「恋がみみずばれ」



 衝撃的な1日からかれこれ1ヶ月。

 ぼくたちはそれぞれの持ち場について、それぞれの日常を送っている。


「ちゃんと風呂入った? 寝る前に歯磨いた?」

「ぼくは子どもではないので」

「朝ご飯もちゃんと食うんやで」

「食べました」


 天平先輩は総平たちのいるヒーロー研究課の所属となった。

 毎日のように電話をかけてくるので、オーサカ支部の頃とほとんど変わらずに会話できている。

 ぼくがキャサリンと別れてしまったと勘違いしているようで、ぼくの健康状態をいつも気にかけてくれているがぼくはキャサリンと別れたつもりはない。


「向こうは順調なん?」


 このようにぼくを経由してキャサリンの現状を聞き出そうとしてくる。

 別れてしまったのならキャサリンの話題を出せなくなってしまうだろうから聞いていこう、という魂胆なのだろうが、ぼくは今後もキャサリンと別れるつもりはない。


「天平先輩からも連絡したらどうです?」

「それって国際電話にならんの?」

「電話でなくともいいでしょう」

「あー……。まー、あたしが邪魔するわけにもいかんしなー」


 誤魔化されてしまった。

 築山を追いかけるにあたって、キャサリンが何のアテもなく渡米したわけではない。

 築山とキャサリンとの因縁の始まりは例の飛行機事故だ。

 あの事故機はニューヨークに向かっていて、築山自身も“奇跡の生存者”として受けた数々のインタビューで大都市への憧れを語っている。


「今のところは、何の成果も得られていない」


 そこにいるかも定かではない一人の女性を捜す。

 教えられていた連絡先は当たり前のように繋がらなかった。

 あの日のキャサリンとの会話のあと「ぼくもキャサリンについていってはいけないか」と提案したが「キャサリンのリベンジにダーリンは巻き込めないなぁ」と断られている。


「何のインシデントもなく向こうで生活できているから安心してねぇ、とは」

「そかそか」


 キャサリンの心配ばかりしてもいられない。

 築山のもう一台のスマートフォンに入っていた知恵ちゃんは、爆風に巻き込まれてスマートフォンが大破して起動できなくなってしまった。

 聞き出したいことはたくさんあったが、こうなってしまっては何もできない。

 この点に関してはぼくよりも天平先輩のほうがずっと悔しいだろう。


「うわ、もうこんな時間やん。さっちゃん遅刻やないの? 平気?」

「ぼくはいくらでも急げますので」

「遅刻回避みたいなどうでもいいもんに【疾走】するんか」

「とはいえそろそろ出ます」

「おう。また夜にー」


 さて、ぼくもぼくのミッションをこなすとしよう。

 トウキョーでの生活の拠点は本部から歩いて10分ほどのワンルームとなった。

 キャサリンがいなくとも、元々ぼくはトウキョーで一人暮らしをしていた……はずだ。

 他人の支えがなくなってもぼくは一人で生きていける。


(クリスさんからも『前だけを見ていてほしい』と言われたことだし、さほど気にする必要性はないのだろう)


