犬闘機

みっぱ

01_犬闘機

01_異世界からの襲撃者

 足音が響く。

 男は一切照明が無い通路を、出口に向かって歩く。

 半月ほどは経っただろうか。毎日通っている通路だ、新鮮味は無い。

 出口は既に見えている。その先にあるのも最早見慣れた光景だ。

 光の下に身を晒すと、土砂降りの声が鼓膜を叩く。


(いい気なもんだぜ……)


 ここは地下に造られた闘技場。中央に設置された古びたリングに張られた黒く燻んだマットからは、まるで誇りを感じない。汚れたマットだ。

 今、このリングで行われようとしているのはルールに守られた綺麗な格闘技ではない。

 そしてここに立つのは気高き戦士ではなく、どこにも居場所のない野良犬達だ。

 身分も無く、行く宛もない人間どもがこの場所に掃き捨てられ、はたまた自ら迷い込む。

 そうなれば最後、飢えでリングに繋がれた野良犬は観客の賭けの対象として倒れるまで闘わされ続ける。

 リングには既に男が一人。生傷と包帯に塗れたその男は、それでもなお力強くリングに立つ。

 身体の至る所にある塞がった傷跡が、彼が歴戦の猛者であることを示している。

 聞いた話によると『この世界』には即効性の回復薬や回復魔法があるらしい。

 だが掃き溜めの人間がそんなものを使ってもらえる筈もなく、ならば自分の体は自分の手でと回復魔法を覚えようにも、そもそも人間は魔法を使えない。


「待ちかねたぞ。さっさと上がってこい『レイダー』!!」


 リング上の男の呼びかけに応じ、ロープの隙間からリングに滑り上がる『レイダー』。

 対峙してみれば、その体格差は歴然としていた。傷だらけの男は身長二メートルに達するであろう巨漢で、肉体もまさに筋骨隆々を体現している。

 一方で『レイダー』と呼ばれた上半身裸で黒のパンタロンを履いた男は体つきこそがっちりしているものの、身長は頭一つ分も小さい。


「なんだ小せぇなぁ? そんな生っちょろい身体で、な~にが《異世界からの襲撃者》じゃオラァ!!」


 大男は言い終わる前に『レイダー』に前蹴りを浴びせにかかる。

 不意を突かれた『レイダー』はまともに受けてしまった。ロープに背を打ち膝をつく。


(知るかよ! 俺が名乗ったんじゃねぇ!!)


 思いはするが、衝撃で空気を失った身体は言葉を紡げない。

 しかし一時的に呼吸を阻害されただけで、『レイダー』に大きなダメージは無いようだ。

 すぐにロープをしっかり掴んで立ち上がるとその流れのまま飛び上がり、トップロープを踏んだ反動を使い追撃に迫った大男の顔面に両足を叩き込む。

 カウンターで入った蹴りにたまらず後転、一回転して座り込む大男にすかさず詰め寄り側頭部をローキックで打ち払うと『レイダー』は吠える。


「言っておくがなぁ! 俺はゴロー! 飯田五郎だ! 勝手に変な名前付けんじゃねぇ!!」


 『レイダー』こと飯田五郎の主張は、ようやく鳴らされた試合開始のゴングに重なり、誰の耳にも届かなかった。



 試合開始から五分が経過した。開始前と打って変わって場内は静まり返っている。

 マットに血の華を描いたアーティストは既に居らず、華の中央に大男が倒れ伏すのみである。

 リングから伸びる赤い足跡を追い通路を行った先に、何者かに行く手を阻まれているゴローの姿があった。


「十五連勝おめでとう、『レイダー』」


 彼をその場に止めている存在は異様な姿をしていた。

 背格好は恰幅の良い中年そのものだが、顔の上半分は爬虫類のような鱗に覆われており、指は四本、更にゴローの足を一回り太くしたような尻尾まで携えている。


「俺はそんな名前じゃねぇ」


「でもね、こう毎回一方的な展開じゃお客さん飽きちゃうんだよね」


「知らねぇ」


「もう少し見ていて楽しい試合をしてもらわないとさ、お客さんに悪いじゃん?」


「関係ねぇ」


「オーナーとしてはさ、お客さんに楽しんでもらわなくちゃいけないって分かるよね?」


「ならお前が闘ったらどうだ? ドラゴンマスクなんて似合いのリングネームだぜ?」


「分かってないな。人間だからいいんじゃないか! 身体は弱い、魔法も使えない劣等種がてめぇらに何の得もない血を流すから面白い! 無駄に無様に不細工に壊しあう様がもう滑稽で滑稽で!!」


