パーフェクト・プラン!
秋乃晃
「煤だらけの緞帳を下ろす」
真夜中のテレフォンで目が覚めた。
ぼくは枕元に置いてあるスマートフォンを手繰り寄せ、画面に表示された名前を見る。
天平先輩からだ。
「もしもし」
「さっちゃんあけおめー」
テレビの音声がうるさくてイマイチ聞こえづらいが、どうやら日付が変わっているらしい。
あけましておめでとうございますの挨拶をされて、耳元からスマートフォンを遠ざけてホーム画面に戻し、日付をこちらでも確認する。
2022年1月1日。
「寝てたん?」
「ああ」
「マイペースやなぁ。年越しの瞬間はジャンプするもんやないの?」
そんな習慣はぼくにはない。
大晦日も普段通りの生活を送り、22時には寝床についていた。
今起こされなければおそらく7時ぐらいまでは眠っていただろう。
「初日の出見に行って、初詣しておみくじ引くで」
「日の出はいつでも見られますし、元旦に初詣する必要はないのでは」
年の初めにご来光を拝まなくとも、太陽は毎日登っている。
初詣は松の内が明けるまでに行けばよい。
おみくじはいつだっていい。
「ノリ悪いなさっちゃん! 今年はあゆも来とるし、みんなで行こうや!」
「あゆ……?」
「あたしの同期の。絶対会ったことあるやろ。本部やし」
天平先輩の同期ということはぼくの先輩か。
本部で“あゆ”という名前……?
記憶にないが、思い出せないのは寝起きで頭が働いていないからだろう。
パーフェクトなぼくが人の名前を、しかも先輩の名前を思い出せないなんて。
失礼にも程がある。
「じゃ、10分後にオーサカ支部集合な!」
「まだ行くと決めたわけでは」
ぼくの声は届かず、一方的に電話は切られてしまった。
まあ、いいだろう。
横でぐっすりと眠っているキャサリンを起こさないように起き上がり、着替える。
……起こして連れて行った方がいいだろうか。
(わざわざこれだけの為に起こさなくともいいか)
寝顔を見て、毛布をかける。
おそらく昼過ぎまで起き上がることはないだろう。
最近購入したキャメルのダッフルコートを羽織って、ミリタリーブーツのヒモを固く結び、新年を迎えたばかりの街中へと踏み出す。
(本部からこちらのオーサカ支部に来て、今日で4カ月か)
様々なミッションを乗り越えて、ぼくはアスファルトの上を歩いている。
囚われしサルの子どもを解放したり、燃え上がる事務所から天平先輩を救出したり、お菓子の窃盗団を逮捕したり。
充実した日々だった。
今年はどのようなミッションがぼくを待ち受けているのだろう。
(一旦はエスケープできたが、再び“知恵の実”がぼくにネゴシエーションしに来る可能性もある)
警察官さえも味方につけていた“知恵の実”は間違いなく脅威だ。
組織の内部にもツタのように“知恵の実”の魔の手が伸びているとなれば、常に警戒を怠ってはならない。
この夜空のように曇りなく、何一つとして心配がない晴れやかな気持ちで日々を過ごせるようになる為には。
(“アカシックレコード”との対決にも備えなければ)
第三の勢力“アカシックレコード”。
一切姿を見せないが、ぼくの命を狙っているという。
鍛錬を積んでおくに越したことはないか。
(存在しているのかすら謎だからな)
ぼくはオーサカ支部の全員を信じたい。
天平先輩も、キャサリンも、導も、築山支部長も、つくものことも。
他ならぬぼく自身のこともだ。
ぼくがぼくを誰よりも信用している。
あの“知恵の実”とオーサカ支部と、どちらがより信頼できるかは明白なのだが、この二つが繋がっていないという確固とした証拠が欲しい。
思い起こせば、加賀巡査はスマートフォンに“知恵の実”を忍ばせていた。
来たばかりの頃なら難しかっただろうが、今ならば確認することは容易だろう。
この正月休みが明けたらチェックしよう。
「さっちゃーん!」
前方に大きく手を振っている女性――天平先輩がいる。
10分後に集合と言っていたがすでにオーサカ支部に着いていたようだ。
さすが天平先輩は行動が早い。
遅刻ギリギリに到着してくる総平とは大違いだ。
「何ちんたら歩いとんねん! はよ来いや!」
心なしか普段より荒い言葉遣いをしている。
ぴょんぴょんジャンプしてぼくを急かしているが、ぼくはパパからいただいた大事な腕時計で時刻を確認した。
電話を切ってから10分は経っていない。
ぼくは考え事をしながらでも、なるべく速く移動してきた。
オーサカ支部は(先述の天平先輩が巻き込まれた)火事で一度移転しており、ぼくがオーサカでの住まいとする予定であったマンションの一部屋が現住所である。
オーサカ支部に来てからぼくはキャサリンの家で暮らしておりただただ私物を置いておくだけの倉庫となっていたので、明け渡すのはノープロブレムだった。
