第三話『誘惑に抗え』


「確かめるって……どうするんだよ?」

「ちょうど良い方法を思いつきました。あなたは、そこで見ていてください」


 言われるがまま、座して待つ。やおら、束が立ち上がると羽織っていたカーディガンを脱ぎ始めた。疑問符を浮かべつつもその様子をぼんやりと眺めていれば、彼女は一瞬だけ躊躇した様子を見せてから迷いを振り払うようにして制服を脱ぎ捨て、カーディガンとまとめてベッドへ放り投げる。そして――ワイシャツのボタンを順に外し始めた。


「お――おまっ、なななにして……!?」


 唐突な奇行に心臓が跳ね上がる。反射的に腰を浮かしてうろたえる義明をよそに、彼女はもはや一切ためらうことなく全てのボタンを外し終える。大きすぎず、小さすぎない絶妙な塩梅の膨らみがシャツを押し上げ、薄い桃色のブラジャーから絶景の谷間があらわになっていた。


 言葉を失い、唾を飲み込み喉を鳴らす間にも、束は手早くスカートすらも脱ぎ捨ててしまう。フリルのついた、彼女らしく可愛らしい同色の下着が姿を現し、義明の精神をダイレクトに揺さぶりかける。最後に靴下を脱ぎ去り、華奢なおみ足がフローリングに下ろされる。


 ――全てがドンピシャであった。

 何を隠そう、彼は裸ワイシャツ派閥の人間である。意図せず、束は義明の急所を貫いていたのだ。


 そんな張本人、束の顔は文字通り火が出そうなほどの朱に染まっている。ちらと義明を一瞥し、視線を逸らしてはまた一瞥を繰り返す。やがて俯いたままに消え入りそうな声色で、彼女は自分に言い聞かせるようにして言葉を口にした。


「こ、これが、一番手っ取り早い……はず、ですから……たぶん」

「いやいやいや待て待て待て! もっと他に色々あっただろ!? なぜ脱いだ!? この露出狂め!」


 なぜこうも突飛な発想が思い至るのか。段階をすっ飛ばして予測不能な行動を取るのが結目束という人間ならば、これほどの難敵はいないだろう。彼女には是非とも常識を学んでいただきたい。


「~~~っ! こうまでした以上は後には引けませんっ! さぁ! 思うがまま存分視姦してください! 私に何も危害を加え無ければあなたは無事にアシスタント合格です! 興奮するのはオッケー! ですが! 欲望に従って劣情の赴くまま私に手を出せば、あなたをわいせつ罪で訴えます! 覚悟の準備をしておいてください! 裁判も起こします! 裁判所にも、問答無用で来てもらいます! 慰謝料の準備もしておいてください! あなたは犯罪者です! 刑務所にぶち込まれる楽しみにしておいてください! いいですねッ!?」

「どっかで聞いた構文だなぁオイ!?」


 癇癪を起こしたように開き直り、スゴ味のあるギャング構文を繰り出す縄結。その最中、義明は必死こいて愚息がヘタにぱおんしないよう細心の注意を払い意識を逸らしていた。目だけはがっつりと視姦していたが。


「いいから落ち着けって! 無茶苦茶だぞ!?」


 どうどう、と興奮する馬を抑えるような扱いをされて、束は少しむっとした表情を浮かべ、


「ま、まだ踏ん切りがつきませんか? な、なら私にも考えがあります!」


 言って、彼女は部屋の片隅にぺたぺたと歩き出す。そこには件のダンボールがあった。束はその異彩を放つダンボールを漁り始め、中から鈍色に光る手錠を取り出した。嫌な予感がほとばしり、義明のなかでけたたましい警鐘を鳴らす。なにゆえそのようなブツを年頃の女子高生が持っているのかと聞かれたら、それは結目束だからと答えるしかない。


「ちょっと待てお前なにを――」


 言い切る前に、束は制止を振り切って素早く動き出した。ベッドの傍らに座り込み、片手に手錠をはめ、後ろ手で器用にベッドの足を通してもう片方の手首に手錠をはめて拘束する。ぺたんと座っているせいで、下着が丸見えになっていて精神衛生上大変よろしくない。カチャカチャと手錠を引っ張って、拘束が外れないことをアピールした束は義明を見やり不敵な笑みを浮かべてみせた。


「こ――これなら、どうですか……? あられもない姿の女の子が拘束されているんですよ! これはまさにまな板の上の鯛! 据え膳食わぬは男の恥とも言うでしょう!? 煮るなり焼くなり好きにしてください!」


 とても淫らな格好で拘束された女子の発言とは思えないセリフである。雰囲気ぶち壊しも甚だしいが、悲しいかな、この程度ではウィークポイントドンピシャにダイレクトアタックをかまされた義明は劣情を手放せない。


