第6話
楽しいとか、楽しくないとか。
漠然としている様に思える。
例えば歌うのが好きな人は歌っている時は楽しいと感じていると思うし、僕自身フィギュアを眺めている時や作ったり色を塗ったりしている時は楽しんでやっている。
それなら、作る事や色を塗る事が【楽しい】のかと言われるとそれは違うと思う。人それぞれと言われればそうなのだけど、道井杏が求めているのはそんな理由じゃなくもっと核心を突いた答えを聞きたいのだと思う。
「楽しい? まぁ俺はリアルタイムで楽しいと思う時は少ないかな」
「そうなの?」
「成峻はちがうのか?」
「うーん……」
武明に尋ねると意外な答えが返ってきた。だが、彼が言う様に楽しい瞬間を感じる時は少ないのかもしれない。
「俺だけかもしれないけど、友達と怒られた時とかも思い返したら楽しいと思うぜ?」
「いやいや、流石にそれはないでしょ?」
「いや、マジなんだよ。なんていうか、その時があって今があるみたいな?」
彼が嘘を言っている様には思えない。それに嫌な思い出が楽しくなると言う事とするならば、僕にも心当たりがあった。
「わからなくもないけど。という事はやっぱり記憶なのかな?」
「どうだろ。別にいいんじゃね? 【楽しい】事を探すのが人生みたいなものだろ?」
「確かに、人生の命題みたいな気もしないでもないかも……」
期待していた武明でさえ、答えは見つからなかった。いや、見つからないというよりは彼はそれを受け入れた上で今を必死に生きている様な気がした。
案外こう言った問題は、答えが無いという事が答えなのかもしれない。成宮にも聞いてみようと思っていたのだけど、武明の事を気にして聞かない事にした。
正直幾ら考えても答えは見つかりそうもない。その日僕は期限を切るという意味をこめて、今思っている事を整理して道井杏に伝えようと思い彼女に宣言する事にした。
「明日の放課後、宿題の答えを話す時間をくれないかな?」
「明日?」
「うん。頑張って纏めてみるよ」
「わかった。期待してる」
こうして僕は、彼女にどう伝えようかと必死に考えた。満足いかない答えになるかもしれない、それでも自分なりのベストな解答で道井杏に「なるほど」というだけでも言わせたいと思った。
家に帰ると、ノートを取り出し今の考えを書き出してみる。
思いついた事。
武明と話した内容。
僕が【楽しい】と思った時の事。
書き出していくうちに、自然と楽しかった時の事を思い出して、いつの間にかそれ自体が楽しく感じられる様になっていた。
うん。今も楽しいかもしれない。
武明が言う様に、意識しなければ何日かしてから【楽しい】と思う事になっただろう。意識する事でこの瞬間も楽しめていると言うのは彼の答えが限りなく正解に近いからなんじゃ無いだろうか?
気がつけば時計は二時を回る。
僕の中で考えが纏りそうになった所で、頭を使い過ぎたのか睡魔に襲われる。休憩のつもりでベッドに寝転がると、気がつくと朝になってしまった。
結局僕は、曖昧なまま学校へ向かう事になる。
それでも一晩考えたおかげで、なんとなく自分の言葉にはする事が出来たと思う。
チャイムが鳴り、隣に座った道井杏は期待していると言わんばかりに笑顔を向けた。
そりゃあ、期待するよな。
それでも『これでいい』と言った答えにだどりついていない事にもどかしさを感じていた。
「なんだ? 眠そうな顔して、昨日フィギュアでも作っていたのかよ?」
昼休み、一緒にご飯を囲う武明がそう言った。一緒にゲームをした日から時々お昼はあの時の四人で集まる様になっている。
「もしかして、あの件?」
「うん……まぁ」
「なになに? あの件って?」
「ちょっと道井さんと約束しててね」
成宮さんは、目を細めると「怪しい……」と呟いている。
「宿題を出しているだけですよ?」
「宿題?」
「ちょっと、成峻くんに聞きたい事があって」
すんなりと話した事に驚いていると、成宮さんが膨れ始める。
「杏ちゃん、なんであたしには未だに敬語なわけ?」
「それは……旭さんは旭さんだから」
「もう、そんな仲じゃ無いでしょ!」
「だって成峻くんも成宮さんって呼んでますし」
これはとんだとばっちりだ。
すると案の定、彼女の矢印が僕に向いたのがわかる。単純と言えば単純なのだけど、わかりやすい所が彼女のいい所でもある。
敵意を向けるかの様に「成峻〜」と彼女は僕の方に前のめりになった。
「いやいや……僕に振られても……」
すかさず武明に視線を送ると、
「なんだよ、なんで俺を見んだよ」
「いや、なんとなく」
「友達なんだし、別にいいんじゃねぇか?」
彼は特に気にする様子もなく、さらりとそう言って退けた。仕方ないので、僕は渋々「旭……」と呟く。
「よしっ! 次は杏ちゃんの番!」
「ええーっ。わかった、成峻くんが言うなら……」
そう言って、彼女も成宮さんを旭と呼び出来るだけ僕と話している様な喋り方で話す事になった。ただ、なぜ道井杏は成宮旭に気を遣っているのかは僕には理解が出来なかった。
結局、武明にも成宮旭にも話を振る事ができず、僕は答えが纏まらないまま放課後を迎えた。
終礼が終わり、クラスメイト達が帰りの支度を始める。武明と旭も何か用事がある様子で、「じゃあな」と言って他の友達と仲良く帰ってしまった。
話し声が次第に小さくなり、教室に静けさが広がっていく。昼過ぎの少しノスタルジックなオレンジ色の混ざった光が教室に優しい影を落とす。
道井杏は鞄を机に置いたまま僕の後ろに立った。
窓を開けたのがわかったものの彼女から声を掛ける様子はない。多分僕が話しかけるのを待っているのだろう。
振り向くと彼女は、そのアッシュ色の髪を靡かせ窓から入る風と、オレンジ色の光が差し込み美しくも幻想的に見えた。
「道井さん……」
不意に言葉を漏らすと、彼女は振り向いていつも通りの笑顔を向けて言った。
「私は待っているのだけど? 君の答え、聞かせてくれないかな?」
約束だったのはわかっている。
だけど……
「なんで僕なんだよ?」
彼女はゆっくりと僕の前に立った。
「初めて会った時に『人間か?』って聞いた君ならちゃんと答えてくれると思ったからだよ」
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