第15話 閉じ込められていた気持ち
窓の外には薄桃色に色づいたソメイヨシノが風でかすかに枝を揺らしていた。
「……ようやくタイムカプセルの中身が確かめられるわね」
隣の星原が呟いた。少し先を並んで歩く明彦も大げさに肩をすくめてみせる。
「全く苦労させられたぜ。曜変天目とは言わないまでもそれなりに面白いものが入っていると良いんだが」
あれから週が明けた月曜日の放課後。僕らは片倉先生と一緒にタイムカプセルを開ける約束をしていたので、待ち合わせ場所である陶芸部の部室に向かっているところである。
「曜変天目ですか。……でもあれ、本物じゃなかったなんて、なんか拍子抜けですね」
続いて歩く狭間さんもため息交じりにぼやいた。そう。後からわかったのだが、あの曜変天目茶碗は中世に作られたものではなく数十年前にある有名な陶芸家が「再現に挑戦して作った曜変天目茶碗」であって本物の曜変天目ではなかったそうなのである。
それはそれで数十万円程度の価値はあるらしいが、僕らもそしておそらく長沼も単純に「曜変天目」という名前だけを聞いて数千万円もの価値がある国宝と勘違いしていたのだ。確かに本物の曜変天目なんてとんでもないものがあったら、学校などに展示することはありえないだろうが。
あの一件の後で長沼は警察に逮捕され自分の犯行を自供した。新聞にも「時効直前の窃盗事件 犯人逮捕」と社会面の記事に小さく取り上げられることになった。
長沼は元々、道路工事の下請けや電気工事などの仕事を転々とこなしていたが、そう言った仕事をこなす中で偶然この学校の建設工程の一部を請け負うことになったそうだ。
そしてその時に地下水路のすぐ横に文化施設を作るという話を聞いて「いずれ金目のものを盗むのに役立つかもしれない」と傍目にはわかりにくいように穴を開けておいたのだという。地下室の内装をする際にもこっそりと壁紙に剥がしやすい場所を作って壁の穴を隠すように処置をしていたらしい。
数年後にあの場所で何か盗めるものはないかと調べた際に、高価な茶器が展示されているという噂を聞いた。そこで今度は電気工事の業者として入り込み、盗んだ曜変天目をプラスチックケースに入れてビニールでくるんで穴から水路に出したのだった。
当初は簡単には見つからないだろうから人目が無くなってから回収すればいいと高をくくっていたようだ。
しかしその数日後に豪雨により土砂崩れが起こり、文化施設は土砂崩れで半壊してしまう。そして曜変天目も流されてしまったのだ。長沼は大事な戦利品がどこに流されたのかわからず、偽造した身分証で用務員としてうちの学校に潜り込んで文化施設跡の近くを疑ってこっそりと掘り返していた。その後、探し物をしているとして周囲を嗅ぎまわっている人間、つまり僕らの存在に気が付いてつけまわしていたということだった。
「まさか、最初はこじつけだと思っていた曜変天目がたまたま同じ場所に隠されていたとはね。偶然とは恐ろしいもんだ。……星原はよくあの人が盗んだ犯人だとすぐに気が付いたな?」
「いや、ほら。『黒い鳥』の置かれていた場所を探して神社の方に歩いて行ったときに『誰かに後をつけられているような気がする』って言ったでしょう」
「ああ、そんなことがあったな」
「あの時の気配と同じものを、タイムカプセルを探すために学校の裏の水路にいた時にも感じていたの」
つまり長沼が僕らを見張っている気配に何となく気づいていて、曜変天目を発見した直後に唐突に姿を現したのを見て怪しいと直感的に察したということか。
「……なるほどね」
ふと明彦が思い出したように呟く。
「そういえば、あのタイムカプセルの中には片倉先生のラブレターが入っているんだっけか」
狭間さんもうんうんと歩きながら頷く。
「渡すべき相手がいないのは残念ですけどねえ。やっぱりあの写真に映っていた男子生徒に渡すつもりだったんですかね」
「言ってみれば彦星のアルタイルと織姫のベガが付き合っているのを見せつけられているデネブの気分だからな。来たらかえってつらい思いをしたかもわからん」
「夏の大三角なだけに三角関係ですしねえ」
その話、まだ引っ張るつもりなのか。あと別にデネブは七夕伝説に関係ない。僕がそんなことを考えているうちに気が付くと陶芸部室の前に着いていた。
「入りまーす」と狭間さんが扉を開けて足を踏み入れる。僕らも彼女の後に続いて部屋に入ると、そこには眼鏡に黒髪の女性教師が椅子に座って待っていた。言うまでもなく片倉先生である。そしてその隣には四谷先生もいるではないか。
「どうして四谷先生もいらっしゃるんですか?」
「十年前、天文部の顧問をしていたのは私だったからな。タイムカプセルを埋めたときにも立ち合ったんだ」
僕の疑問に四谷先生が答えた。そう言えば、そんなことを前に片倉先生が言っていたような気がする。
