けていた。


「私ね。この四年間……いいえ、貴方が居なくなってからずっと考えて分かったことがあるの」

「分かったこと?」

「うん。人はさ、出会いと別れを繰り返すものなの。どんなに長く居たいと思っても必ず別れが訪れる。でも、その別れの先には新たな出会いが待ってるの」

「それじゃあ、君は僕を置いて新しい場所へ行くっていうの?」

「そうじゃない。きっと出会いと別れを繰り返して巡り巡ってまた貴方に出会う」

「……どう言うこと?何を言いたいのか、僕には分からないよ」

「貴方も次に進むのよ。私がそうした様に。私は過去に囚われることをやめた。だから貴方も貴方の道を歩むの」

「僕はもう死んでいるんだ。先なんかあるわけないだろ?」

 彼の声は震えていてその中には悲しみが含まれていた。

「ううん。そうじゃない。……あのね。私今お腹の中にもう1人赤ちゃんがいるの」

「……そうなんだ」彼はよかったねと言う反面それで?と言う顔をする。

「この子の名前もう決めてあるの。祐って名前」

「それって……」

「そう、貴方と同じ名前」

「……」

「きっと私たちは、繋がってる。絶対どんな形でもまた出会うことができるはずよ。だから貴方も恐れないで新しい場所へ向かって」


 それを聞いて彼の表情は今まで見たことない柔らかいものに変わった。


「いつのまにか君は大人になっていたんだね。僕はずっとあの日の一六歳で時が止まったままだ。けど君の言う通り僕も新しい道を行く時が来たのかもしれない」

「うん。ここで私達は、お別れ。……また新しく出会うためのお別れ」

 私はそう言いながら目から涙がポロポロと溢れ落ちていた。

 最期に彼とハグをした。どれくらいの時間だったか分からないが気づけば目の前に彼の姿はなく桜の木が雄々しく立っていた。

 彼とのハグはどこか暖かく、それをお腹の中でも感じている。

 もう、四年後にここを訪れることはないだろう。

 明日から三月が始まる。

 ちらほらと花が咲き始め、新たな春が直ぐそこまで訪れていた。

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