「太陽を踏み潰す」
正月休みが終わった。
学生はまだ冬休みが続いており、導とつくもは“お年玉をいくらもらったか”という話題で盛り上がっている。
会話に混ざっていった成人女性の天平先輩曰く「小学六年生と高校二年生とでは金額に差があるのは当然やろ?」らしいが、導は「納得いかん!」と唇を尖らせていた。
「さっちゃんはいくらもらってたん?」
天平先輩がぼくに話を振ってくる。
ぼくとしてもこの輪に入るために昔の出来事を思い出そうとしていたが、靄がかかっていてうっすらとしか出てこない。
もらっていたのは確かだ。
しかし、それが両親からだったのか顔も忘れてしまっているような親戚からなのか、詳細な部分を忘れてしまっている。
導はぼくがパパからもらった腕時計を指差して「さっちゃんは高そうなもん持ってるし家が建つぐらいもらってたじゃろ」と茶化してきた。
「鎧戸さん、一軒の家を建てるのにいくらかかるかご存じですか?」
「うーん……1億円!」
1億円もらっていたら忘れるなんてことはないだろう。
ぼくがよりパーフェクトに頂点へ駆けていくためには、後悔している時間はない。
メモリーを消費することで未来への滑走路がクリエイトされる。
忘却は不幸ではなく“過去という呪縛からの解放”ともいえよう。
「そんな宝くじみたいな金額なわけないやろ」
すかさず天平先輩がツッコむ。
普段の生活でも一昨日の昼食が思い出せないように、さほどインポータントではない事象は記憶の端から消えてしまうものだ。
つまり、ぼくにとって過去にあったニューイヤーパーティーは忘れてしまっても差し支えのないメモリーなのだろう。
初恋の“ふみちゃん”とのやりとりのほうが重要度の高いイベントとして残されている。
うむ。
「1億かぁーすんごいねぇー」
自席で突っ伏して眠っていたキャサリンが起き上がった。
今日は珍しくキャサリンが朝から出社している。
代わりに築山支部長がまだ来ていない。
いつも誰よりも早く来ているのに、珍しいことは重なるものだ。
「どうなんさっちゃん。1億? もっと?」
「想像にお任せしよう」
ぼくが答えると、導は「うわー!」と悲鳴のようなものを上げて右胸を押さえながらのけぞって床に倒れ込んだ。
右に心臓はないぞ。
ごくまれに右側の人間もいるが、導はそうではない。
「大丈夫ですか!? 救急車呼びますか!?」
このノリにまだついていけていない新入りのつくもは慌てて導を助け起こそうとするが、天平先輩が「つくも、心配いらんて。ふざけとるだけやから」と引き止めた。
導やつくもは年下であり児童と学生であるが同僚でもある。
ぼく個人としてはこの2人にお年玉を用意してもいいとは思うが、これは築山支部長に確認してからにしよう。
「今日は集まりがいいな」
ぼくの想いが届いたのか、築山支部長はこのタイミングでオーサカ支部に到着した。
普段ならばいちばん早くこのオフィスに着いていて、ぼくたちに朝の挨拶をしてくる側だというのに。
床でジタバタしていた導が起き上がって「しぶちょー、どっかに出かけるん?」と訊きながらキャリーケースの通り道を空ける。
「今回はここでみんなともお別れだからな」
お別れ?
この場にいる全員の頭の上にクエスチョンマークが浮かび上がる。
オーサカ支部の責任者たる支部長が“お別れ”とは?