「七年前の土砂崩れでもうタイムカプセルは無くなってしまったと思っていたが、まさかお前たちが見つけてくれるとはな。この盆景も懐かしいものだ」
四谷先生は目の前に置かれたタイムカプセルと例の「夏の大三角と学校の周辺を模した盆景」を感慨深い顔つきで見下ろしていた。
「片倉くんたちが卒業してから数年で天文部は部員が集まらなくて廃部になってしまってな。望遠鏡などの備品は授業の教材として流用されたんだが、この盆景は部の思い出もあるし捨てるわけにもいかないと思っていた。それで私が文化施設から本校舎の倉庫に移して保管していたんだ。……いつの間にか陶芸部の保管庫に紛れ込んでいたのか」
片倉先生が微笑みながら口を開く。
「この盆景。四谷先生が元々こういうのを作る趣味があるとかで作り方を当時の私に教えてくれたんですよね」
「む、そうだったかな」
「はい。懐かしいです」
そんなふうに和やかな雰囲気で思い出に浸る二人をよそに明彦が「そろそろ本題に入りましょうよ。その箱の中身がずっと気になっていたのに週末からお預けだったじゃあないですか」と二人を急き立てた。
「うん。それじゃあ開けようか」
片倉先生は「神社で見つけた写真」と「橋に隠されていた鍵」を懐から取り出すと、写真の日付を確認してから手提げ金庫のダイヤルを回した。それから鍵を金庫の穴に差し込んでひねる。やがてカチリと留め金が上がる音がした。どうやら無事に鍵は開いたようだ。片倉先生は無言で手提げ金庫の蓋を持ち上げる。
「何だ、これ?」
「……へえ」
「こんなものが入っていたのか」
「わあ!」
僕らは口々に感嘆の声を漏らした。
タイムカプセルの中に入っていたのは当時の天文部の観測記録と流星群や当時の部員たちが肩を並べて映っている写真。その他に当時発行された紙幣や音楽のCDなども入っている。
僕と星原は何とはなしに当時の写真に見入っていた。
「何というかあれだな、昔の写真って味があるな」
「そうね。ファッションセンスとか髪形も今と違うから不思議な気持ちになるわ」
映っている風景そのものはかつての在校生たちの何という事のない日常なのだが、それが十年前の空気を切り取ったものという事実が独特の雰囲気を醸し出すのだろうか。
「片倉先生、このCDの人たちかなり派手な格好してますね」
狭間さんの言葉に片倉先生が答える。
「ああ。ビジュアル系バンドっていうのが昔流行っていてね。私の頃にはブームはもう終わりかけていたけれど、私はこの曲が好きで野外活動の時とかに持ち込んでいたの」
「へえ。当時は校則が緩かったのかねえ。羨ましいぜ」
明彦がやれやれと首を振って見せた。
「でも……どれも。本当に、なつ……かしい」
片倉先生は呟きながら目頭を押さえていた。
「四谷先生。私は卒業してから、どうにも自分の居場所が見つからなくて。……ここの教員になろうと思ったのも人生で一番楽しい時期がこの学校にいた時のように思えたから、で」
四谷先生はそんなかつての教え子の言葉を無言で聞いていた。
「他の皆は上手く変わってやっていくのに、私だけが変わっていないような気がして、大人になりきれていない気がして、いたんです」
「それは違う。片倉くん、いや片倉先生」
四谷先生は片倉先生を慰めるのでもなく、かといって叱咤するのとも違うありのままに思っていることを告げるような口調で続けた。
「あなたは先日、私の教え子たちを立派に守ってくれたではないですか。天文部の時にもみんなが嫌がる雑用や面倒な作業を黙って引き受けていた。そんな変わらない優しさを持ったまま、生徒を守れる強さを持った人間に変わってこうして教師としてこの学校に戻ってきたんだ。だからあなたには生徒を導く資格があると思いますよ」
「そうですよ、片倉先生」と僕も相槌を打った。
「あの時は言いそびれましたが、本当にありがとうございました」
僕は改めて彼女に頭を下げた。片倉先生は僕に小さく頷くと、手提げ金庫の中から一枚の封筒を取り出した。あれは、もしや前に言っていたラブレターだろうか。
「あのう、十年前は恥ずかしくて渡せませんでした。いや、渡したところで困らせるだけのような気がして、自分の気持ちもこの箱の中に閉じ込めてしまいました。でも大人になった今なら、笑顔であの頃の気持ちを伝えられる気がするんです」
僕らは思わぬ展開に絶句する。片倉先生のラブレターを渡したかった相手というのは四谷先生の事だったのか。四谷先生はどう受け止めれば良いのかわからなかったのか、思わず目を見開いて沈黙した。
「あ、いえ。私ももう大人になりましたし、あの頃とは気持ちも変わりましたけれど。かつての生徒から師に対する感謝とこれからも職場の先輩としてよろしくお願いしたいという気持ちを込めて、ですね。……お渡ししようかと」
「ああ。そういう事でしたか」
四谷先生は彼女からその封筒を受け取ると大事そうに懐にしまい込んだ。
