「あのときのリテイカー」
「勝手に人ん家入ってくんじゃねぇー!」
家主である秋月さんの怒声と共に空のペットボトルがこちらへ投げつけられる。
なんだこの家は。
ゴミだらけではないか。
総平は飛び道具を受け流しつつ「今どんな感じ? 難航してます?」と秋月さんではなくその手前であぐらをかいているクリスさんへ問いかける。
「この本は秋月千夏に託すことにしたんだ」
クリスさんは淡々と答えた。
対して「えっと、それは、どういう風の吹き回しで?」と我が耳を疑うように聞き返す。
状況を整理したい。
「え、何その血。やば」
最初からこういう柄だったとは言い逃れできないような血痕の残る服を着たまま、総平はぼくを引き連れて秋月さんの家まで歩いてきた。
これは総平が何かしでかしたりケガをしたりしたのではなく、白菊美華を刺傷した智司を抱きしめた際についたものだとぼくから秋月さんに説明させていただきたい。
ここへ至るまでの道のりで誰からも通報されずに済んだのは幸いである。
「というか、わたしが持ってちゃまずいコトある?」
総平に突っかかっていく秋月さん。
ぼくにはまだ“偽アカシックレコード”とやらの全貌が理解しきれていない。
白菊美華はやたらスケールの大きな話をしていたが、その“偽アカシックレコード”が秋月さんの手元にある本らしい。
彼女の言葉からイメージしていたものより粗末で薄い本に見える。
「誰にも渡さないし。わたし“が”世界を救うために必要なんだし」
ぼくの視線に気付いたのか、秋月さんは本を自らの身体の後ろに隠す。
一度実物を目にした真の“アカシックレコード”が百科事典のサイズだとすればハイスクールの教科書ほどのサイズだ。
それでいて『世界を救う』とは。
「この世界は2010年の8月25日に能力者が全滅した後に俺が【創造】した“偽アカシックレコード”の世界だ」
2010年?
今年は2022年のはずでは?
12年前に、全滅した?
「それさっき聞いた」
「風車と篠原の2人に話しているんだが」
秋月さんには既知の情報だろう。
ぼくにとっては初耳だ。
総平は「それで?」と続きを促している。
「1ページから最終ページまでは1年間だ。俺はありとあらゆる手段で全滅するエンディングを回避し“最善のエンディング”を目指した。一度目(2011年)に気付いたのは“最終ページから1ページ目に戻るときに登場人物の記憶はリセットされること”だ。最初から物語の終焉を知っている登場人物がいてはおかしいからだ」
ぼくの現実は現実ではなく、ずっと現実だと思い込んでいただけにすぎず。
ここはあくまで物語の中の世界であって、クリスさんの考える“最善のエンディング”に辿り着くまで繰り返されてきたと。
総平は「俺が気付いてクリスさんに相談したとき、どんな気分でした?」と腕を組んで訊ねる。
「物語の中の登場人物は“自身が物語の中にいると自覚できない”はずだったから、それなりに驚きはした。わざわざ登場人物たちの手が届かない“第四の壁”の上に“偽アカシックレコード”を置いて認識の外に追いやったんだが」
ぼくも今の今まで気付いていなかった。
このぼくがフィクションの存在か……。
「マジ? 自力で気付いた?」
「結局頼りになるのは記憶より記録だって学んだから、かな」
「年の功ってヤツ?」
この物語の外の世界、“第四の壁”の向こう側にぼくは存在していないのだろう。
2010年時点で“能力者”が全滅しているのであればぼくもまた故人である可能性は高い。
「わたしからも質問イイ? ダメでも聞くケド」
「ダメとは言わないが」
「よっしゃ。神佑大学附属高校はなんで死人ばっかだったの?」
ぼくはこれまで何のために生きてきたのか。
ここから先の未来なんてものが存在しないのなら。
これまで積み上げてきた努力とは何だったのだろう?
