第266話 嘲笑え、悪魔の翼

 ワザとかこの野郎!


 正面に立ちはだかるダークパープルの2台。それ自体はレースなんだから当たり前だが、こいつら明らかに速度調整をして並走してやがる。


 しかもコースの横幅いっぱいに。


 ホームストレートと違ってカーブ地帯はそこまで広さが無い。2台も並走したらいっぱいっぱいだ。こんな事をされたらどれだけ速いマシンでも通れねえ。


《どっちも『ミッションリング』所属。昨日低ちゃんにぶっかけをしたドライバーも含んでいるネ》


(あぁぁぁんのタコ紫のチームか! 道理で見覚えがあるカラーリングだと思ったぜ)


「ふざけやがって。ペナルティだろこれは」


 後続車のコースを塞ぐライン取りはブロックと呼ばれる正当な行為だ。


 だがそれは1対1の場合。


 好位置の片方を逃がすためにアシストするような作戦は許されるが、チームの2台揃って進路妨害するような走行は反則になる。


 少なくともオレが試験で受けたテストじゃそうだった。いつからこんなコンビネーションが認められたんだよコラ。


スチュワートジャッジの判断ではバトル扱いのようです。玉鍵様の驚異的な追い上げに恐れをなして、運営もいよいよなりふり構わなくなってきたようですね〕


「明るい声で言ってる場合かっ! これを続けられたらどんどんトップから離されるうえに、せっかく抜いた後続車にもジリジリ追い付かれちまう」


 そのままトロい車群に飲み込まれたらアウト。もう逆転の手段なんざ無いぞ。


 コンビプレイのつもりかタコ共が! 人が神経使って0.01秒を削ってる最中に苛つかせやがって!


タイヤカスマーブル地帯》


(チッ)


 スリックタイヤから剥離したカスの多いインを避け、あえてアウト気味にコーナーを曲がる。


 気温が高いからスリックタイヤのグリップが効くのはいいが、粘ったタイヤから取れたカスが路面にバラ撒かれるのが問題だ。これを拾うとタイヤ性能が低下しちまう。


 そのままカスを拾っていったタコ紫のチームはわずかに速度を落としながらも並走をやめない。スリップしないで済む程度の速さでコーナーを悠長に回っていく。


「人をイラつかせるのがうまいやつらだ」


 床掃除でもしてんのかこいつらは。てめえらのタイヤはゴミ取りでコロコロするやつか? ああ゛!?


《ホームストレートでブーストを使って強引に抜く?》


(無意味だ。こっちの弾数が足りねえ。ABADDONのブーストは残り1回、他は2回残してる。抜かせないのが目的なら、向こうもタイミングを合わせてブースターを使うだろうよ)


 そうなったら第1コーナーまでに前に行けるかは微妙だし、行けても次のストレートで3回目のブーストが出来るタコ紫のオーバーテイクを防ぐ手段が無い。


 オレらが順位を上げるにはカーブで差をつけるしかないんだ。ここぞという時まで最後のブーストは温存する。


 これは車体側の11イレブンやABADDONの役割じゃねえ。ドライバーのオレの仕事だ。


 連中が2度加速しても追いつけないと絶望するような、圧倒的な距離をオレの腕と知恵で開いてやる必要がある。


 だがコースには隙間が無い。タコ紫たち2台の車体でみっちりだ。


 ――――車体幅2493mm。


 2基のハイブースターを積め込んだABADDONのデカいケツを捻じ込むためにはどうすればいい?


 ドリフトは? ダメだ。ドリフトだってコースを走る事に変わりはない。するなら並走して隙間を埋めている相手のタイミングのズレを、ミスを待つ必要がある。そんなまごまごしてられっか。


 いっそコース外を走るか? ハンドルミスでコースアウトしたフリでもして芝の上を。


 これもうまくねえ。なんせ贔屓目バンザイの運営だ、それで壁を抜けてもCARSだけにコース外走行のペナルティで5秒とか食らわせに来るだろう。下手すれば意図的だとして失格の可能性さえある。