エントランスの自動ドアが開き、天平先輩の後ろから現れた八頭身の女性が「こら、芦花」と天平先輩の頭を小突いた。
「霜降先輩!?」
八頭身の女性の名前は
エリートばかりの本部の中では実働部隊のリーダーを務めている。
盆も正月もないような忙しさと聞いていたが、どうしてオーサカ支部に。
「いったいなぁ!」
「大の大人がみっともないですよ」
「正月にハメを外さんくていつ外すんや」
天平先輩と言い合っている霜降先輩。
ヒールを履いていても身長差は頭ひとつ分ある。
遠目ではわからなかったが、天平先輩の顔全体が真っ赤になっているということは相当酔っているようだ。
「このオカンみたいなんがあたしの同期のあゆ」
天平先輩は口をへの字に曲げながら霜降先輩のことを“あゆ”と呼んでぼくに紹介してきた。
霜降先輩のお名前は“伊代”だったはずでは。
何度か同じ班で働いたことがあり、その度にフルネームで紹介されている。
「せやった。あゆって言ってもわからんか。霜降伊代ってのはあゆの源氏名というか芸名というか」
「本名ではないと?」
ぼくがピンと来ていない表情をしていたようで、天平先輩が補足してくれた。
当の本人は「霜降は母方の名字です」と付け足す。
「本名は作倉あゆ。作倉部長の娘さんってわけやねー」
「そこまで教える必要ありますか?」
「別に隠すことでもないやろ」
作倉部長に家族がいたことにまず驚く。
あの人も人間なのだからいないはずはないのだが、超然として“ファミリー”という概念とはかけ離れている。
霜降先輩の“東北美人”の要素を寄せ集めたような顔立ちから作倉部長のパーツが見当たらない。
無理矢理挙げるとしたら霜降先輩の【必中】も作倉部長の【予見】も両方とも“眼”が最重要といったところか。
「せや! あゆのモノマネできるようにならん? 練習しよ!」
「しません」
「しけとんなぁ。隠し芸のひとつやふたつぐらいできたほうがウケると思うんやけど」
「オーサカ支部と違いまして、なあなあな関係ではありませんので」
天平先輩と霜降先輩のやりとりは同期の仲という一言ではまとめられないほどの深い友情を感じて微笑ましい限りだが、寒いので屋内に入らせてほしい。
指先の感覚がなくなりそうだ。
「そういやさっちゃん、実家帰っとらんかったん?」
不意に話がこっちに飛んできた。
実家、か。
ぼくのパパは年末年始関係なく働いているし、ママは日本国内にいない。
誰もいないトウキョーの実家へ帰るぐらいならキャサリンと共に過ごしたほうがよい。
「ぼくはずっとキャサリンといた」
「そうなんか! てっきりトウキョーに帰っとると思っとって呼ばなかったんやけど」
「呼ばなかった?」
霜降先輩は「まあ、来ないほうが正解だったかも」と苦笑いしている。
「さっちゃんいっつもパパとママがどうのって言っとったからつい……」
「尊敬する両親の為に、ぼくはパーフェクトでなければならないからな。両親に迷惑をかけないこともまたそのひとつだろう」
やっちまったー、と顔を両手で覆う天平先輩。
ぼくは考える。
トウキョーの本部で働く霜降先輩にわざわざお越しいただいているような会合にぼくが召集されなかったのはいささか残念ではあるが、天平先輩の気遣いを理解できないわけではない。
しかし矛盾に気付く。
「ぼくがトウキョーにいると仮定していたのであれば、オーサカ支部に10分で来るのは難しかったのでは」
ぼくは実際にはキャサリンの自宅にいたのでここまで10分で辿り着いた。
もしトウキョーの実家からオーサカ支部に向かうとしたら10分では到着できない。
天平先輩の【転送】で“特定の扉と目的地の扉を結びつける”能力ならまだしも。
「そこはさっちゃんの【疾走】でなんとかなるやろ。できへんの?」
なるほど?
できなくはないだろう。
クリスマス前のあの日“知恵の実”との初対面から逃亡する際にぼくは一時的に時を止めてみせた。
その後のトレーニングにより、あれは厳密には“時を止めた”のではなく“その場に流れる時間の流れを遅くして、相対的にぼくと天平先輩が速く動けるようになっていた”ということがわかっている。
ぼくはどうやらチロリアンハットを上に投げなくとも、タイマーをセットしなくとも、自分の思うままに“対象の時間を制御できる”ようになってしまったらしい。
オーサカ支部に戻ってから解除されたのは、対象物(この場合でいえば、ジャックの自宅)から離れた場所に移動したからである。
「いや、できない」
「ふーん?」
訝しがる天平先輩。
このことは誰にも話していない。
まだ誰が“知恵の実”と繋がっていて、ひょっとすると“アカシックレコード”の一味であるかもわからないからだ。
【一寸の光陰軽んずべからず】
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