第7話 勇者の凱旋

 翌朝、ラドバウトはフレイクと「湾曲する矢フレッシオーネフレッシア」の三人を伴い、人間界へと足を踏み入れた。

 衛兵をやり過ごしてバジオーラ王国の中に入って、街道を西へ。途中、ホッジ公国との国境近くまでは馬車を借り、国境までおよそ三日。その次の日に国境を越え、その際に衛兵にカリストの帰還を説明すると、彼らは大いに喜んで馬車を手配してくれた。後は、ホッジ公国の首都へ向けて一直線だ。

 朝方から休まず馬車を走らせて正午を過ぎた頃、馬車の進行方向にぼんやりと城壁が見えてきた。カリストがそちらを指差しながら口を開く。


「あそこが、ホッジ公国の首都、バルザッリです」


 カリストの言葉を受けて、ラドバウトがこっそり馬車の幌を上げる。視界には青く澄み渡った空の下、雄大にそびえる城壁と城下町、そして城が見えてきた。


「ほう。なかなか立派な門構えではないか」

「せ、せんせい……こわいです、もしなぶりごろしにされたら……」


 隣ではフレイクが、尻尾を足に巻きつけて小さく縮こまっている。が、見る人が見たらおや、と思っただろう。彼はたどたどしいながらも、人間語を話していた。

 ここに来るまでの道中、ラドバウトは四人にみっちりと指導を施していた。フレイクには人間語の話法と人間界の常識を、冒険者三人には礼儀作法と戦術理論を。勿論、実践的な訓練も忘れてはいない。

 おかげで「湾曲する矢フレッシオーネフレッシア」の三人は、魔王領に立ち入った時よりも明らかに強くなっていた。レベルも勿論上がったが、それよりも戦い方が洗練されてきた。バジオーラ王国に入ってからSランクのモンスターと戦う機会がなく、上がった実力を発揮する機会がなかったことが残念だ。

 ともあれ、もうすぐホッジ公国の首都。ラドバウトは自らの作戦を実行に移すべく笑う。


「大丈夫じゃよ、わしは捕虜・・じゃ。殺したらこの国の沽券こけんに関わるわい」

「で、でも……」


 心配そうに見つめてくるフレイクに、ラドバウトはを嵌めた両手を見せながら笑った。両足には重りも繋いでいる。

 ラドバウトの作戦はすなわち、「自身をカリストたちに捕らえさせ、魔王軍の捕虜として・・・・・ホッジ公国に入る」ことだ。

 対外的には、まだラドバウトは魔王軍の側近として名が通っている。この側近を殺さずに捕らえることができれば、一国の主なら魔王軍との交渉材料に利用しようと考えるだろう。その立場を有効活用しようと、彼は考えたのだ。

 勿論、実際には交渉材料になどなりはしない。正式に書面を出したとして、鬼哭王は「そのような者など知らぬ」と突っ返すだろう。だがラドバウトを国で抱え込むことは、決して無意味ではないはずなのだ。

 それでも心配が拭えないでいるフレイクの頭を、ミレーナが優しく撫でる。


「心配しないでいいわ、フレイク。静かに、大人しくしていれば、誰も武器は向けてこない。怖い思いは……させてしまうかもしれないけれど」

「石を投げてくる連中は、一人二人、いるかもしれないね。何せ、とんでもない大物だから」


 トゥーリオは腕を組みながら難しい顔で呟いた。まあ、気持ちは分かる。なにせ先代の魔王の頃から、魔王軍を献身的に支えてきた男なのだ。それが今更、捕虜になって首都に入ったなんてことを素直に許容されるとは思えない。

 カリストが申し訳無さそうな表情をして、ラドバウトに頭を下げた。


「すみません、ラドバウト先生。あれだけ親身になって俺たちを指導してくれたのに、こんな扱いをしてしまって」

「いいんじゃよ。わしが言い出したことじゃ」


 出会った頃とは比べ物にならないほど物腰の柔らかくなったカリストに、ラドバウトは笑みを返す。もうすっかり、三人ともが「先生」と彼を呼び慕うまでになっていた。

 その「先生」に枷を付け、捕虜として君主の前に引き立てる。申し訳ないと言ったら無いだろう。しかしカリストは気にも留めなかった。


「生きて捕らえた敵軍の捕虜に、枷を付けない者がどこにおる? わしをホッジ公の前に連れて行くまでがお主らの役目じゃ。あとはわしの弁舌の見せ所よ」


 そう話しながら、三人に向かってラドバウトは自信たっぷりに笑う。その表情をホッとしながら見上げていたフレイクだが、ふと、小さく首を傾げた。

 ラドバウトは今、「わしを」と言った。そこにフレイクは入っていないように聞こえる。


「え……ってことは先生、フレイクは?」


 トゥーリオも同じ疑問に思い至ったか、フレイクの顔を見た。

 ラドバウトは、自分ひとりでホッジ公の前に出ようとしている。フレイクはそこに同席させないつもりだ。不安そうな表情を見せるフレイクの頭を、ラドバウトが枷のはまった手でぽんと叩く。


「心配なのがそこじゃ。わしと違ってしがない一兵卒の新米、交渉材料にはならんじゃろ。じゃから、こうする」


 そう言いながら、ラドバウトはもう一度フレイクの頭を叩いた。と、彼の身体が煙に包まれ、烟が晴れた時には獣人の青年はそこにおらず、フレイクの面影を残す人間の少年が一人いた。