 オーナーを名乗るトカゲ男は片手で目元を覆いひとしきり笑うと、深呼吸しながら手を放す。


「私が入っては折角の見世物がすぐ終わってしまうだろ。だからさ――」


 露わになったトカゲ男の両目に危険を感じたゴローは反射的にその場を飛び退く。

 一瞬の後、トカゲ男の四本の爪が床を抉った。


「お前の手足どれか無くなればさ! いい試合になると思うんだよね!」


「客の居ないとこでエキシビジョンマッチか? 興行の才能無いぜ、お前!」


 ゴローは知っている。トカゲ男が言った人間の弱さを、既に体験している。

 故にゴローは踵を返し、リングの方へと逃げる。この狭い通路では、奴の脇を抜けることは叶わぬと踏んでの行動だ。

 強引に抜けたとしても既に床を砕いた音が番兵の耳にも届いているだろう。その先に道は無い――しかし。


「馬鹿め! 逃げたとて同じことよ!」


 その通りだ。恐らく反対側の通路からは気を失っている対戦相手をリングから退かすために番兵が向かって来ている筈だ。

 残るは観客用の出入り口だが、論外だ。客は皆この賭け試合を楽しみに来ている連中であり、その大半は人間ではない他種族である。

 何百という観客の悉くが自分より強く、且つ、この催しを求めている以上、逃亡を阻害されるは必定。搔い潜れる訳がない。

 ここまで不利な条件が揃っているのを鑑みれば、普通の人間はそもそも歯向かったりしない。ゴローもそれは重々承知している。だからこそ今日まで大人しく闘ってきたのだ。

 今日、この日に限ってゴローが噛み付いたのは当然――


「消せえええええぇぇぇっ!!」


 通路を出た瞬間叫ぶゴロー。その間もリングを凝視し、目に焼き付ける。

 直後、闘技場の天井付近に展開された大規模照明魔法が消失した。

 暗闇に支配された中で、ゴローは残像を頼りにリングの下へと滑り込む。


「何が起こった!? おい! 早く明かりを点けろ!」


 ゴローを追って闘技場内に入ったオーナーが照明係がいた筈の方に向かって叫ぶが場内の照明は点かず、代わりにどよめく客席でぽつぽつと明かりが灯り始める。照明魔法を使える観客が唱えた魔法の明かりだ。

 しかし、光量に対して視界は晴れない。暗転している間に、闘技場内は煙に包まれていた。

 火の無いところに煙は立たぬことを観客も理解している。そして火を恐怖する本能も、種族を違えた全ての観客が持ち合わせていた。

 逃げようにも煙に遮られ出口が見えない焦りでパニックが起こる。

 必然、風魔法を使える者達が突風を巻き起こし部分的に煙を晴らすと、その限定的な視界に捉えた出入り口へと皆が押し寄せる。

 客席の出入り口は四方に四か所設けられているが、既にその全てに観客が殺到していた。


「げほっ、な、何をした!? とにかく水だ! 火を消せぇ!!」


 煙に巻かれたオーナーは通路に引き返し、向かってくる足音に向かって指示を出す。


「おのれ人間風情が、よくも――っ!!」


 忌々し気に振り返ったその時、誰かが放った風魔法によりオーナーの視界の一部が晴れ、一瞬見えたリングの下から上着を羽織ったゴローが駆け出した。


「奴だあぁーっ!! ごほっ、奴を捕らえろおおぉーっ!!」


 煙を吸うのも構わず力任せに叫べども、その声量は平時より小さく、客の悲鳴にかき消される。自身も追わんと煙の中に身を投じるが、あっという間に前後不覚に陥る。

 今日、この日に限ってゴローが噛み付いたのは当然――勝算があったからだ。

 最早、ゴローを追跡できる状況ではなかった。




 高い建物が少ない街の、民家の二階の窓となれば遠い空にたなびく白煙も良く見える。

 背後の扉が開き、この脱出劇を企てた張本人が入ってくる様が窓に映った。


「いやぁ、本当に来てくれて助かったぜ。ありがとな」


 振り返り、協力者と対峙するゴローは感謝と共に右手を差し出す。

 ここに逃げ込むまでの道中では頭まで外套を纏っており濃紺の瞳しか見えていなかったが、その素顔は二十歳になるかといった若い女性だった。

 顎下まで伸ばした金髪は毛先にウェーブがかかっており、雰囲気を軽く見せている。

 丈の短い黒のインナーは上半身のラインを露わに写し、むき出しのへそから下は作業着のような生地のキュロットパンツが包むが、それも膝上までだ。

 服装は地味な色合いだが、首から下げたゴーグルの下で、同じく首に結んだ真紅のバンダナが存在を主張している。


「どういたしまして。ま、同じ人間だし、何よりあたしが話聞くためだし、あんま気にしないでよ」


<挿絵|https://kakuyomu.jp/users/mippa/news/16816700428535778859


 協力者は気さくに握手に応じる。そしてゴローに着席を促し、自身も同じテーブルセットの椅子に座る。


「さて。あたしはエシュカ。エシュカ・J・マルベリー。まずはそっちの経歴を聞かせて貰おうかな、《異世界からの襲撃者》さん?」


<表紙|https://kakuyomu.jp/users/mippa/news/16816700428456485945

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