 仮にそうならなくてもタイヤへの悪影響は避けられない。


 レースマシンはデリケートだ、ゲームみたいにどこ走ってもノーダメージとはいかん。コース外を走れば確実にマシンを痛めちまう。


 今後のためにタイヤを痛めないコース、かつ存在しない空きスペースを潜り抜ける。


 そんな方法があるか? この地面に張り付いて走るしかない二次元という名の世界サーキットで。


 空を飛べればひとっ跳びの問題が、次元ひとつ少ないだけでこんなにも難問。


 …………いや、ある。


 思い出せ。レースの前からCARSこいつとツルんできただろう。やってきた事を覚えているだろう。


 車体性能は頭に叩き込んでいる。CARS車と同じ事がABADDONに出来ないことは無い。


55フィフティーファイブだ、11イレブン


〔玉鍵様? 申し訳ありません。どういう意味でごさいましょう?〕


14フォーティーン117ワン・セブンティーン。そして11おまえを信じる。車体の制御機能をハンドルのスイッチに寄こせ」


 11イレブンはどうしたってAIだ。レースにおいて危険すぎる運転の提案は拒否してくる可能性がある。


 通常のCARSなら最終的に顧客の意向を尊重してくれるが、レース用に調整された11イレブンはおそらく大会ルールを逸脱出来ない。


 だから相談はなしだ。オレがこいつに出来るのは、今までの各CARS車両との関係を示す事だけ。


 第二の55フィフティーファイブ。サイタマの14フォーティーン。サガの117ワン・セブンティーン


 そしてレースで会った11おまえ


 短くとも濃い時間を過ごしたおまえたちに問う。オレへの信頼を。


「信じろ――――相棒」


〔……お任せします、パートナー。どんなことでも〕


「オーケィ、始めるぞ!」


 それまで11イレブンが受け持っていた車体の微細なコントロールが、一気にハンドルに跳ね返ってくるのが分かる。


 およそ飛行には適さぬはずの形の航空機が空を飛べるのは、人間の稚拙な操作を補正するコンピューター制御の恩恵。でなければたちまちにコントロールを失い墜落する。


 同じく地上を走る戦闘機のような速度を誇るCFSマシンは、車体の挙動にかすかなミスも許してはくれない。


 それを助けるAI制御を切り離し、だからこそ走ってみせよう! 翼を持たぬ人間が見つけた無謀な道を!


 友大! おまえの最高のドリフトをもう一度借りるぞ!


 アクセルを踏む。この角度のカーブでは決して踏めない深さまで。


 ブースターの強引過ぎる挙動とも違う、グンと引っ張られるような加速でABADDONが駆ける。


 狙うはヘアピン。どんな俊足マシンであっても最大限に速度を落として回らねばならない狭き門。


 欲張り泣かせの地獄への扉。速度を落とさぬ下手クソは、即コースアウトの難所中の難所。


《ちょ、ぶつかる! 前!》


 オーバースピード。ヘアピンなどとても曲がれぬ速度にABADDONを持っていく。


 前のマシンが、そのドライバーどもがぎょっとしたと感じたのは錯覚か。


 ぶつかる、クラッシュ、コースアウト――――最悪の結末を想像して、世界が駆け抜けていく。


 そうとも。コースアウトだ。抜くスペースが無いならしようがねえ。ワザと躍り出てやるさ。


 ただし! コース外のをな!


 ABADDONに搭載されたリフトファンを起動。瞬く間に浮き上がった車体はそれまで受けた慣性とマシンの重心バランスに沿って、真っ先にリアを外へと振り出す。


 例えるならバットのスィングのように、宙に浮いたABADDONの巨体がコース外の空を滑る・・・・


 ヘアピンカーブ侵入直前に300km以上の加速をつけていたABADDONは、前をブロックしていた2台がカーブのために一気に85kmまで減速した事で一時的に前に出た。


 その落差は215km。


 ……だが、このままではオレたちは宙に浮いただけ。コースを外れ横に滑っていくだけだ。


 いくら2300馬力のエンジンを回しても、そのパワーを伝えるべきタイヤが路面に触れていなければ空転するだけ。車は空を走れない。


「南無三!」


 11イレブンの制御を離れ、オレのステアリングに託されたコントロールスイッチからリフトファンのバランスを偏らせる。


 左外側に振られた車体をフィンノズルからの空気圧を使って右へと傾ける。


 コースと芝の境にある縁石にタイヤが触れるまで!