「あ……」

「これなら、わしが術を解くまでは人間の子供にしか見えなかろう。わしを捕らえた道中に保護した、戦災孤児とでも偽ればいい」


 その鮮やかな魔法に、冒険者三人は深くため息をついた。無詠唱でここまでやるとは、さすがは年季を経ているだけのことはある。それはそれとして幻影魔法を被せられたフレイクは、尻尾がないことに落ち着かないようだ。


「せんせい……んん、なんか、へんなかんじ、します」

「大丈夫、ちょっとの我慢じゃ。出来るな?」


 再び腰を下ろしながら、ラドバウトがフレイクへと微笑みかける。そうこうする内に馬車は、ホッジ公国の首都バルザッリの城壁、その一つの門に入っていった。

 カリストが馬車の幌から顔を出すと、門の外で馬車を待っていた衛兵が、敬礼しながら声をかけてくる。


「勇者カリスト。此度の凱旋、誠におめでとうございます」

「ありがとうございます。公の居城へ、カリストが捕虜を連れて帰還した旨、伝令もお願いします」


 小さく頭を下げながら返事を返すカリストだ。そのあまりにも自然なふうに発せられた、それまでの彼だったら絶対に衛兵相手に使わなかっただろう敬語を聞いて、衛兵たちが面食らう。

 馬車から離れ、開門と伝令の準備をしながら、彼らは大いにざわついていた。


「おい、カリストが……」

「俺たちに敬語を使ったぞ、一体何があった?」


 その会話は密やかに行われていたが、声を潜めてされていたわけではない。カリストの耳にも当然届いて、馬車の幌の中に引っ込むとラドバウトに苦笑を見せた。


「なんか、くすぐったいですね」

「いいんじゃよ。素行が悪くなって帰還するより、何倍もいいことじゃ」


 彼の反応にラドバウトも苦笑を禁じえない。しかし確かに、素行が良くなる方が悪くなるよりも大いに良いだろう。

 そんな彼らの会話をよそに、木製の重厚な門が音を立てて開かれる。同時に市内に鳴り響く、高らかなラッパの音。


「東の大門、開門ーっ!!」

「カリスト・シヴォリ、帰還されたりーっ!!」


 大きな声が、城門から市内に向かって響く。魔法で声を拡散させているから、その声はよく響き渡った。

 その声が聞こえるや、街路の家々から人が、子供が、次々に飛び出してくる。そしてホッジ公家の紋が描かれた馬車を見るや、大きな歓声があちこちから上がった。

 大喝采だ。国家認定勇者の帰還、それも敵軍の重要人物を捕虜にしての帰還だ。興奮しない国民が何処にいよう。


「馬車のほろをお上げください。市民みんながお顔を見れるように」

「分かりました」


 馬車に並ぶようにして更新する兵士が声をかけると、カリストが幌を持ち上げた。勇者の顔が顕になるや、歓声が一層大きくなる。

 と、そこで。カリストの横を歩く兵士が、そっと顔を近づけて耳打ちした。


「ちなみに、カリスト。捕虜とは」


 その言葉を聞いて、目を見開くカリストだ。

 兵士の位置から、ラドバウトの顔が全く見えないわけではないが、影になっているせいでよく正体まで分からないようだ。しかし国境を超える際に、首都には伝令を飛ばしているはずである。

 カリストは振り返ってミレーナに声をかけた。


「ミレーナ、伝令鷹レターホークは飛ばしたはずだよな?」

「ええ、飛ばしたわ。でも兵士の皆さんには伝わっていなくても仕方がない」


 首をかしげるカリストだが、ミレーナも肩をすくめながら答えた。

 伝令鷹レターホークとは、この世界で一般的に用いられている長距離間で素早く文書のやり取りを行うために遣わす鷹だ。予め決まった場所を覚えさせておいて、その場所と場所の間を結ぶように移動し、文書を運んでいく。今回、国境を超える際にカリストの帰国、ラドバウトを捕虜にしたことを文書にまとめて伝えているのだ。

 国家間の連絡や冒険者ギルド間の連絡は、全てこの鳥が賄っている。国境から首都への連絡手段としても一般的だが、末端の兵士まで情報が伝わっていなかったようだ。

 苦笑しながら、カリストが再び幌から顔を出す。


「後でお話します。公の城に着けば、自ずと分かるでしょう」

「なるほど」


 兵士もその言葉に納得したようだ。そうこうする内に馬車は城の前で足を止める。ホッジ公国の主、バルダッサーレ・ホッジ1世が待つ、バルザッリ城だ。


「到着いたしました。皆様、どうぞ外へ」

「ありがとうございます」


 幌の後ろ側を兵士が持ち上げると、ミレーナとトゥーリオ、フレイクが外へと出る。不安いっぱいの表情をしたフレイクの手を、ミレーナがしっかりと握っていた。

 そして、残るはカリストとラドバウトのみ。


「さあ、行きましょう」

「うむ」


 カリストに促されて、ラドバウトが馬車の外に出た。

 途端に、周囲の空気が一変する。見物に集まった市民も、護衛していた兵士も、目を見開きながら驚きの声を上げた。


「ひ……っ!?」

「ラ、ラドバウト……!?」


 ああ、やはり自分は恐れられているようだ。もう何の身分もない、ただの老いさらばえた魔物だと言うのに。

 自分はもう少ししたら、この国の民を恐れさせる存在では、なくなるはずだと言うのに。

 複雑な思いを抱きながら、ラドバウトは立派な石造りのバルザッリ城を見上げるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る