「あれは風車宗治の最後の『人生をやり直したい』という望みと俺の【創造】とが噛み合って出来上がったもので、俺としては誤算だったが……結果としてみれば“知恵の実”を無力化する鍵を回収できてよかった。考えてみれば神が佑くで神佑か」
「でも“知恵の実”を阻止しても
総平に話を振られたぼくは「あ、ああ」と気のない返事をする。
そっとしておいてほしい。
「13回目にして理解したが“過去に確定した事象は変えられない”ようだ。どうあがいても、原因を取り除いても、“死”だけは確実にやってくるんだ。本来ならば“知恵の実”が暴走するはずが、“知恵の実”がなくなり、横道に逸れそうだった歴史を元通りに修正するために白菊美華が動いたんだろう」
そして返り討ちにあった、と。
智司は死体ふたつが転がったままの風車邸に放置してここに来てしまった。
明日でこの世界がまた最初に戻るのであれば、その後何があろうともリセットがかかるので関係ないという判断か。
もしあの錯乱状態の智司をここに連れてこなければならなかったのだとしたら、それは至難の業だっただろう。
「お前は賢いから言わなくとも勘づいていそうだが、篠原」
「……幸雄くんは6回目に何があったか俺から聞いたもんね」
天平先輩に首をへし折られた話だろう。
よく覚えている。
他の日記帳でも(多少の日付の前後はあるが)ぼくは死んでいた。
名前の記載がないこともあったが、その時は総平との関わりがなかったと考えられる。
「“偽アカシックレコード”の登場人物には、エンディングまでスムーズに物語が進んでいくように役割を与えたんだ。……だが、お前にヒーローは荷が重すぎたようだ」
そちらからヒーローに割り振っておいて“荷が重すぎた”?
反論させてほしい。
「ぼくほどヒーローにふさわしい人間はいないでしょうに」
「俺は『前だけを見て、悪を滅するヒーロー』を望んでいたんだが、お前は大事な場所を奪われても慕っていた後輩を喪っても何度騙されても怯えて震えていただけじゃないか」
それは。
相手を殺せば全てが解決するのであればぼくだってそう……しない……。
何があっても殺人は正当化できない。
どれほど憎かろうと、ぼくは復讐をアンサーとして選べない。
だからキャサリンを送り出しはしたが、キャサリンと共にニューヨークへ渡ることはしなかった。
「わたしも頭よろしいんで気付いちゃったコトある」
「なんだ?」
「もしかしなくても13回目のわたしの人生そろそろゲームセット?」
腕時計を見て再確認する。
今日の日付は2022年の8月24日。
この世界の仕組みとして明日にはリセットがかかってしまう。
全てを忘れて14回目。
8月の25日のぼくは、作倉部長からオーサカ支部への転勤を伝えられる。
「さっき『明日はお前の命日だ』と伝えたが」
「やっぱ時間ないんじゃん!」
立ち上がる秋月さん。
本をパラパラとめくり、最後のページの文字列を目で追いかける。
「そもそも、明日までって最初っからわかってたんなら言えよ! クリスさんにはまだいっぱい時間あるカモだけど、わたしにはやりたいコトいっぱいあるワケ!」
「全部14回目に回せばいいんじゃないか?」
「それマジで言ってるの?」
「お前の手には“偽アカシックレコード”もあるからやりたい放題だ」
そうじゃん! やったー! と怒りを喜びに転換させる秋月さん。
総平は「絶対渡す相手間違えてると思う」とつぶやいた。
「なんだと!」
聞こえていたらしい。
机の上に転がっていたボールペンを右手に握るとカチカチとペン先を出し入れし始める。
「あんたらがゴタゴタやってる間、わたしはこの“偽アカシックレコード”を手に入れるために波瀾万丈の大冒険を繰り広げてたってワケ。この苦労、おぼっちゃま達にはわかんねぇだろぉなー」
ぼくも含まれているらしい。
ゴタゴタやっている、と一言でまとめられてしまった。
こちらとしても紆余曲折あったというのに。
「わたしは昔っからあんたのコト嫌いなんで、出禁にするわ出禁」
「俺?」
「宗治くんも自分より年上の息子がいるのって複雑だと思うの」
本にボールペンで文字を書き連ねる。
すると、足元から総平の姿が消失していく。
「総平!?」
自分の姿が消えていくのに、総平は「親父はそこまで考えてないと思うよ」とやけに冷静に秋月さんへ言ってのけた。
これが“偽アカシックレコード”の力?
物語の登場人物であるから、消すことすら容易と?
めちゃくちゃだ。
「ところでクリスさん、これ、消えた後ってどこに行くの?」
「俺は消えたことがないからわからないが」
「じゃあ次はクリスさんを消してみよ!」
邪智暴虐の王が誕生した。
総平の懸念が的中した形になる。
渡す相手を間違えてはいないか?
どこに行くかわからない?
……死ぬのでは?
(こんなところで死ねるか!)
オーケー、逃げよう。
これは戦略的撤退であって負けではない。
態勢を立て直し、次なる世界で立ち向かう為の逃亡だ。
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