07_人類の牙

「騒がしいな」


 男が呟くと、向かいに座った女性が馬車のカーテンをめくる。


「大闘技場ですね。本日はメタルバウトの決勝トーナメントが開催されております」


「停めてくれ。どうもそれだけではなさそうだ」


 女は御者に指示を出し、馬車を停止させる。


「お一人で行かれるのですか?」


「ああ。君は先に『ギルド』へ向かってくれ」


「かしこまりました」


 タキシード、マント、シルクハットを濃紫で統一した男が馬車から身を乗り出す。

 男はその手に持った銀色のステッキを支えにして馬車から足を踏み出すが、そのどちらも、空中にとどまっていた。

 続く一歩も同様に、しかし一段高く、まるで見えない階段を上るように、男は空中を歩く。

 大闘技場に近付く頃には、施設を見下ろせる高さまで来ていた。


「……『下竜』の群れか。まぁヘンドリックの自警団が出ているようだし、問題ないだろう。観客の避難は――」


 大闘技場の周りでは、ヘンドリックが招集した自警団の犬闘機軍と、トカゲ男の群れが乱闘していた。

 観客への被害が出ていないかを確認しようと、男の目は大闘技場内に移る。


「避難は終わっているようだが、なるほどヘンドリックは赤鬼アレに釘付けか。あいつなら負けはしないだろうが、ここはひとつ、修理費を減らしてやろう」


 再び歩き出した男は、今度は階段を下りるように高度を下げていった。

 だんだんと赤鬼と、それと戦う犬闘機の姿がはっきり見えてくる。


「ん、違うぞ? あれはヘンドリックの機体じゃない。第八世代J-OE8の初期型、それも無手じゃないか!」


 男の眼下で赤鬼相手に単身奮闘しているのは、無論ゴローである。

 ゴローの出鱈目な太刀筋は剣にかかる負荷も多く、自身が借りた剣は既に折れ、スリークが手放した剣を拾ったが、それもまた折ってしまっていた。


「あんなので赤鬼と渡り合える人間なんて、『冒険者』にもいなかった筈だ。一体何者だ……?」


 正体不明の犬闘機乗りに興味を持った彼は、助太刀しようとしていたのをすっかり忘れていた。

 客席の外縁に降り立った男が見守る中、戦闘は続く。

 とは言え、ゴローにはもう戦術などを意識して立ち回る余裕はない。

 既に舞台はボロボロで、あちこちの鉄板が剥がれてひしゃげているため、とにかく足を取られないよう注意しつつ、剣で傷付けた場所を殴るだけだ。


「っらあ!!」


 ヘンドリックが斬り付けた右脇腹の傷に手刀を突き入れる。

 痛みに耐えるように唸り声をあげる赤鬼は、右腕で薙ぎ払わんと上半身をねじる。

 ゴローは即座にその場を離れようとする、が。


(抜け――ねぇ!?)


