「アイドリームユアドリーム」
モーニングコールで目を覚ました。
普段ならば電話がかかってくるよりも早く起き上がって支度を始めているというのに。
珍しいこともあるものだ。
「なあ、さっちゃん。今度の土曜日って空いとる?」
朝の挨拶よりも先に、天平先輩はぼくの予定を聞き出してきた。
もぞもぞと起き上がり、カバンを手繰り寄せて中から手帳を取り出す。
今度……今度……。
「ああ、空いてます」
「お! メシ食いに行かへん?」
食事の誘いか。
天平先輩なら能力【転送】のおかげでドアツードアでヒーロー研究課から本部に来ることができる。
わざわざ“今度の土曜日”でなくともいい。
「天平先輩のお誘いなら今日の昼と言われても空けますよ」
「そかそか! でもな、丸一日一緒に居たいんよ。だから、さっちゃんの休みの日がええなと思って」
「ぼくと?」
なんだろう。
そういえば、オーサカ支部にて築山と2人きりだったことは多々あったが天平先輩と2人きりでだったことはなかった。
天平先輩は何かと忙しく(聞くところによれば【転送】が大人数の移動に有用であるため、オーサカ支部の所属であっても本部に駆り出されていたらしい)不在が多かったからな。
「デートしよ、デート」
うーん……?
最近多発するようになってきた聞き間違いの類だろう。
あるいは起きたばかりでぼくの頭がまだウェイクアップしていないか。
そうだ。
一昨日キャサリンから送られてきた紅茶でも飲もう。
「さっちゃんは何したい? あ、でも、トウキョーそんな詳しくないんやったか。あたしが考えとくわ。ゆりかごから墓場まで、ってやつやんなー」
「……使い方間違ってますよ」
「あんま乗り気やなさそうやん?」
天平先輩は冗談を言っている声色ではない。
フェイスツーフェイスでお互いの表情が見えていたらどれほど楽だっただろう。
紅茶を注ぐために一旦スマートフォンをテーブルの上に置こうとして、うっかり床に落としてしまった。
拾い上げてから「天平先輩には総平がいるでしょう?」とぼくの口から告げる。
ところどころ曖昧模糊な記憶だけれども、風車総平は天平先輩の婚約者だったはずだ。
「それがどうしたん?」
想定外の答えに手が震える。
その語調はあまりにも軽すぎて、脳の検査だけでなく耳の不調をも疑ってしまった。
まるで“総平のことなどなんとも思っていない”かのように聞こえてしまう。
「あのな、さっちゃん」
間を置いて、天平先輩が語り出す。
ぼくは築山を“支部長としか見ていなかった”と反省した。
天平先輩のことも“先輩としか見ていなかった”のではないか。
「総平さんのことは大好きやけど、あたしはさっちゃんのことも大好きなんよ。先輩後輩としてやなくて、一人の男性として」
「浮気では?」
かろうじて出てきた言葉だ。
天平先輩には届いたと思う。
届いたからこそ、その次に「バレなきゃいいんや」という考えうる限り最低最悪の答えが返ってきた。
身の毛がよだつ。
差し出された好意は嬉しい。
心の底から嬉しく思う。
この気持ちに偽りはないのに、喜びとは異なる感情が湧き上がってくる。
ぼくは何も言い返せずに電話を切って、洗面所に向かった。
(……顔色が悪いな)
鏡で自分の顔を見る。
目の焦点は合っているものの、ぼくの素性を知らない誰かが見たら病院に行くのを強く推奨してくれそうなほどに体調の悪そうな人間の顔色をしていた。
顔を洗おう。
さっき飲もうとしていた紅茶を飲もう。
本部には休みの連絡をしよう。
「ぼくは」
天平芦花の愛情は、真っ直ぐに総平にだけ向けられていてほしかった。
ぼくには不要だ。
届いた瞬間に送り返してしまいたい。
そうでなければ、ぼくは進むべき道を踏み外してしまうから。
「ぼくだ」
ぼくには誰かの代わりはできない。
誰かがぼくの代わりにはなれない。
天平芦花には風車総平だけを愛していてほしい。
何故ならぼくは!
