第265話 ペイドライバーの意地? 立ちはだかるCFSの壁!
最適な形で吸気された大気は2基のブースター内部にて超濃縮され、ついにはイオン化の域にまで到達する。
圧縮された酸素を吸気されたエンジンは瞬く間に性能の限界点まで吹き上がり、CARSメーカー独自製造のCFSパワーユニット、DFCエンジンの劇的なパワーを呼び起こして路面を蹴った。
ノズルを潜り抜けるエキゾースト。血潮さえ置き去りにするハイスピード。ドライバーの心音さえも止まるような超加圧。
時速697km!
(キッツいぜぇ! 脳が飛び出ちまうわ!)
レースなら速ければ速いほどありがたいはずなのに、ドライバーがブースターのタイムリミットが縮まるのを待ちわびるほどに苦痛と恐怖を伴う絶速の世界。
これがCFSマシンのハイ・ブースターシステム。速さの限界をさらに超えていく事を求められて取り付けられた狂気のギミック。
轟音に包まれた運転席はその音だけで全身が砕けるよう。
それは獣の咆哮、魔王の叫び。もしもこの悪魔の讃美歌に酔いしれたなら、ドライバーの死はすぐそこだ。
《エンジン
〔《「――――ブーストカット!」》〕
過剰吸気を中断。ブースター格納と同時に直線最速のエアロ形態からコーナーリング可能なサーキットモードへ再変形。7周目の第1コーナーへ突入する。
「
全身をきしませる加圧は約4.5G。ゼッターに比べれば半分以下だが、現実に則したリアルでの圧迫は14才のガキにはキツすぎる。目玉がシバシバするわ。
もしGの痛みを手軽に体感したいなら腕を思い切り振り回してみるといい。遠心力で血が指先に集まっていくだけでだいぶ痛いぜ?
続くS字をこなす手が一時的な貧血でかすかに痺れるのをハンドルグリップを握りしめて誤魔化す。
血が背中のほうに行っちまって指に流れていなかったツケだ。パイロットスーツならこうならないよう血流制御機能もあるんだがなぁ。
ガキの体のオレほどの負担じゃなくても他のドライバーだってブースト終了直後はフラフラだ。そのせいかわずかに日和ったコース取りをした前の車両をブーストの釣銭代わりに抜いておく。
《やっぱりABADDONはストレート性能が高いネ。またタイムが縮んだヨン》
(おう、直線で速いマシンは良いマシンだ。何と言ってもタイムを上げるのに手が掛からねえ)
ABADDONは速い。悪魔の心臓はこのサーキットで間違いなく最強クラスのエンジンだ。これが弱いとドライバーがカーブで四苦八苦してタイムを縮めにゃならんから大変だもんよ。
(レースマシンの戦闘力の大半はエンジンだ。新参メーカーがよくもこんな怪力エンジンを開発できたもんだぜ)
《CARS社は都市間戦争なんかで失われたはずの過去の機械技術の一部を独自に確保しているって噂だからニィ。VIP送迎用とはいえ仮にも民間のはずの車両が、そうとは思えないほど高性能な理由だナ。実際エンジンの設計を見ると現代のものより洗練されてるデ》
(オレにはそこまで知識が無いからわっかんねえけど、まあ強いに越したことはない)
どれほど腕があろうが三輪車でロードバイクに勝てるわけが
モーターサイクルの強弱ってのはマシン性能が99パーだ。マシン性能で同じ土俵に立って、ここから初めてドライバーの腕の話になるもんさ。
機械VS人間みたいな話でよくある人間の可能性理論なんざ幻想、クソだクソ! いらん根性論を説いてないで、とにかく強いマシン持ってこい。
モータースポーツの歴史が証明してる。腕が良かろうが弱いエンジンじゃ勝てないんだよ。
〔ストレートで抜いた分を合わせこれで11位。あとひとつでポイント獲得圏内でございます。最後尾からわずか7周でのこの快挙、さすが玉鍵様です〕
