そうして彼は天にたつ
散原
そうして彼は天にたつ
見知った顔の看護師に会釈し、もうすぐ退院なのだという老人に手を振り。
いつものように、笑顔を浮かべて深浦は歩く。願掛けに腰まで伸ばした髪を揺らして、スライド式の扉に手をかけた。
階段を昇ってすぐにある、白い一人用の角部屋。窓際の光を受けて、ニット帽を被った頭がこちらを向く。やつれた顔に、笑顔が散った。
「
「おはようさん。梅雨やのに綺麗な夕焼けやねぇ」
「あはは、そうだな」
彼の名前は
「今日も元気そうで何よりやわぁ」
「元気ィ? 全然元気なわけないだろ。薬のせいで吐き気は酷いし身体中が痛くてたまんないっての」
「ふふっ。それはよかったなぁ」
「日本語って知ってる?」
ケラケラと笑いながら、深浦は頼まれていた漫画や小説、そしてノートの入った鞄を見せる。そうするとすぐ彼の興味はそこへ行き、深浦は苦笑しながらノートを引き出してやった。
痩せた腕がノートを開く。そこには、シャーペンで綴られた深浦の文字が、綺麗に並んで物語を作っていた。
「どんぐらい進んだ?」
「そんなに。昨日の今日やもん、6ページ程度やわ」
「んへへ、俺だけのための連載小説」
「たいしたもんやないのに気持ち悪いこと言わんといてぇや。というか、こういうのって纏まったやつ読みたないん?」
「今更何言ってんだよ。毎日ちょっとずつおまえの話が組み上がってくのがすげえ好きなんだって」
「……ほんまに物好きなんやから」
正直、パソコンで書いた方が気が楽だ。途中で修正するのも簡単だし文字だって丁寧に書こうと気遣わずに済むのだから。
それでも天野は手書きを求めた。こちらの苦労も突っぱねて。
( まあ、俺もまんざらでもないからええんやけどさ )
天野はきっと、深浦の物語に自分を重ねているのである。
自由に動けず変化のない、けれども苦痛の多い日常とは別に、この手書きのノートの中で少しずつ、自分ではない誰かを生きているかのように。
( 俺は一輝を生かしてる )
日に日に瘦せ衰えていく彼ではなく、自分の両足で大地を駆ける少年として。馬を駆り刀を振るい、時には魔術にだって触れることのある、全く現実とは違う人生だ。
( こいつが死んでも、俺は彼を「いかす」んやろか )
彼が望んだ物書きとして、生きたかったという未練を引き継ぐように。
そんなことを思う自分が嫌になる。
彼にはこのまま生きて欲しいし、それを願って髪を伸ばしているというのに、まるで確定次項かのように彼亡き未来を考えてしまうのだ。
「佐紀、顔」
「……あ。……ごめん」
また、悲しい顔をしてしまっていたらしい。
しないでほしいと言われているのに。
「そういう顔をしてくれるのも、嬉しいけどさ」
「アホなこと言わんといて」
「アホかもしんないけど本気だったって知っといてくれ」
「……」
どうしてだろう。いつもならこれくらい冗談として流せるはずなのに、今日の天野は柔らかい空気のくせして真剣で、笑顔の仮面が被りづらい。
黙り込んでしまった深浦に天野は申し訳なさそうに微笑み、そっと視線を外した。
寂しい。悲しい。
そう黙ったままに零す彼が恨めしくなる。けれども何より嫌なのが、それを満更でもなく思う自分だ。求められているようで、胸の奥が疼いてしまう。
でもそれを感じるほどに、引き裂かれそうな思いになる。
嫌な予感がして仕方がない。
来て欲しくない時が近いような。
でも、それを確かめるために何かを訪ねる気にもなれない。
「……ねえ、佐紀。このお話、最後はどうなんの」
唐突に彼が口を利く。
言葉に詰まった。
深浦の思考に油を差すように、幼馴染は暮れ行く空を眺めて言う。