「クリスからのメールを誰も開いてないのかな? ……まあ、この様子じゃあ見ていなさそうだな」
いち早くスマートフォンを取り出して、画面を操作してメールを開いた天平先輩は「え……」と言葉を失った。
ぼくも上着のポケットに入っているスマートフォンを掴んで、本部からメールが届いているのを確認する。
表題には【緊急】と記載されていた。
組織に所属して約2年間、初めて見た表記だ。
築山支部長は各々の反応を一瞥してから「殺さなくてもよかったのにな」ととんでもないことを言って破顔する。
ぼくにはどうしてこのひとがこんなに嬉しそうなのかわからない。
「何故笑っているんですか」
わからないから、ぼくは訊ねる。
メールには“作倉部長が霜降伊代に殺害された”そして“霜降伊代が自殺した”という信じ難い事柄が簡潔な文章で綴られていた。
2人の人間が亡くなっている。
しかも、ぼくらと無関係ではない2人が亡くなっているというのに、どうしてこのひとは笑っているのか。
「何故って、篠原くんも嬉しくないのかな」
「嬉しいはずがないでしょう!」
ぼくが語気を強めて否定すると「篠原くんも『コイツは死んだほうが世のため人のためになる』と考えている側の人間だと思っとったんやけどな」と眉をひそめた。
作倉部長に対してそのような思いを抱いたことは一切ないと神に誓える。
死んでもよい人間なんているものか。
「し、しぶちょー、これ、ドッキリなんじゃ?」
声を震わせる導。
ぼくも導と同じく、タチの悪い嘘であってほしいと思う。
クリスさんまで巻き込んだ盛大なサプライズだ。
新年から肝を冷やさせるような、そんな、笑えないジョークであってほしい。
「タネも仕掛けもありゃしない、紛れもなく現実だな」
「だとしたら、どうして伊代が死んだんや!」
天平先輩が事務机を叩く。
ぼくと天平先輩は、元旦を霜降先輩と過ごしていた。
途中から築山支部長もやってきていたか。
ぼくは付き合いが短いので何らかの兆候があったとしても見過ごしてしまっていたのかもしれないが、思い詰めているような様子はなかった。
「どうしてなのかな」
築山支部長は普段使用しているスマートフォンとは別のスマートフォンをスーツの胸ポケットから取り出して、画面に向かって語りかける。
すると、どこかで聞いたような声で「それは向こうの“知恵ちゃん”に聞いてみないとわからない。向こうの知恵ちゃんがいよをけしかけてすぐるを殺させたのはわかる。そのあとのことはわからない」とそのスマートフォンが答えた。
このやりとりによってぼくは気付く。
「お前が“知恵の実”に情報を明け渡していたのか」
9月1日から今日のこの瞬間まで、ぼくは露ほどもこのひとを疑っていなかった。
オーサカ支部の支部長。
責任者だ。
みんなをまとめる立場の人間が裏切るはずがないだろうとたかを括ってしまっていた。
築山は「これまでの出来事の答え合わせをしてみような」と否定しない。
「初めまして、オーサカ支部の諸君。“知恵の実”こと知恵ちゃんです。さちおは久しぶり」
築山がスマートフォンの画面をこちら側に向けてくる。
そこには予想通り“知恵の実”がいて、呑気にこちらへ挨拶してきた。
この世界で唯一能力者に関する研究をしていた研究者であり研究室の火災事故によって亡くなった“氷見野雅人”博士。
博士が自身の死後も研究を継続するために作り上げた人工知能が“知恵の実”だ。
ぼくは以前この“知恵の実”から『肉体を捨てる』提案をされている。
当時はその場で拒否した。
「ハロウィンの日、篠原くんの能力の支配下にあってジャックが動けたのは、あらかじめ篠原くんの能力をこちらが把握していたからだな」
なるほど。
あの場で照明が落ちたのも演出のひとつとしてそちらの作戦に組み込まれていた、と?
ぼくたちはあの瞬間に大混乱してしまったわけだが、現場にいなかった築山はここで笑っていたのだろうか。
「まぁ、あの
築山は“知恵の実”がインストールされたスマートフォンを事務机の上に置いてしまう。
知恵ちゃんは「え? ほたる? なんで置いちゃった?」と画面の中で両手をパタパタと動かしている。
「これからは誰かのためではない、自分の人生のために生きていく。じゃあなオーサカ支部!」
「逃げるな!」
天平先輩が掴みかかろうとした手が空を切る。
捨て台詞と共に、築山の身体が消滅した。
消滅というよりは能力【粒状】によってBB弾のサイズにまで小さくなっただけなのだろうが、次の瞬間には台所からのパァーンという破裂音と火災報知器のけたたましい警報音に苛まれて探すのは難しい。
とにかく先にぼくらの身の安全を確保しなければ!
【美疢は悪石に如かず】
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