Novelber 2021

尾八原ジュージ

Day1 鍵

 最初は本当に偶然だったのだ。

 大学の研究室で、帰ろうとしたノッコが「あっ、鍵がない」って言ったから、とっさに「じゃあうちに泊まる?」と誘ってみたのだ。

 実際にツルッと口からその言葉が出て、我ながらびっくりした。ノッコとは同期だし、普通に話したりはするけど、お泊りするほど仲がいいわけじゃなかった。ただわたしが、彼女の華奢なところとか白い肌とか真っ黒でさらさらな髪とか笑うと表情がくにゃってなるところとか、そういうところに憧れていただけだった。だからこんなふうに家に招くなんて、今まで考えたこともなかった。

 ノッコはぱっちりした目でわたしを見て「いいの?」と言い、くにゃ〜っと笑った。で、わたしの住んでるアパートの狭い部屋に一晩泊まって、おしゃべりしたり夜食を食べたりした。ノッコの話す声は高く澄んでいて、まるできれいな小鳥が家に迷い込んできたみたいだった。

 かわいくっていい匂いのするものが部屋にいるって、とても素晴らしいことだ。事実わたしはその晩めちゃくちゃに有頂天だったし、ノッコが帰ってしまうと反動でひどく寂しくなって、ひとりの部屋でペットに逃げられた子供のように泣いた。


 それからノッコはよく自宅の鍵をなくすようになった。

 というか、わたしが盗って呑んでいるのだ。

 ノッコはキーホルダーをつけないから、わたしは人目がないタイミングを見計らい、ただの鍵をそのまんま、ゴクリと喉の奥に落としてしまう。適当なところに隠したりすると、意外と目ざといノッコはすぐに見つけてしまうのだ。

 鍵をなくすとノッコはわたしの部屋に泊まりにくる。もうそれが恒例になっているから、その流れにはもう何ものも介入することがない。鍵の複製や取替に少なからぬ費用がかかっているだろうことは申し訳ないけれども、わたしは鍵を飲むことをやめられない。せめてもの罪滅しに精一杯ノッコをもてなすことにしている。

 鍵は体外に排出されず、わたしのお腹の中に留まって、時々カチャカチャ音をたてる。もう何本呑んだか覚えていない。もしもわたしが謎の死を遂げて司法解剖が必要になったら、開いたお腹からたくさんの鍵が出てきてみんなが首を傾げるんだろうか、と考えるとちょっと愉快だ。


 最近は「たぶんノッコもわたしのやってることに気づいてるんだろうな」と思うことが増えた。きっと知っているから、彼女は頑なにキーホルダーをつけないし、わたしの部屋に歯ブラシだの部屋着だのを置いていくし、研究室でわたしを見てくにゃくにゃっと笑うのだ。

「ヨーコが歩くとなんかカチャカチャいうよね、かわいい」

 わたしの部屋に置きっぱなしにしているふわふわの部屋着に着替えたノッコは、妊婦さんのお腹に耳を当てる旦那さんみたいに、わたしのお腹に抱きついてくる。わたしはちょっと冷や汗を垂らしながら、でもしあわせだなと思って、ノッコのつむじを眺める。

 たぶんわたしのお腹から、ノッコの家の鍵がざくざく出てくるところを彼女に見つかったとしても、ノッコはきっと許してくれるだろう。なんだか、そんな気がする。

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