第2話 翼持つ虎
安宿には労働者が多い。
今この国はゴールドラッシュに沸いている。
二つの山が重なるように並ぶニーズヘッグ山。そこから金が採掘されたのだ。一山当てようと人がわんさか押し寄せる。
いいことばかりではない。落盤事故が頻発し、魔物が大量発生し始めた。
昔からあの辺には言い伝えがあり、「龍の眠る所龍脈あり。何人も二つ首の龍を目覚めさせてはならぬ。目覚めれば地獄の門が開くであろう」
言い伝えは眉唾だが、冒険者の仕事が増えたのは間違いない。
俺は男臭い最低ランクのボロ宿に戻り、堅いベッドに倒れ込んだ。クランツたちは今頃お楽しみ中か。
「えーん! 俺もご褒美ほしいほしいほぢいー」
だだっ子になっていたら、隣室から怒鳴られた。全く、大人のすることではなかった。反省している。
左手のブレスレットをかざしてみたが、がらくたにしか見えない。今の俺みたいだ。
明日はどんな顔をして二人に会えばいいかわからない。
考えているうちに眠気が襲ってきた。枕元の壁にボルトアクションライフルが立てかけてあるのを確認する。親父の形見だ。滅多に使わないが、手入れは怠っていない。
うとうとしていると、風のうなり声のようなものが聞こえた。うるさい。窓は締め切っている。気になったので少し外を眺めてみた。
通りを逃げまどう人々の姿が目に飛び込む。血の臭いと、怒号と悲鳴が渦巻く。まるで戦争が起きたみたいだ。
ここはアスガルド帝国統治領だ。暴動が起こることはまずない。それも人間に限った話だ。
猫を大きくしたような生き物が、人間を襲っている。純白の毛並みに青い縞の入った獣だ。体長は大人の男と同じくらいだが、瞬発力がすさまじく容易に喉元に食らいついてくる。
俺は床にしゃがみ、息を殺した。思い出せ、あれはなんだ。
ガリガリという音で目を上げる。窓枠に爪を立てる物音だった。獰猛な牙を持つ獣が黄色い目で俺を射すくめた。
ここは二階だ。それで思い出した。こいつはグリフィンタイガー。
別名、翼持つ虎だ。
「くそっ……、マジかよ!」
虎がよじ登ってきてる。俺は悪態をつきながらも、銃を手に取る。
姿勢を低くし、うなりながら虎は侵入してきた。
やるしかない。俺は死にたくないから。腹の底に冷たいものが溜まっていく。
虎は直線的に向かっては来ない。壁や天井を疾駆して、俺に肉薄する。まるでつむじ風。狭い部屋なのが仇になった。軌道は予測できる。肩の力を抜いてほんのわずか、指を動かすだけでいい。
「ギャウウウン!」
右腕の付け根を銃弾が貫いた。虎はベッドに叩きつけられ、苦悶の絶叫が尾を引く。皺を刻んだ眉間からは純粋な怒りが伝わってくる。
「ごめんな」
虎の眉間を銃弾が抉った。ベッドシーツが血に染まる。
俺の親父は腕の立つ猟師だった。村で一番、いや世界で一番だと俺は今でも思う。
そんな親父が熊に襲われて死んだ。熊といっても小山ほどある奴で何人も人を喰っていた。
周りは俺に敵討ちを期待した。正直俺はやりたくなかった。あの熊が自分の縄張りを動くことは滅多にない。人間が勝手に山にわけ入り、住処を荒らさない限り害はないのだ。
説き伏せられた俺は罠を張り巡らせ、熊と知恵比べをした。思えばあの熊が俺の第二の師匠だった。
どうすれば獣を狩れるのか。あらかたの戦略をたたき込まれたところであっさり熊は死んだ。寿命だった。
父親を二回失ったようなそんな感覚を味わった。でもあの時、熊を撃たなかった俺に生きる資格があるのか、時折考える。
「さて……」
俺はグリフィンタイガーの死体を調べ始めた。何か薬を投与された痕跡はないか、人為を疑う。
虎が人里を襲うケースはまれだ。よほどの飢えか危険がない限り。
この個体は毛艶もいいし、飢えていたわけではない。虐待の痕や注射痕もなかった。
考えられるのは魔法か。できないことはないが何のために……
宿の扉の開閉音がやかましい。騒ぎが大きくなってきている。虎は一頭ではないらしい。
虎が群れになって人を襲うなんて話は聞いたことがない。嫌な予感がする。
外に出てみると、悪い予感が的中した。
民家を踏みつぶす巨大な手足と、不気味な影が街を覆う。二階建ての家をゆうに超える虎がお目見えしていた。体表を青白い鱗粉のような炎が舞っている。
「女王個体……!?」
獣たちを統べる獣の王。それが女王個体。
ありえない。S級討伐対象の化け物だ。こんなの手に負えるわけがない。街は壊滅、いや皆殺しにされる。
ぐるんと、月を隠すような大きな顔が俺を見下ろす。
そのままどすんと伏せるように民家を押しつぶして俺の前に鼻を近づける。轟音と衝撃で俺は腰を抜かしていた。
「弱肉強食か……」
逃げたってどうせ無駄だ。俺はここで終わり。親父みたいな猟師になれなかったけど、いいよな。仕方ないよな。
「グルルルル!」
虎が血走った目で威嚇する。気づけば俺は銃を持って狙いをつけていた。どうして俺はこんなにも生きたいんだ。歯を食いしばって、体もろくに動かないのに。カッコ悪い。
虎がうなった衝撃で、俺も周囲のがれきも吹き飛ぶ。
消えそうな意識の中、左手のブレスレットが強い光を放っていた。
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