「お前は俺にどうして欲しいんだよ!?」

「アシスタントになって欲しいです!」

「こ、行動が矛盾している……!」


 これだけ垂涎の誘惑(義明基準)をしておいて手を出すななどと、ハードモードが過ぎるというもの。ちょっとした拷問に等しい。


 阿鼻叫喚の展開についていけず、頭痛がしてきたところで束がおずおずと声のボリュームを下げて訊ねてくる。


「そ、それで……どう、ですか?」

「……どう、とは?」


 質問の意図が汲み取れず、オウム返しに聞き返せば、


「…………興奮しますか?」

「悪魔の質問かよ」


 正直に『興奮した』と答えれば盛りのついたケダモノとして信用を一切失うわけで、かと言って『興奮していない』と答えてもそれはそれで『お前に対して興奮する要素は一切ない』と一蹴しているようなものである。仮にも女性に対してその言い草はよろしくない。


 本音を言えば、義明は束に対し興奮していた。

 しかし、バカ正直に言おうか言うまいかの葛藤に苛まれ押し黙る。期待したような視線でうかがう彼女を前に、二律背反の天秤が揺れる。たっぷり数十秒悩みに悩んで、義明は自分の気持ちに正直になった。元々、嘘は苦手なタチだ。


「………………ぶっちゃけ、すっげーエロい」


 もっと別の言い方があっただろうな、と己の言葉選びを悔やむ。そんな心情などいざ知らず、束はほんの僅かに面を食らったような顔をして、隠しきれない喜びに口角を緩めた。


「へ、へぇ……そう、なんですか……ふへへ……」


 頬を染め、喜びを噛み締める束。ふにゃふにゃの笑みは、彼女をより幼く感じさせる。アホ毛も嬉しそうにぶんぶんと揺れていた。犬みたいだな、と義明は微笑ましくそれを見守った。


「なんで嬉しそうなんだよ」

「それは、まぁ……エロくなるようにやってますから……褒められて、悪い気もしませんし……」

「……気持ち悪いとか、思わねーのかよ」


 屈託なく笑う彼女に、探るように問いかける。


「え? なんでですか?」


 心底不思議そうに疑問符を浮かべ、逆に尋ねられてしまう。言葉に詰まり、間が空く。


「なんでって……普通、自分の裸見られて相手が興奮してたらそう思うだろ」


 それが知り合って間もない、よく知らない相手ならなおのこと。人によっては恐怖を覚えるかもしれない。けれど、束はピンと来ていないようで、可愛らしく小首を傾げた。


「いえ、私はあまり……むしろ、こんな貧相な体でも興奮してくれるのであれば、私的には嬉しいですけどね」

「……言うほど貧相でもないだろうに」


 にへへ、と自虐的に笑った彼女に、自然と言葉がついて出る。紛れもない本心は、口にした義明すらも自分で驚いた。


「えっ、ほ、本当ですか?」


 意外そうに声の調子を上げて彼女が問う。気の利いた返事など用意している訳もなく、咄嗟に言葉を取り繕ってみせる。


「お、俺からすればな。顔だって……その、結構、可愛いと思う」


 言い切って、果てしない後悔の波が押し寄せる。何をのたまっているのかと数秒前の自分を殴りたい衝動に狩られた。紛れもない口説き文句を受け、束の顔は加速度的に朱に染め上がっていく。なんともわかりやすい。感情が表に出やすいおかげで、女子のことなどてんで理解していない義明でも、束が羞恥に打ち震えているのがまるわかりだった。


「~~~っ……! あ、ありがとう、ございますぅ……」


 束は消え入りそうな声色で俯いて、それからしばらく目を合わせることはなかった。義明も、気恥ずかしさから視線をひっきりなしに泳がせる。謎の甘やかな桃色空間ができあがり、ふたりはそわそわとしながら時間が過ぎるのをただ待つ。


「――そっ、それで? どれくらいこうしてればいいんだ?」


 数分が経った頃、沈黙がもどかしく最初に切り出したのは義明だった。


「え、あ、えぇと……は、はい。そうですねっ、も、もう大丈夫です」


 どことなく名残惜しそうな雰囲気をみせる束ではあったが、なにはともあれチキンレースが終了したことに義明は安堵の息を吐く。分岐点は間違いなくあの口説き文句からの桃色ゾーンだろう。あれがなければどうなっていたかなど考えたくもない。


 しかし、気を緩めるにはまだ早い。検証が終わっただけで、未だ彼女は際どい格好で拘束されたまま。無防備な自然体で下着を隠そうともしない。それがどれだけ股間に悪いことか、彼女は知る由もないのだ。己を律し、義明は気を張り続ける。