「つまり残り13周でトップに食いつかなきゃいかんわけだ。しかもオレらのブーストは後1回。他は2回残してる。どっかでうまい事ブロックせにゃまた抜かれちまうな」
そうなったら苦労して抜いた労力が無駄になる。今のうちにもっとリードを稼ぎたいが、ここからまた中堅層の壁を丁寧に抜かにゃならんから得意のストレートだけでカッ飛ばすわけにもいかねえ。
ああ面倒くせえ。サーキットレースってのはよ。
オレも車タイプはいくつか乗ってるし全力で走らせちゃいるが、それはあくまでSワールドでの話だ。
道なき道を敵とドンパチしながら走るんだからコースなんてありゃしない。進めるところを進んで、時には意表を突くために進めないところをあえて走ったりもする。
だがサーキットでそれをやったらペナルティだ。Sのど真ん中を横断するようなショートカットは許されない。
前がどれだけ詰まってようとラインが空くまでは後ろにベタ付けして、お行儀よく追走するしかないときたもんだ。
《ウホッ。10位のお尻にベッタリとはやらしー》
(道空けてくれって頼んでるだけだ。公道と違って遅いやつはそれだけで邪魔なんだよ)
シケインで必死にブロックしてくる10位に対し、無理に左右に振らずにピッタリ真後ろについてじっとプレッシャーをかけていく。
レーサーならこんな程度は慣れっこだろうが、嫌なもんは嫌だよなぁ? いつぶつけられるか気が気じゃねえし、かといって抜かれたくもない。必然的に我慢くらべになる。
ハートの強いドライバーならオレにかまわず自分のペースでストイックに走り続けるだろう。本来レースってのは自分のタイムとの戦いだ。周りのマシンなんて動く障害物でしかない。
――――けど
臆病さがストレスになり、ストレスは攻撃心になる。
そしてドライバーは考え出すのさ、『ちょいと脅かしてやろう』ってな。
「ここっ!」
カーブに差し掛かる直前。直感を頼りに車体をアウトに振る。それと前方車が速すぎるブレーキをかけてズルリと後退したのは同時だった。
一気にハンドルを切って
車体後部が大きくスライドし、カーブのはずのコースはこの瞬間だけABADDONには直線となった。
《ナイスドリフト♪ 立ち上がりもうめぇー!》
オレを脅かすために無駄なタイミングでブレーキをかけた10位。今は11位となったマシンが加速を失って大きく引き離されると後方へと消える。
〔お見事です。まるで友大様が乗り憑ったかのようでした〕
草レース出身でドリフトを得意とした前任。あんたをリスペクトしたわけじゃねえけどな。レースデータだけは何度も見せてもらったぜ。
……良いレーサーだった。あんたのおかげでABADDONにも良いクセついてるぜ。
「怖い世辞を言うな。
〔――――先頭車に対しプラス0.12と推測します〕
(チッ、ドリフトは前を抜くにはいいがトータルタイム的には悪影響しかないな)
《ブレーキング走行に比べると無駄な距離を回るのは避けられないし、見掛けによらず速度も失うからネ》
かつての4輪レースの最高峰でもドリフトするやつはいなかったそうだしな。最速レースの環境だとドリフト走法は悪手だと結論が出てんだろうよ。
「オレはブレーキングのほうが得意だ。次は丁寧にいかせてもらうぜ」
レースはあくまでタイムを競うスポーツだ。2位以下で無駄に抜き差しやってもトップのコースレコードから離されるだけになる。バトルに付き合うな。
もっとストイックに。何も無いコースを走るように。
有象無象を置き去りにして、最速を目指せ。
<放送中>
「何やってんだよ下手クソどもが!」
ミッションリングのチームスタッフたちから戦況を聞いた『リオン・アルバート』はやや不規則な挙動でカーブに入ると、その不安定な動きを他車に嫌われて微妙な空間ができたコースを走り続ける。
(たかが10周でもう8位?
