ファーストコンタクト

 倍尾連洲ばいおれんす学園……主に、近畿地方各地の問題児ばかりが集まる(意図的に集められた)生徒数が千人を超える男女共学のマンモス校で、その学園内の風紀は危機的状況下にあり、早急に〝革命〟が必要である。



 組織から送られた電子メールの資料には、簡略化された必要最小限以下の情報量しか記載がなかった。相変わらずとはいえ、毎度呆れ果てるばかりだが、自分にはこれで十分ということなのだろう。それだけ信頼されているとポジティブに受け止められなくもないが、ただの手抜きだと私は考えている。


 職員室で事務的な挨拶を終えると、遅刻したにもかかわらず、禿山はげやま学園長が直々に私の担当となる1年D組まで案内してくれた。


「ささっ、どうぞ」


 笑顔の禿山学園長にうながされ、教室に入る。

 次の瞬間、遅刻した自分に代わり教壇に立っていたスカートスーツ姿の若い女性教諭が、驚いた拍子に持っていた教科書とチョークを床へ落とした。


「あっ……あ、あの…………ご、ごめんなさい……わたしったら……」


 慌てながら拾おうとする彼女を手伝おうと近づく私に、何名かの生徒たちが口笛を吹いてその行為をはやし立てる。


「ヒューヒュー! はなちゃん、恋が始まるのとちゃいますかぁー?」


 一気に教室内が大きな笑い声に包まれる。

 女性教諭は、チョークを拾おうとした格好のまま、顔を真っ赤にして固まってしまった。


「えー、みんな静かに! 静かにせえ!」


 禿山学園長が助け船とばかりに、手を叩きながら教壇の横に立つ。生徒たちも渋々笑うのをやめて、こちらの様子をうかがいながら黙ってはくれた。


「えー、今日からこの1年D組の新しい担任となる先生を紹介します」


 ひょっとしたら、ヅラかも知れないと思われる不自然にボリューミーな髪型をわずかに揺らしながら、禿山学園長は教壇横から退いて〝どうぞ〟と言うようにこちらに会釈をした。

 私も会釈を返し、自分の名前を書こうと黒板へ歩み寄る。

 時を同じくして、折れて粉々になったチョークを拾い集めていた女性教諭が立ち上がり、「すみません」と小声で謝りながら退室した。その横顔はまだ赤く、涙もにじんでいるように見えた。あとで時間をつくり、謝るとしよう。

 私は新品の白いチョークを握りしめて、黒板中央の余白に大きく自分の名前を書いた。



 もう英明ひであき──。



 もちろん、本名ではない。

 私が組織から与えられた偽名のひとつである。

 書き終えて振り返れば、生徒たちがざわつき始めていた。

 無理もない。私の外見は日本人離れしているのに、おもいっきり和名なのだから当然の反応であろう。

 やがて、ざわつく生徒たちの一人が手を挙げた。

 それに気づいた禿山学園長が、その生徒に発言をうながす。


「なんだね、そこのメガネ君。なにか質問か?」

「あっ……はい。あのう……そのう……毛利先生は、日本人ですか?」


 丸眼鏡をかけた坊っちゃん刈り頭の生徒が、申し訳なさそうに質問した。そんな彼のうしろでは、複数の男子生徒がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。察するに、どうせ彼らに言わされているのだろう。

 禿山学園長は青ざめ、〝どうしましょう?〟と言いたそうな表情を私に向けて額の汗をハンカチでぬぐった。

 私は小さく笑って〝大丈夫です〟と意思表示をしてから、生徒の質問に大きな声で答えた。


「プルップー、ピーポポピー!」


 ざわついていた教室が一気に静まる。

 しばらくしてから、ほかの男子生徒が叫んだ。


「やっぱり日本人やんけ! だれやねん、毛利先生をタコ型の地球外生命体エイリアンて言うたんわ!」


 それにつられ、次々とブーイングが巻き起こる。

 不満と不服の連鎖が、教室を瞬時に支配した。


「はいはいはい! みんな、ええかげん静かにせえ!」


 一安心したのか、調子を戻した禿山学園長は生徒たちを落ち着かせようと、大声を上げて手まで叩き続ける。

 そんな光景のさなか、白いチョークを器用にクルクルと回しながら別の触手に持ち替えた私は、黒板に書いた自分の名前の隣に〝座右の銘は焼肉定食〟と小粋なジョークを書き足した。



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