LV33「裏切りの四騎士」

「なぜ、アシュレイをいまだ見つけられぬのだ。役立たずどもが!」


 単身痩躯のノワルキ第三皇子は、苛立たしげに自分の爪を噛みながら宮殿の私室の中を、冬眠から覚めたばかりのクマのようにウロウロと歩き回っていた。


 二十歳の祝いの席で見せていた傲岸不遜な態度はめっきり姿を潜めており、頬は削げ落ち、眼差しは昏く、肌の色は死人のように蒼ざめていた。


 夜はほとんど眠れていないのであろう。目の周りに青黒い隈が浮き出ており、自信に満ちあふれていた余裕は消え失せ、視線は定まることなく虚空をさ迷っている。


「おいたわしいです皇子」


 ナタリヤこと混沌の魔女は切なげな表情でノワルキを見守っている。


 ノワルキが荒れ狂っているのは理由があった。帝国の有力貴族であるアシュレイの一族であったウォーカー公爵とその一党を滅ぼし、皇族たちに自分の力を見せつけたまではよかった。


 だが、この一事に端を発し、帝国でも五本の指に入ると言われるオズボーン侯爵が不満の意を堂々と表したのだ。


 諸侯にも顔が利くオズボーン侯爵は国内の内にいる大小の貴族の三分の二から支持を得て、うかつにノワルキが手出しを出せぬような勢力にまでなりつつある。


 兄であるフェリックス第一皇子はどちらかといえば皇室よりも有無をいわさず滅ぼされた諸侯よりの考えであり、ノワルキはウォーカー公爵の領土を帝国に接収したことによって皇位継承者に一歩近づいたと思っていたが、その実、無暗に毒バチの巣を突いたとされ、むしろ帝国での求心力を下げつつあった。


「オズボーン侯爵はアシュレイを捜し出してウォーカー家の残存兵力をまとめようとしているのだ。きゃつらよりも早くアシュレイの首を上げねばならぬ」


「お言葉ですが皇子、ただ逆賊であるアシュレイを滅したところで態勢はそう簡単に覆らぬかと思います」

「ナタリヤ、それはどういうことだ……?」


「いまや悲劇のヒロインとなったアシュレイをただ捕えて討っても逆賊たちは自分たちの中で偶像化するだけでございます。ここは生きたまま捕らえて、かような方法で……」


 混沌の魔女はノワルキにひそひそと耳打ちする。邪悪な策を聞き終えたノワルキは破顔すると目にどろどろとした光を宿して混沌の魔女を引き寄せた。


「くくく、貴様はなんという知恵者なのだナタリヤ。それもそうだ。アシュレイは死せば聖女であるが、生きたまま民衆の前で恥辱に満ちた拷問を与えてやつがただの雌犬であることを知らしめれば、賊どもの意気も消沈するだろう。くくく、想像するだけでむず痒くなってきたわ」

「あ……」


 興奮したノワルキは混沌の魔女を抱え上げてベッドに組み伏すと、口元から病み犬のようにあぶくを吐き出しながら、自らの淫靡な計略に酔った。


 数刻後――。


 ことを終えて惰眠を貪るノワルキの隣で混沌の魔女は汗みずくとなった裸身のままベッドを下りた。

 脇にある大理石のテーブルにある水差しからカップへと優雅な手つきで中身を注ぎ入れる。


 そこには先ほどまでノワルキに従順さを見せていた小娘の姿はなく、表情ひとつない冷徹な女の顔があった。


 混沌の魔女はベッドの縁に腰かけたまま念を送った。

 ほどなくして子飼いである四騎士のひとりシドが部屋の隅へと姿を現した。


 シドの背丈は二メートル半をはるかに超えている。素肌に胸当てだけであるが、この男に限っては装備自体がむしろ不必要であると思われるほど筋肉が発達していた。


 かといって肥満体というわけでもない。限界まで鍛え上げられており、一見しただけでその強靭さが理解できるほど張りのある肉である。


 胸板は恐ろしく厚く、腕も、脚も、首も太い。特に、肩の筋肉は異様に発達しており上腕は筋肉が張り出していて脇が閉じられないほどである。


 短く刈った黒髪が戦闘に特化した男のスタイルを主張している。

 レザーのように鋭く切れ上がった目にはなんら感情が浮かんでいなかった。


 シドは混沌の魔女が封印から解き放った魔人である。

 生前はブルトンの勇者と轡を並べ幾多の敵を駆逐した武闘家である。


 だが、シドは結果的に勇者と帝国に邪魔者と一方的に切り捨てられ裏切り者の烙印を押されたのだった。

 狡兎死して走狗煮らるの故事が示すように――。


 魔王がいなくなったあとの帝国において、皇帝の皇女を娶り、娘婿となって政治家に転身した勇者からすれば、強すぎる元の仲間たちは危険すぎる存在でしかなかった。


 帝国全土を上げて排除の理論を振りかざす勇者の前にシドたちは抗することはできなかった。


 裏切りの四騎士――。


 憐れみと恐怖によって人々の口の端に上った歴史上の男たちは、いま、帝国に対する復讐という一点で混沌の魔女と契約を結び、現世に顕現しているのであった。


 一度、滅んでいるために肉体自体は混沌の魔女の秘法によってかろうじて現世と繋がっている。

 その代わり、魔人として生まれ変わった彼らは掛け値なしに強い。


 混沌の魔女は白い裸身のまま脚を淫靡に組み替えると誘うような笑みを浮かべた。


「お呼びでございましょうか」


「シド。貴方にひとつお願いがあるわ。以前、見逃したウォーカー家の小娘。アシュレイのことは覚えているかしら。状況が変わったの。生きたままここへ連れてきてちょうだい」

「ウォーカー公爵のご令嬢ですか」


「そ。場所は、春迷宮の最深部よ。生意気にもアシュレイは私を出し抜くために四季の魔女たちの加護を得ようとしているの。ふふふ、かわいらしい。ついでに私以外の魔女たちも消してきてちょうだい。あの四姉妹の力がそろうと少々厄介なことにもなりかねないわ」


 混沌の魔女は髪飾りを引き抜くと、ふうと息を吹きかけてたちまちに黒い小鳥の使い魔を作り出した。


「場所はこの子が教えてくれる。距離が少し離れているから近くの要塞で取り手を集めるといいわ。なるべくはやくお願いね」


「ひとつお聞きしたい。ウォーカー家のご令嬢を捕らえた後はロムストンで処刑いたすのですか」


「ノンノン。それじゃあ普通過ぎてつまらないわ。そうね。あのあたりには贖いの塔があったはずよ。私がゆくまでそこで捕らえておいて。なんなら貴女が味見をしてもよろしくてよ。受肉してからロクに羽根も伸ばしていないでしょう。上級貴族の令嬢はさぞいい声で鳴くでしょう」


 シドは混沌の魔女の軽口に対し、あからさまに表情を変えた。

 軽侮である。


 だが、混沌の魔女は機嫌を悪くするどころかシドの顔を面白そうに見つめている。


「期待しているわ」

「では――」


 それだけいうとシドは陽炎のように闇に紛れて消えた。


 あとにはグラスに血のように真っ赤なワインを注ぎ満足げに自分の唇を撫でる混沌の魔女があるだけだった。


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