 縁石に触れたスリックタイヤはただちにその役割を果たし、片輪だけの力でABADDONをコース内に引き摺り戻した。


 後に残るのは開けた視界。忌々しい紫の壁は――――もう無い。


 意識など割かない。後ろにいったノロマどもに用は無い。


《く、空中ドリフト? 片輪走行? なんで低ちゃんだけサーカスやってんのサ》


(知らん! そうでもしないと抜けない敵に言え、敵に)


〔これは、なんというか、お見事でございます。わたくしの記憶媒体には存在しない刺激的な走法でした〕


「素直に曲芸と言ってくれていいぜ。やったのは二度目とはいえ、はっきり言って成功するかは賭けだった。もうやらないやんねえ


《こんなんいつしたっケ? スーツちゃんの記憶にも無いんだけど?》


(つい先日やったろ。アックスギアーで)


 船だから片輪走行じゃなくて片舷航行とでも言うべきか? 敵の砲弾の散布界を躱すために使った手だ。


 陸上をホバー的方法で移動していたアックスギアーは、まんま空中ドリフトみたいな動きで砲弾の雨から逃げてくれたもんさ。


 ありがとうよ、アックス。おまえとの経験が生きたぜ。


《メチャクチャするニャア。ミッションリングの2台は味方同士で接触してスピン。コースアウトしたゾ。ビックリしたんだろうネ》


(ケッ、いい気味だ。ガチガチのコンビプレイほど呼吸がズレたらそんなもんさ)


 タイヤ同士を接触させた事で揃って弾かれたようだな。車体同士が近すぎたツケだ。


 ミラーで一瞬見えた限りはどちらもリタイヤするほどのダメージじゃない。けどあの調子ならコースへの復帰に5秒以上かかるだろう。


 もちろんスピンしてコース外に停止した車体だ。再びコースに戻ってトップスピードに戻すまではそれ以上かかる。


 これで後続車どものブースト1回分はチャラだ。条件は同じになった。


 ならもう抜かせねえよ。てめえらはずっとオレのケツを拝んでろ。


 残りは前にいる5台。こいつら上位勢とは変わらずブーストのハンデがついたまま。


 残り11周……捉え切れるか?


11イレブン、マシン制御を返すぞ。細かいコントロールをずっとはさすがに無理だ。次の勝負所までオレを導いてくれ」


〔承りました。勝利のチャンスを貴女に〕


「臭いセリフを言うな、頼むぜ」


 ……クソッ、目がチカチカする。


 スーツちゃんの支援無しの思考加速は脳がキツいぜ。何度もは出来そうにない。







<放送中>


「……あんなのアリ?」


 まるで空を飛んだかのようなドリフト。


 否、正しくABADDONは宙に浮いていた。まるで翼があるように。


(理屈は分かる。CFSマシンに搭載された強力なホバーであれば、極短時間なら車体を浮かしてスライドさせるくらいは可能よ――――けど)


 現実レースでやるか? そんな曲芸。


 場面を目撃した関係者の多くの頭をその一言が支配する。


 その1人であるチーム・アオバのスタッフリーダーは、出来の悪いカートゥーンでも観た気分でひとりごちた。


 カートゥーンでないなら白昼夢だ。AIの補助によって辛うじて実現しているCFSレースの世界で、あのような自爆めいた乱暴な走りが通用するなどありえないこと。


 ハンドリングのミスから偶然そうなったと言われた方がまだ納得出来る。


 そもそもあのような無茶な走り、AI側が『運転ミス』と判断してフォローするだろうに。


 AI制御をカットとでもしない限りは。


「できるわけがない。できるわけがない……はず」


 AI補助を切った全力走行中のCFSマシンの操縦など人間には不可能だ。高価すぎる自殺マシンにしかならない。


(ワールドエースの称号は伊達では無いっての? とんでもない反応速度、マシンの制御能力……化け物)