「あー、なんかぐだぐだになったが……結局、確かめる云々はどうなったんだ?」

「と、とりあえず合格……ということで、是非ともアシスタントを引き受けてもらいたいんですが……」

「……まぁ、ここまでやらせておいて断るのも気が引けるしな」


 彼女の痴態を二度も目の当たりにしておいて『はいさようなら』ができるほど、義明は淡白な人間でもなかった。仮にも家まで足を運んだのだし、乗りかかった船という言葉もある。そして純粋に、束に手を貸したいという思いがあった。さらに言えば、ラノベ作家の仕事にも興味があったのも理由の一つといえばそうだった。


 義明の言葉に束は目を輝かせ、花が咲くようにして表情が歓喜に染まっていく。


「じ、じゃあ……!」

「あぁ、俺なんかで良ければ、引き受けさせてもらうよ」


 腹を決めた義明はとことん付き合う覚悟で承諾する。よくよく考えてみれば、美少女作家の世話ができるのだから役得というほかにない。世間体に少しアレかもしれないが、アシスタントはアシスタントなのだ。至って何の問題もないはずである。


「そんな、あなたじゃなきゃダメです! やっと見つけた貴重な人材なんですから、これから末永く働いてもらいます!」


 不意に、束の何気ない言葉が義明の胸にひどく響いた。『あなたじゃなきゃダメ』。その一言が、何度もリフレインして強く残響を残す。自己評価が低めで謙遜しがちな義明にとって、すべてを肯定してくれるような寵愛じみた言葉。それは強かな衝撃となって義明を揺さぶった。


「……そうか。じゃあ俺からも、末永くよろしくしてもらおうかな」

「はい! 愛想尽かされようとも絶対に逃がしませんから!」


 聞き取り手次第じゃ完全にプロポーズだな――そう苦笑して、これからの行く末に思いを馳せた。きっと、退屈などしない日々なのだろう。彼女と過ごす日常はかけがえのないモノになる――そんな予感がした。


「あ……そういえば、まだお名前聞いてませんでしたよね?」


 ふと声を上げた彼女の言葉に、「あっ」と声を漏らす。今の今まで名乗らずに接していたことに今となって気づいた。慌てて居住まいを直し、きちんと自己紹介を済ませておく。


「そうだな、すっかり忘れてた。俺は各務義明、適当に呼んでくれ。これからよろしく頼むぜ、結目センセ」

「各務義明さん、と……はいっ、こちらこそよろしく――って! で、ですからっ……家に来るときも言いましたけど、私はまだ先生と呼ばれるほど実績もありませんから! 普通に呼んでくださいってば!」


 ぷりぷりと怒りをあらわにする束に、義明はくすりと笑う。


「んなこと言われてもな……俺からすればプロのラノベ作家だぞ?」

「私はまだまだアマチュア作家です!」


 なおもあくまでアマチュアだと豪語する彼女の圧に押し負け、嘆息の後に渋々敬称を外す。


「わかったわかった。じゃあ、束」

「はい、束です。……なんだか改まって言われると恥ずかしいですね」


 自分で付けたペンネームとはいえ、面と向かって呼ばれれば誰だって恥ずかしがるもの。相槌を返して、義明はすっかり冷めてしまったお茶の残りを飲み干す。冷めているとは言え、美少女が淹れてくれたと思えば不思議と美味しく感じてくるから味覚とは不思議なものだ。


「えと、もうこんな時間になっちゃいましたし、今日はこれでお開きにしましょうか」


 丸っこいデザインの壁掛け時計を見やれば、時刻は既に二十時を回っていた。すっかり日も暮れていて、窓からは夜空の星が煌めいて見える。


「随分話し込んじまったな」


 腰を上げると、座りっぱなしだったせいか節々が悲鳴を上げる。声に出さないようそれを堪えて、大きく伸びをしてコリを解す。


「すみません、予定ではもっと早く終わっているはずだったんですけど」

「構わねぇよ。どうせ暇だったしな。んじゃ、そろそろ帰ろうと思うんだが……作り置きとかしておいたほうがいいか?」


 物のついでにそう提案してみるが、


「いえ、今日のところは大丈夫ですよ。あ、でも、早速明日から来ていただいても構いませんか? 休日ですし、午前中からお願いしたいんですけど……」

「あいよ。お手柔らかに頼むわ」

「よろしくお願いします。じゃあ、また明日」

「おう」


 荷物もなく手ぶらで来たので、そのまま玄関へと足を向ける。一方、束はベッド脇で座り込んだまま見送って――、


「――あ、あのっ!」


 やおら大きめの声量で呼び止められ足を止める。半身振り返れば、束がなにやら言いたげな表情でこちらを見つめていた。


「手錠、外していってもらえませんかぁ……」

「そんなことだろうなとは思った」


 本日一番の嘆息を吐いて、居間に戻った。


 ◆

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