 彼から伝えられた“ぼくの過去”が真実であったとしても、真実だけが正解とは限らない。

 ぼくはパーフェクトでなくてはならない。

 ヒーローであるなら尚更だ。

 過去がどうだの以前はこうだっただのといったファクトに縛られ続けてはならない。

 悩めるときに幾度でも再確認していこう。


「危ない!」


 男の怒声が鼓膜に刺さる。

 見れば、つくもと同じ制服を着た女学生が横断歩道を渡ろうとしていた。

 歩行者の側は赤信号であるが読書に集中していて気付いていない。

 そこにトラックがゆっくりと右折してきている。


「オーケー、理解した」


 次の瞬間には女学生はトラックに轢かれていただろう。

 しかしそれは“ぼくがこの場にいなかったら”という仮定の話だ。

 事故は起こらない。

 トラックの動きよりも速く駆け出すと女学生を抱きかかえて横断歩道の白線の上からアスファルトの歩道へと【疾走】する。


「わっ!?」


 驚いてブックを落とす少女……ではなく、女性だ。

 背格好は学生そのものではあるが、雰囲気は少女ではなく“女性”というのが正確な表現となる。

 神佑大学附属高校だったかの制服を着たその女性は『自分が間一髪のところで助けられた』という状況がうまく飲み込めないらしく、キョロキョロと周囲を見回す。

 それからぼくの顔を見て飛び上がった。


「え、え、えっ、篠原先輩!?」


 女性はぼくのことを知っているようだ。

 ぼくは彼女のことは知らない。

 女子高生の知り合いなんていただろうか。

 いや、いたのかもしれないが、思い出せないということはつまりそういうことだ。


「なんでこんなトコに?」

「なんでと言われても、ぼくは本部に向かうところだ」


 おそらくは同じ組織の人間だろう。

 学生がいないわけではない。

 オーサカ支部で一緒だった学生といえば導とつくもだが、導とはスマートフォンで連絡を取り合っている。

 つくもにもこちらから連絡することはあるが、学生生活が忙しいのか返信の頻度は低い。

 相手は驚いているが、この時間から出勤するのも何らおかしな点はないはずだ。


「あ、いや、そっか。オーサカ支部が解散になったからこっちに戻ってきてたの……?」


 戻ってきてた、とは?

 本部の人間ではない可能性が出てきてしまった。

 かれこれ1ヶ月は経つのに、このぼくが本部にリターンしていたことを知らないなんて。

 このエクセレントなぼくの存在をスルーし続けられるはずがない。


「まあ、短期間で2回も物理的に燃えてるんじゃ解散にもなっちゃうの」


 これは彼女の言う通りだ。

 今となっては1回目の火事のほうも築山が起こしたものなのではないかと疑っている。

 悔やんでも悔やみきれない。

 早い段階で築山の野心を見破り知恵ちゃんを削除できていたら、作倉部長や霜降先輩の死は回避できただろうに。


「ぼくが一歩でも遅ければこの場でアクシデントが発生していただろう。感謝したまえ」

「まじ?」

「シグナルを無視して歩いていた」


 再びキョロキョロする女性。

 自らが横断歩道を渡ろうとしていたことにすら気付いていなかったようで、恥ずかしそうに「あちゃー」と言って読んでいた本で顔を覆った。


「秋月千夏は世界を救わなきゃいけないのに、こんなところで事故死するワケがないの」


 彼女はそう宣言して、持っていたスクールバッグに本をしまう。

 世界を救うとは恐れ入る。

 意地の悪い言い方になってしまうが、もしぼくが【疾走】で彼女を助け出していなかったら今頃この辺には救急車が到着していただろう。


「そういや、本部に行くんなら制服じゃなくてもよかったの」


 一旦帰っちゃおう、まだ時間あるし。

 とぶつぶつ呟きながらスカートを叩く。

 秋月千夏というのが彼女の名前だろうか。

 ぼくを“先輩”と呼んだということはぼくの後輩なのだろうが、どれほど思い出そうとしてもやはり思い出せない。


「篠原先輩、前と雰囲気変わったんじゃない?」

「ぼくが?」


 屈んでぼくの顔を見上げながら秋月さんは言う。

 先輩後輩として、例えば天平先輩とぼくぐらいには親しかったのかどうかすらわからない。

 念のため“秋月さん”としておこう。


「なんかその、闇深そーな……ちょっと近寄りがたいイケメン? って感じだったと思うの」


 闇、か。

 眩い光は暗い闇と表裏一体とはいうが。

 黙っていても目立ってしまうぼくに、そのような陰のオーラがあったのか。


「というか、どうやってわたしを助けたの? 篠原先輩は……【疾走】だったっけ?」


 ぼくの能力を把握している。

 ということは本部の人間だろう。

 ぼくが戻ってきていたことを知らなかったのは、秋月さんが何らかのミッションで本部を離れていた説はある。


「ぼくがトラックよりも速く動き、トラックを遅くした。その上で秋月さんを助け出した」

「んー?」


 秋月さんが首を傾げた。

 オーサカ支部に来るまでは、腕時計のタイマーを使用してチロリアンハットを宙に投げていた。

 そういえばそうだ。

 もはや懐かしく感じる。

 オーサカ支部での成長が、能力の発動へのルーティンを変えていたのだった。


「それって、もう【疾走】じゃなくてなんかまた違う名前の“時間を操作する”能力なんじゃないの?」









【過ちて改めざる是を過ちと謂う】


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