 他のスタッフたちの動揺を横目に、彼女はひとりチーム・アオバのブースをそっと離れた。 


「準備してちょうだい」


 無人の通路。その冷たい壁に寄りかかった彼女はインカムの相手を切り替えて呟く。わずかな間の後、彼女の耳に無機質な合成音声が届いた。


<――――標的ターゲットは?>


「ABADDON。乗っている相手は考慮して、そっちも『F』に殺されたくないでしょ」


 通信機にコツコツという小さな騒音が入る。それは『請け負った』という合図だった。


「城之内君、後ろは気にせずペースを維持しなさい。ミスさえしなければ勝てるわ」


 やがて通信の相手を切り替えた彼女は、自チームのメインドライバーに激を飛ばした。


 結果主義のリアリスト。才能と実績を愛する彼女は結果を出さない人材に容赦は無い。


<分かっている>


 それをよく知っている通信相手は言葉少なに答えた。レース中にプレッシャーをかけてくるなという反抗心もある。


 彼女の名は青葉キョウコ……若くして親から受け継いだチームと会社の存続と発展のために、彼女が誰よりもプレッシャーを感じていることはあまり知られていない。


 ――――これはあくまで保険。


 レーシングチーム・アオバのトップドライバー城之内と、アオバが開発した最新CFSマシン『レッドインパルス』があれば負けはない。


 ……それでも。背後から迫ってくる機械仕掛けの悪魔の翼が、か弱い人間をあざ笑っているような気がしたから。






<放送中>


 チーム・ミッションリングのコンビが行った敵意剥き出しのブロックに、ミミィやミズキなどノリが良い面子とブーイングをしていた春日部つみきは、会場の大画面に映った光景に唖然とした。


「……すっげ」


 一瞬何が起きたのか分からなかった。それがあまりにもつみきの知る『車の動き』からかけ離れていたからだ。


「そ、空飛んでなかった? 今の」


「浮いたよ! ふわって!」


「ちょっと14フォーティーン、CFSマシンってあんな事できるわけ? というかあれってアリ?」


 車体に搭載されたドローンを中継して来賓ブースでエスコート役をしていた14フォーティーンに、他と同じく唖然としていたアスカが問い質す。


〔設計上、リフトファンによって短時間のホバー移動は可能なはずです。ルールではコース外を意図的に走ってのショートカットは反則ですが、空中をドリフトしてカーブを走行した場合はどうなるかの規定は特に定まっておりません、敷島様〕


「それはそうだろうけど……車が浮くなんて誰も思わないもの」


〔初宮様。レースの歴史上、車体の不具合で『テイクオフ』した事故は何度かございます〕


 車らしからぬ離陸テイクオフという皮肉の効いた単語に首を捻った初宮は、14フォーティーンの持つレース界の黒歴史的な技術事故を説明され、ややウンザリすることになった。


「リフトドリフト? ホバーターン? これってどんなドライビング・テクニックに分類されるのかしら?」


おいはレースにくわしく無いけれどなかとがじゃ、前代未聞に違いないなか。やったのは間違いなく玉鍵しゃんじゃ。ほんに恐ろしいのぉ、あのあん人は」


 思わずつぶやいたベルの独り言を律儀に拾った大五郎が大きく頷く。超能力者だからというわけではなかったが、受けた印象的にあれは玉鍵のテクニックだと直感で見抜いていた。


「――――っ? これは……ねえCARS、玉鍵さんと通信は出来ない?」


〔申し訳ございません先町様。現在11《イレブン》はスタンドアローンのため、他CARSから玉鍵様や11イレブンに直接確認を取ることはできません。何より私を含め、他はチームスタッフに登録がありませんので〕


「テルミしゃん? どうしたのどけんしたと?」


「変な、予知が……事故? かも」


 先町テルミは予知能力者。そのイメージは受け取りの解釈しだいの面があるが的中率は極めて高い。


 このサーキットは事故に備えてカーブ周りに人はいない。その代わりに車が走れそうなほど高い壁が立っている箇所がある。まるでスラロームのようになめらかな壁が。


 テルミは言う。そこでクラッシュする直前のABADDONの予知が見えたのだと。

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