 深々と突き刺さった犬闘機の右手は、赤鬼のねじれた腹筋に挟まれ、動かなかった。

 今まさに振るわれんとする赤鬼の右腕が当たれば、恐らく犬闘機の右肩を潰し、その被害はコックピットブロックにまで及ぶだろう。


「っざけろぉっ!!」


 ゴローは軸足一本を残した全ての手足を使い、右手を引き抜こうとする。

 いざ赤鬼の腕が振るわれたその瞬間、犬闘機の右手が外れ、ゴローは反動で投げ出された。

 副脚は赤鬼を蹴り付けていたため衝撃緩和に使えず、まともに背中から倒れる。

 すぐさま立ち上がろうと手をつくが、バランスを崩し再び倒れてしまう。


「――ッ!?」


 異常に気付いたゴローは機体の手を見やるが、そこに右手は無かった。

 手首からは、金色の磁気テープのようなものが数本、ひらひらと垂れている。


「おい……マジか?」


 追撃に向かってくる赤鬼に視線を戻す。

 その脇腹には手首から先が残されていた。


「マジだよ……」


 一瞬、現状を認めるのを脳が拒み、笑いが込み上げてくる。


 当然その間、ゴローは致命的な隙を晒し続けている。



 影がさす程までに迫った赤鬼も、嗤っているように見えた。



 そして、その視界を遮るように、足が、叩きつけられる。



「立てぇえ! ゴロー!!」


 顔面に後ろ回し蹴りをくらった赤鬼は、片足が浮いていたこともあり、踏ん張れずに倒れた。


「……え?」


 呆けたゴローの視界に、新たな影が落ちてきた。

 目の前で尻もちをつくそれは、頭部の無い犬闘機。

 開け放たれたコックピットハッチからは、見慣れた顔が見て取れる。


「エシュカ!?」


「何してんの! 今だ! 行けぇ!!」


 その通りだ。過程を問うてる時間は無い。

 エシュカの叱咤で目を覚ましたゴローは、左手を地面に叩きつけて機体を立ち上げる。


「エシュカ! この手から出てるのって、『アレ』だよな!?」


 ゴローはエシュカに右手首を見せる。


「『魔力伝達回路』!!」


「ってことはこれに魔力流れてるんだよな!?」


「そう!!」


 上体を起こす赤鬼に向け、ゴローは機体を走らせる。


「なら、あの時お前がやったって言う『アレ』! できるよな!?」


「!? 多分――いや、できる! 絶対! できる!!」


「おっしゃあ!!」


 膝を立てた赤鬼に、拳の無い右手を振りかざすゴロー機が肉薄する。

 そのまま拳を打つかのように、金色の帯を押し付けた。


『逆流』バックフロー!!」


 赤鬼に接触している魔力伝達回路に魔力を集中させ、一気に流し込む。

 すると赤鬼の身体は一瞬跳ねるように痙攣した後、うつろな目をしたまま膝を折った。


「うおおおおおっ!!」


 力が抜け倒れこんでくる赤鬼の胴に、背中から腕を回して抱え込む。

 右手が無いことで弱まったホールド力は、両副脚で締め付けることで補い、赤鬼を逆さに持ち上げた。


「っだああぁっ!!」


 そのまま渾身の力を込めて跳び上がり、赤鬼の脳天を地面に敷かれた鉄板に叩きつけた。

 筋肉の鎧が剥がれた首を、人類の牙が嚙み砕く。

 ついに赤鬼は、鋼鉄のマットに沈んだ。


https://kakuyomu.jp/users/mippa/news/16816700428946547797


 スリークを大闘技場の外に逃がそうとしたヘンドリックは、自警団とトカゲ男達の交戦を見て引き返した。

 犬闘機のコックピットは一人乗りで、助手席や固定具も無い。

 気を失っているスリークを転がしたまま戦闘する訳にはいかなかったのだ。


「おい、スリーク! しっかりしろ!」


 木を隠すなら森の中。

 今は決勝トーナメント出場者のドックで使われていない犬闘機のコックピットに座らせ、意識の回復に勤めていた。


「ぅ……っ。団、長」


「気が付いたか!」


「はい……すみません。それで、赤鬼は?」


「今はゴローあいつが足止めしてる」


「一人で、ですか!?」


「お前も気付いただろう? あの赤鬼は明らかにあいつを狙っていた」


「それは、確かに……」


「とにかくお前はこいつで自分の身を守れ。俺は戻る」


 ヘンドリックが自分の機体に戻ろうとコックピットハッチを開けると、試合を区切っていた銅鑼の音が鳴り響いた。

 その音は魔法によって拡散され、大闘技場の外で乱闘する全ての者にまで、余さず戦いの終わりを告げた。


「あ……ああっ……これって……!」


「くっそおっ!!」


 ゴローが赤鬼に勝てる訳がない。

 なのに試合終了の銅鑼が鳴るということは……。

 嫌な予想を振り切るように自身の犬闘機を走らせる。

 赤鬼が大闘技場から出る前に、自分の手で討たねばならぬと。