昨夜に見たあの華奢な少女が、自分でさえ入賞が難しいレースで快進撃を見せている。
すでに毎度中間でのたくっているようなチームのマシンたちは、まるで置き石でも避けるように華麗にパスされた。
この調子で行けば12周に差し掛かる頃には6位、7位を走るリオンたちミッションリングから出ているツートップを射程に捉えるだろう。
そしてスタッフからいつもの皮肉を込めた警告を受けたリオンは、その
『子供に追い上げられて、焦ってクラッシュするなよ』
(ざけんじゃねえよ! あんな片手間のドライバーに舐められてたまるか!)
かねてから負けん気が強いわりに判断力とドライビングテクニックに難のある彼には、スタッフが皮肉を言うほどにリタイヤ癖がある。
それも他車を巻き込んでのクラッシュが殊の外に多く、レースのたびに巻き込まれたチームからクレームが飛び込んでくるのが日常というレース界の問題児。
それがリオン・アルバート。今年で22歳になるクラッシュ王。
……レーサーとしての悪評はもとより、度重なるマシンクラッシュでチームに大損害を与え続ける彼がミッションリングから放出されない事を疑問に思わない者はいないだろう。
だが、その疑問は少しでもこの業界を知るものならすぐに予想が思い浮かぶ。そしてその予想はおそらく正しい。
彼の正体はペイドライバー。金でチームからシートを買った選手だからだ。
資産家の親とその縁者が経営する企業からバックアップを受けて持ち込む金額は、毎年他チームへの賠償金とマシンを修理してもお釣りがくるほど。
金食い虫の代表格と言えるモータースポーツ業界において、ある意味でドライバーとしての腕より『チームに貢献してくれる』金の卵をミッションリングは手放すわけにはいかなかった。
もしわずかにでも彼を擁護するなら、これでも別ジャンルでトップドライバーとなった実績がある事か。
ただしレースの走行速度も展開速度も段違いのCFSレースに参入するには、リオンというドライバーは複数の意味で
にも拘わらずトップドライバーとしてのプライドから、彼は能力以上の無茶をしたがる悪癖を持つ。この精神的幼稚さこそ、これまでクラッシュの山を築いてきた原因であった。
「璧を作るぞ! ガキに大人のレースの怖さを思い知らせてやる!」
コンビを組むチームメイトに指示したリオンは、もはやこのレースの表彰台の事など頭に無い。
――――ペイドライバーと陰口を叩かれている事は知っている。
それでも、リオンはリオンなりにレーサーとしてこの業界の人間である事にプライドを持っている。
もしも自分がCARSに抜かれたなら自分の居場所が、CFS業界そのものがあざ笑われるように感じて許せなかった。
だから阻止する。たとえどんな汚い手を使おうと。
<放送中>
<チーム・CARS、ABADDON快進撃ぃ! みるみる順位を上げていく! なんだこいつ!? これでホントにライセンス取り立てかーっ!? すでに6位と7位のミッションリング所属、VD-4コンビの背後に迫っています!>
先ほどからあまりにも興奮する実況者の様子に、やや冷や水を浴びた気分になった解説役の男性は冷静さを取り戻し、彼に『助言』をしようかと迷った。
CARSのCFS業界の、ひいては車企業への参入はそこに利権を持つ多くの要人から歓迎されていない。
重箱の隅を突くような話だが、ここであまり褒めては長年仕事仲間としてやってきた彼がスポンサーに睨まれて干されるのではと危惧したからだ。仕事上での付き合いだけだが、そのくらいには彼に仲間意識があった。
<さすがワールドエースと言ったところでしょうか。マシンの操作はお手の物、という言葉を体現している走りですね>
対して解説の男はCARSの車体に関しては褒めることなく、ひとまず自分の仕事を全うする。
スポンサーは怖い。しかしそれと同じくらい、あるいはそれ以上の権力の後ろ盾を持っていそうなこのドライバーとその背後に敵意を持たれたくもなかった。
(今回の
運営が自分たちの縄張りに入られて腹を立てたのもあるだろうが、一番大きな理由は外都市企業への忖度だろう。