それはそうか。四谷先生にはそこそこ大きい子供がいると聞いたことがある。十年前の時点でもおそらくすでに結婚していただろうし、片倉先生も当時は師弟愛か恋愛感情なのかも自覚できずに四谷先生に想いを寄せていたのだろう。
大人になった今ではそれはもう恋愛とは呼べないのかもしれないが、時間を経て振り返るべき思い出として、あるいはかつての教師と生徒の絆として形を変えて存在し続けているのかもしれない。
「それならばお互い大人になった事ですし、今夜はあの頃の思い出を肴に一杯飲みましょうか。歓迎もかねて奢りますから」
四谷先生の言葉に明彦が「ははあ」と神妙な顔を作る。
「なるほど、不倫ですね。今なら内申点と大学の推薦で黙っておきましょう」
「……雲仙。お前には数学の課題を出すから明後日までに提出するように」
明彦は「ええっ! そりゃないですよお」と悲痛な声を上げて、僕らはその様子に思わず笑いあったのだった。
それから僕らはあまり邪魔をするのも良くないと思い、四谷先生と片倉先生を残して下校することにした。狭間さんは部室の片付けがあるということだったので僕と星原、明彦の三人で二年B組の教室にカバンを取りに行ってから一階に戻ってきたところである。日が傾いて既に校舎の影も長くなり始めていた。僕は昇降口で下駄箱から靴を取り出す。
「それにしても、さ」
「……何?」
星原が僕の何気ない呟きに反応する。
「いや、もしかして若いころの四谷先生って女子生徒にモテていたのかなって」
四谷先生は全体的には白髪交じりの初老の紳士といった風情だが、顔立ちは見ようによってはロマンスグレーな雰囲気の男性俳優のような印象もある。
「そうね、十年前の姿はちょっと想像できないけれど。彫りも深いし、あれでもう少し愛想が良かったらうちのクラスの女子も騒いでいたかもね」
「そうかねえ。俺にはとてもそうは思えんが」
明彦は宿題を出されたこともあってか、面白くなさそうに呟いた。
それに、狭間さんも神社で見つけた写真に映る片倉先生のことを「思いつめた目をしている」とか「恋する表情をしている」と評していた。あれもあながち間違いではなかったのかもしれない。もしかするとあの写真を撮影したのは顧問の四谷先生だったのではないか。
つまり片倉先生が熱い目線を向けていたのは撮影者だった。だからこそそんな風に見えたのではなかろうか。
「なあ、ミホ。ここまで来ておいてなんだけど無駄じゃね?」
「駄目だよ、ケンちゃん。ナッちゃん、すごく律儀な性格してんだからさあ。絶対来ていたと思うんだよねえ」
僕の思考を遮るように唐突に校門の方から誰かの話し声が耳に飛び込んできた。ふと目を向けると髪を茶色にした男女が並んで歩いてくる。生徒ではなく社会人のようだ。どこかで見たような気がするが。
「でもさあ。この間とか用務員のおじさんに絡まれて嫌な感じだったじゃん。約束の日も過ぎちゃったし」
「それはケンちゃんのせいでしょう? 『約束の日は春分の日だった』なんて覚え方するから」
「春分の日が毎年変わることを忘れていたんだよ。……そっちだって気づいてなかったじゃん」
用務員のおじさんに絡まれた?
何気ない言葉に僕は急に数日前の出来事を思い出す。そうだ。この二人は丘の上の文化施設跡に行ったときに長沼に追い払われていた社会人風のカップルだ。
「それに掘り出してから連絡とって、改めて集まるって言ったってさあ。土砂崩れがあったんじゃあ、タイムカプセルだってみつかるかどうか」
思いもよらない単語が耳にひっかかって僕は思わず動きを止める。それに女性の方はさっき「ナッちゃん」という名前を口にした。確か自己紹介の時に聞いた片倉先生の下の名前が「なつめ」というのではなかったか。
つまり、この二人は片倉先生と一緒にあの写真に映っていた、あの例の天文部員?
気が付いた時には僕はその二人を呼び止めていた。
「あのう、もしかして片倉先生の同級生の方でしたか?」
「あれ? 君、ナッちゃんの事を知ってんの?」
ケンちゃんと呼ばれていた男の方が驚いて僕を見る。
「はい。……今、四谷先生と一緒に本校舎の二階の陶芸部室でタイムカプセルを開けたところでした」
「うわあ、四谷先生もまだいるんだ! 懐かしい」とミホという女の人か嬉しそうに声を漏らした。
「あんがとな。少年! それじゃあ行こうぜ」
「うん!」
二人の元天文部員は僕らに背を向けて急ぎ足で去っていった。隣の星原がぽつりと呟く。
「……なんだ。片倉先生の友達は約束を忘れたわけではなくて、ちゃんと来ていたのね」
「そうだな」
あの二人は今の片倉先生を見て「変わったね」と驚くのだろうか。それとも「変わらないね」と笑うのだろうか。頭の片隅で僕はふとそんなことを考えた。
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