 それは自警団団長の義務である前に、勇気を示した一人の男に対する敬意だ。

 覚悟を決め、大闘技場の舞台へ戻ったヘンドリックは――


「……へ?」


 ――固まった。

 停止した二体の犬闘機。

 仰向けに倒れ気を失っているゴローと、こと切れている赤鬼。

 そのどれもが想定の範囲外にあった。


「やっと来たか、ヘンドリック。赤鬼をこんなルーキーに任せて何をしていた?」


 一番の想定外は、その人物がいることであり、そしてその人物がいることにより、全てが繋がった。


「ゲルガー監察官! ……そうですか、貴方が。助かりました」


 銅鑼の脇に佇む濃紫のマントを見つけ、ヘンドリックは犬闘機を下りて礼をする。


「私は一切手を出していない」


 ゲルガーはまたも空中を歩き、舞台へと降りる。

 緊張の糸を解いたヘンドリックは、その言葉の意味を理解するのに若干の時間を要した。


「は……それは、どういう」


「その男だ。私は見ていただけだよ」


「な……馬鹿な。何の武装も無い犬闘機で、どうやって?」


 ゲルガーはヘンドリックの疑問を運ぶ視線を、エシュカに向けて受け流す。


「『逆流』を犬闘機で使ったの。むき出しになった魔力伝達回路を押し当ててね」


「そんなことが……だが、いくら赤鬼の魔力量が少ないと言っても、『逆流』は相手を殺せるような技じゃない」


 相手に魔力を直接送り込む『逆流』は人間の間で広く普及している護身術である。

 本来、体内で急激に増えることなど有り得ない魔力を外部から直接流し込むことで身体機能を変調させ、相手の隙を作る技だ。

 殺傷力は無く、相手の種族や魔力量で効き目が変わってしまうため、ここぞと言う時に頼り切れないのが欠点だが、人間が生身で太刀打ちできない相手に対抗し得る貴重な手段である。

 ちなみにエシュカはゴローに『逆流』を教えた際、地下闘技場で照明魔法を使っているトカゲ男に使って魔法を打ち消したことも伝えていた。


「ええ。だけど無力化することはできたから、その内に首を折ったってワケ」


「そう! 凄かったぞ! こんな風に逆さにして、頭からドーン!」


 ゲルガーがステッキを振るとヘンドリックの身体が宙に浮き、上下が反転して地面スレスレまで落下した。


「……なんて奴だ」


 天地を戻されたヘンドリックはフラつきながら着地する。


「それを踏まえてヘンドリック。今日ここはメタルバウト決勝の会場だったね?」


「はい、その通りです」


「決勝の出場者に、彼より強い奴がいるか?」


 ゲルガーの言わんとすることを理解したヘンドリックは吹き出し、乗った。


「ふっ……いいえ! おりません!」


「では決まりだ。ゴロー、だったね? 新たな『冒険者』を歓迎しよう!」


「は? おい待て! 何すっ飛ばしてんだ!? 優勝がゴローってだけの話だろーが!!」


 思っていたより飛躍した宣言に食ってかかるヘンドリック。


「ん~? すまない、ヘンドリック。君の口汚い言葉は私の耳には入らないんだ」


「ぐっ」


「それに、これは彼等の希望でもある。君が来る前、お嬢さんに頼まれてね」


 エシュカに目くばせするゲルガー。


「こいつの目的は、ここにはないから。まぁ、この国の外に出られるなら冒険者じゃなくてもいいんだけど、一番手っ取り早いかなって」


「そうか。昨日言ってた『入り用』ってのは、そういうことか」


(そして多分あの時の『予行練習』も関係してるだろう)


「おやぁ? もしかしてヘンドリック、ゴローを自警団にスカウトする気だったとか?」


 戦闘中のゴローの言葉を思い返しているヘンドリックを見て邪推したゲルガーはお道化て見せる。


「なっ! 馬鹿言え! こんな野良犬みたいな奴がいたら、統率が取れん! こっちから願い下げだ」


 本音を言えば欲しかった。だが飲み込んだ。

 ヘンドリックは若者の自主性を尊重する大人である。


「ならば問題は無いな。あとの処理は任せて、君たちは帰って休むといい。落ち着いたら彼をギルドに連れて来てくれ」


「ありがとうございます」


「ヘンドリックは二人を送って行くように」


「へいへい」


「よろしい。では手始めに、大会の終了を宣言しよう!」


 この後もゲルガーの指揮の下、冒険者ギルドと共同で様々な後処理が待っていることを想定して気が滅入るヘンドリック。

 ゴローは犬闘機を手に入れ、国外に出る足掛かりも掴んだ。

 だが当の本人に目を覚ます気配はない。口角を釣り上げたまま、大の字でのびている。

 そんなゴローの顔を見て、ヘンドリックはため息と共に呟いた。


「いい気なもんだぜ……」




犬闘機 第一章『犬闘機』 了

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