答えられない。
こたえられるわけがない。
だからせっかく黙っていたのに、彼は微笑んでこちらを向くのだ。
まるで、言え、と促すように。
管に繋がれ随分経って、ようやくと思った矢先に病状の悪化。
髪は抜け肉は削がれ、青白い薄皮が骨に張り付いているだけの少年。
体が丈夫でない代わりに心が強く、優しくて気の良いやつで、そんな諦めた顔をする奴ではなかったはずだった。
( ああ、いいや、ちゃうなぁ )
そう振る舞っていただけなんだろう。
それも限界になったということか。
「…………すーっかり、性格悪ぅ育ってもうたなぁ」
「あはは。まあな。お互い様だろ」
「ネタバレしたら、言うことひとつ聞いてくれはります?」
「俺にできることならいいよ」
「その言葉忘れんといてな」
「俺は何をすればいい?」
「この物語の最後はな、」
深浦は問いに答えずに、窓のカーテンを閉める。
そうしながら頭の中にある物語の全貌を話して聞かせ、ハッピーエンドを目指してしばらく。
天野が「そっかぁ」と嬉しそうに物語を聞き終えたころ、二人は肩をもたれあい、日没を追いかけて暗くなったベッドに座り込んでいた。
深浦は、天野の服の裾をそっと握る。
「……一輝。……ボクも連れてってって頼んだら、ええよって言ってくれる?」
「それは……。……。……気持ちだけ、ありがたく受け取っておく。きっとあの世の川の船頭が、良い駄賃だなって貰ってくれるよ」
「あっそ。そんならええわ」
代わりに、と。
深浦はそっと彼の両頬を手で包んだ。
「キス、さして」
天野は目を丸くして深浦を見た。
「……は? 正気?」
「正気。男がどうのって愚問はいらんよ。おまえが俺をどう思ってるかとかも知らん。ただ物語の駄賃に、おまえのキスが欲しい」
「……病気がうつるよ」
「うつせるもんならうつしてみろ阿呆。うつるもんちゃうやろ」
深浦は悪戯めいた微笑みを浮かべ、天野のこけた頬に顔を寄せる。
「おまえ、死ぬんやろ。そんなら俺に置きお土産ちょうだい」
答えなんか聞いてやらない。問答無用に目を閉じた。
かさついた唇に自分の物を押し付けても、抵抗される様子はない。
一度。二度。いつのまにやら、彼の薄い手がこちらの手先に重ねられていた。生温く、強く握れば弾けてしまいそうな弱々しい手。昔、幼いころに彼が手を引いてくれた時は、もっとずうっと熱かったのに。
どうしようもない感情になって、痛む目元を薄く開いた。互いの潤んだ目を合わせたら、もうそれ以上はできなくなる。
鼻先を突き合わせ、額を重ねた。
手も、体も離れない。
小さな部屋で二人きりに、互いの存在を許しあっていた。
「なんで、こんなこと……最低じゃん」
「仕返しに決まっとるやろ。死ぬなら俺を未練にしてや。俺を置いてくこと、来世まで後悔して死ね」
「ひっでぇ」
「俺、一輝のこと好きやったよ。でももう嫌い。俺を置いてく奴はお断りや」
「えー? ということは俺、フラれちゃったのか」
「……なに、それ」
零れた涙を、天野がそっと拭ってくれる。
「 生まれて来てくれてありがとう 」
どちらがそれを言ったのだろう。
でも間違いなく、二人は同じ気持ちだった。
その翌日、7月7日。幼馴染は死んだ。
七夕の日、天野一輝の誕生日である。
葬式には髪を切って参列した。
徹夜して完成させた数冊に及ぶノートの小説を、彼の棺の中へと入れる。
軽い骨となって炎から出て来た彼は、ちゃんと船頭に駄賃を渡したのだろうか。
そうして彼は天にたつ 散原 @chikihara
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