パーフェクトな存在にならなければならないのだから。
ヒーローらしく前だけを見ていよう。
(通院するのにもまだ早い。もう少し寝よう)
「起きて! 起きてください! 起きろ!」
目を閉じた直後に身体を揺すられて起こされる。
一睡もさせてくれないこの声の主に何か言ってやらねばなるまい。
聞き覚えのある声だが、ぼくの部屋にいるのはおかしい。
「つくも」
まぶたを開けると、そこに白菊つくもの顔があった。
つくもは安堵の表情を浮かべている。
目尻に涙が一粒。
ぼくはベッドで仰向けになっていたはずなのに、背中には芝の感触がある。
へその上で組んでいた指を解いて、ベッドであったはずの場所にそっと触れてみた。
「ここはどこ……?」
「よかった! 今回は助けられました! ありがとうございます!」
ガッツポーズしてからお辞儀しているつくも。
上体を起こしてみる。
ぼくは目を閉じてから一瞬にして河川敷に移動していたらしい。
つくもがお辞儀している相手は、つくもと背格好が同一の女の子だ。
「まー、わたしは別のところから篠原幸雄を【移動】させてきただけなんですけど」
背格好は同一で、服装も神佑大学附属高校の制服だが持ち物が違う。
つくもはカバンの類を持っていないが、もう一人はショルダーバッグを斜めがけにしている。
双子か何かだろうか。
「それでも! 篠原さんがここで死んでしまうよりはよいです!」
物騒な単語が聞こえた。
今朝から一体どうした。
(天平先輩といい、つくもといい……)
立ちあがろうとしてめまいに襲われ、地に膝をつく。
力が入らないのは『朝から何も食べていないから』ということにしたい。
そう。
ただ、それだけ。
それだけだ。
「じゃあ、99番はわたしに何をしてくれるの?」
「はい?」
「わたしは
電話なんてかかってきていない。
そういうことにしよう。
忘れるのは得意だろう?
今度の土曜日には何もない。
初めからそうであったように過ごそう。
「お金ですか?」
「いらんわそんなもん」
握り拳を作ったり開いたりしてみるが、思ったように動かせるまでにタイムラグがある。
帰って横になりたいが立ち上がれるようになるまでどのくらいかかるだろう。
つくもに肩を貸してもらえれば歩けるかもしれない。
「お金ではないとすると」
「昔は『目には目を、歯には歯を』とか『右頬を叩かれたら左頬を差し出せ』とか言ってたんで、『命には命を』99番はここでドロップアウトかな」
「え?」
ショルダーバッグを持っているほうが手のひらを天にかざす。
そのかざした手のひらと手のひらを合わせてパチンと音が鳴った瞬間に、つくもの肉体が四散した。
液体が飛んできて、ぼくは顔を背ける。
「あーあ。また欠番ができちゃったよ」
なんてひどい悪夢なんだろう。
過去に“天平先輩と挙式していたところにキャサリンが乱入してくる”といった内容の悪夢を見たことがある。
あのときのナイトメアが過去最悪の出来映えだとばかり思っていたが、軽く上回ってきた。
「逃げないんだね」
顔面の返り血を服の袖で拭き取りながらもう一人のつくもが話しかけてきた。
逃げないのではなく逃げられない。
腰が抜けてしまっているのかもしれない。
この場所に【移動】させられてきてからもう一度立ちあがろうとする。
膝が笑いをやめない。
「篠原幸雄。【疾走】の能力者で“偽アカシックレコード”におけるヒーロー。だっけ。クリスからそんな“設定”を聞いた」
右手の人差し指で自身のあごを撫でながら、思案顔をしてぼくに近寄ってくる。
来ないでほしい。
できれば距離を保ちながら会話したい。
「うんうん。いいんじゃない? やっぱ世界を救うヒーローは誰しもが認めるようなイケメンじゃないとダメだよ」
ショルダーバッグからハンカチを取り出すとぼくに差し出してきた。
この子は誰かと会話しているのか、あいづちのように「わかるー」と言っている。
何もわからない。
なるべく早く夢が覚めてほしい。
「わたしは白菊美華。あなたが『自分の命を狙う敵組織』と勘違いして、秋月千夏が“あなたが持っている”と勘違いしていた真の“アカシックレコード”という本の持ち主。見せてあげようか」
今度はショルダーバッグから分厚い本を取り出しながら自己紹介してくれた。
知恵ちゃんの件で立て込んでいたが、ぼくは知恵ちゃんから“アカシックレコード”に命を狙われると聞かされていたのだった。
ということは。
つまり。
「ぼくも殺すのか……?」
つくもを殺して見せたように。
あれはデモンストレーションで、どう足掻いても逃げ出そうとしても無駄で回避できないのだというアピールだったのだとしたら効果覿面だ。
こうやって後ろにも下がれなくなってしまっているのだから。
「いいえ?」
白菊美華は「こんな中途半端な途中のとこでヒーローを倒したらクリスもブチギレだわ。そういう大一番はフィナーレにとっておかないと」と笑った。
今回は見逃してもらえるのか。
ぼくはこの子に勝たなければならない?
何のために?
どうしてぼくが戦わないといけない?
……オーサカ支部の仲間であったつくもを殺されたから?
「ヒーローって、なんだ?」
ぼくの問いかけに「あなたはパーフェクトに世界を救うんでしょう?」と、白菊美華は答えた。
【渇しても盗泉の水を飲まず】
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