証拠映像付きのチームCARSの反論にも関わらず、外都市とズブズブのミッションリングの問題行動を無視してCARS側だけに一方的なペナルティを課してしまった。
大会においては
否。こんな事は素人でも分かる事の問題であった。
(だと言うのに……そうまでして『表彰台』に立たせたくないのか)
3位までの入賞者はレース後に表彰される。そしてこの映像こそが関係者以外が『レース結果』を認知するもっとも大きい機会でもある。
表彰台に上がったチームとそのマシンは優秀だと認知される。それによって入賞マシンを投入した企業もまた優秀だと理解される。
これがレースに金を出すスポンサーの理論。
つまり宣伝だ。自社の宣伝のためにこそ金を払っている。ならばもっとも宣伝になる表彰台のシーンに、脅威と感じているライバル企業を映したくないというのは分からないでは無いのだが。
解説者は心の中で小さく溜息をつく。
(企業の理屈のほうがビジネスとしてまだ分かる。だが……)
<こ、これはどうした事でしょう!? ミッションリング、同チームでバトル!>
レースでは抜きつ刺されつを行う攻防を『バトル』と呼ぶ。当然として順位を上げるために必須のアクションであり、勝ち負けを競う以上はこれが無いレースなど存在しない。
しかしそれは相手による。
<チーム・ミッションリングに所属するドライバーの仲は悪くないとの事だったのですが。不本意なチームオーダーでもあったのでしょうか?>
CFSレースで同じチームからエントリーできるマシンは2台。場合によってはチームで勝つための戦術としてドライバーに指示し、本命に勝たせるために順位操作を行う事もしばしばある。
だがこれは『譲れ』と指示を受けるドライバーからすればストレス以外の何物でもなく、ドライバーとの関係を悪化させかねない事から常套の戦術として取り入れているチームは多くない。
場合によってはオーダーを拒否したドライバーがムキになって、チームメイトと順位を争いだすことさえある。解説はそういった急なチーム不和からくるバトルかと考えた。
――――しかし、それはあまりに善良な解釈だった。
<こ、コースで並走しています! ミッションリングの2台でラインを塞いでいる!? これは……>
反則だと実況者が言いかけたとき、通信で飛び込んできたとある業務命令がその一言を封じた。
これはミッションリングのドライバーたちによるバトルの結果であり、チームで後続を故意にブロックしているわけではない。
それが
あまりの指示に言い淀んだ実況者と解説者。二人は放送事故になりそうな長い時間、じっと唇をかんだ。
どちらも『人のレース』を愛するものとして、AI会社のCARSの参入は歓迎していない。それは本心だ。
だがしかし。レースを公平にジャッジすべき運営が、このような不正をしてまで守る人のレースに価値はあるのか? そんな考えが頭を
CARSの資本と知名度に価値を見出して参戦させたのも、外ならぬ人間・企業であろうに。
快晴の中のレースのはずが、なぜこんなにも重苦しい空気となってしまったのか。
そうして沈んでいく気分を仕事人として抑え込み、2人は顔を上げて無心で自分の役割に戻る。
だが、ここで改めて映し出されたモニターを見たとき、実況役を差し置いて解説者の男が思わずその光景に叫んだ。
<どこ走ってんだよ!?>
ミッションリングが作り出した苦肉の策、マシンの壁。その幼稚をあざ笑うようにすり抜けていった悪魔の姿に、彼は叫ばずにはいられなかったのだ。
<あ、ABADDON! チームCARSがミッションリングを躱して6位に浮上ぉ!>
―――――後にその光景を見た者たちは、言葉近しくも真逆となる印象を語る。
ある者は言った。天使の羽が瞬いたと。別のある者は言った。悪魔の翼が蠢いたと。
実況席の2人には、それが悪魔に見えた。
抜き去った者すべてを奈落へと沈め、二度と浮かび上がる事を許さない
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