ランチタイムの再会
昼休みの時間になると、各教室から生徒たちの大移動が始まった。
学食がどこにあるのか説明はまだされていなかったが、この流れに身を任せれば間違いなくたどり着けるだろう。
この学園では、一年生の教室は上層階にあり、階段の昇り降りをしないで済む一階には、三年生の教室や理科実験室等の専門教室があった。
学生服の波にまぎれて、一階まで階段を降りる。
人の流れは外廊下まで長く続き、丸文字のメニューが書かれた黒板式の立て看板のある建物で勢いは急に
CAFE TERRACE ばいおれんす──学園名が由来なのだろうが、ネーミングセンスを疑ってしまう。
建物の中は思いのほかお洒落で、角の二面がガラス張りになっていてカフェと呼ぶに相応しい近代的な構造ではあった。
あったのだが、白いクロスの壁にはスプレーの落書きや、なにかでぶつけられてできた穴がいくつもあり、木目調のフロアタイルにはジュースの空き缶や飲みかけのペットボトルまでもが転がっている。
カフェの出入り口に至っては、小便のような異臭までして、私の食欲は一気に削がれてしまった。
ゆっくりと進む列に従いつつ、全面ガラスを見る。外にはオープンテラス席があったが、生徒会の腕章をつけた大勢の役員たちが陣取っていて部外者が座れる余地はとてもない。ティーカップを片手に茶をすするその姿はとても優雅で、まるで特権階級の貴族のようだ。
券売機の前まで来ると、先ほどの若い女性教諭が、隣の券売機で小銭を入れようと長財布を開けるところだった。私はすぐさま、その券売機の投入口に千円札を差し込む。
「……えっ?」
こっちの券売機になんで入れるんですか?
そう言いたそうな彼女に、おごらせてくださいと笑いかけた。
「いえいえいえいえ!」
彼女は拒絶の意思を伝えようとしているのか、顔と右手を小刻みに激しく横に振り続ける。そうこうしているうちに、うしろで順番を待つ生徒たちから「早くしろよ!」と怒号が飛び交った。
彼女は教室で私に謝ったように、「すみません」と生徒たちにも顔を赤くして謝り、小声で「ご馳走になります」とつぶやきながら、B定食のボタンをそっと押した。
出入り口付近にあった献立メニューは人混みで確認ができなかったので、私も彼女にならってB定食を選ぶ。券売機近くに備えてあるオレンジ色のトレイと
厨房は、黒い野球帽子と白い布マスクをつけた調理師が所狭しと行き交う戦場と化していた。すぐ目の前では、揚げたての唐揚げが山積みになり、テンポ良く皿から皿へとトングを使って盛られていく。
美味しそうな食べ物のにおいに包まれながら並ぶのは、まさに苦行である。
胃袋が賛同の声を上げる。
やっと順番が来たので、私はB定食の食券をステンレス製のカウンターに置いた。
「はーい、B定食お待ち!」
しばらくして差し出されたのは、バターライスが添えられたビーフストロガノフだった。
しまった……なんということだ!
黒檀の木箸を持ったまま振り返る。列は絶えることなく続き、とても引き返せそうにない。あきらめてビーフストロガノフを受け取り、近くにあるウォーターサーバーで紙コップに水を入れ、それもトレイに乗せた。
長机は沢山あるのだが、すでに仲間同士の場所取りでほとんどが埋まってきていた。
生徒の中には、食べ始めているのに引きずり倒してそこに座ろうとする者や、食券を買わずに食べ物を奪う
ため息混じりで席を探している私に、テラス席に面している窓側の席で、あの若い女性教諭がこちらを見て大きく手を振っていることに気づく。私も軽く
「
ニッコリと、少女のようにあどけなく
「プルプル、ピッポー」
「ええ、普通の飲食店なら、景色がいい窓側がすぐに埋まるんですけど……」
彼女はなぜか言葉を途中で濁し、周囲を気にしながら、続けてささやいた。
「テラス席には、生徒会がいますからね」
彼女によると、この学園の生徒会の権力は絶対的で、退学に追い込まれた生徒や教員免許を剥奪された教師までいるらしかった。
触らぬ神に祟りなし。
教師や生徒たちは、生徒会の機嫌を損ねないよう、極力近づきたくないそうだ。
話を聞きながら窓の外のテラス席をチラリと見れば、赤い
ふんわりとした
無表情なこともあってか、その少女はなにか神聖な、神々しい
やがて、私と数秒間だけ視線を交わした少女は、何事もなかったように
「ああ……あの子は……もぐもぐ、
ビーフストロガノフを熱心に口へと運びながら話す彼女に、私は〝君の名前は教えてくれないのかな〟と、笑顔で
「ふえっ!? あっ、ごめんなさい! お昼までご馳走になったのに、わたしったら……」
両目を見開いて驚いたかと思えば、急に申し訳なさそうにして眉根を寄せて謝る。
彼女の百面相は、見ていて飽きない。
「えー、わたしの名前は
言いながら花は、椅子に腰掛けたまま背筋をスッと伸ばして挨拶をした。
「プルピー」
こちらも姿勢を正して挨拶をする。お互いに笑顔を向け合うと、彼女は私の木箸にようやく気がついたようだ。
「あれっ? 毛利先生、お箸だと食べ
「プッピルー……」
「うふふ。わたしはもう食べ終わるので、よかったらこれ、使ってください」
無意識なのか故意なのか、花は自分のスプーンを口に含んで綺麗にしてから、「はい、どうぞ」と言って差し出した。
「ピッピ、プップルピー」
「えっ………………やだ、もう! 間接キッスどころじゃないですよね……わたしったら、疲れてるのかなぁ?」
今度は耳まで真っ赤に染め、照れ笑いを浮かべてみせた花は、
「毛利先生、ご馳走さまでした」
そして、ペコリと愛らしく御辞儀をしてから、もう一度笑顔をみせて席を後にした。
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