第2話 ガラスの館
翌朝、エクレアは、リビングのソファの上で寝ていた。
「あ…ママ、おはよう…?!」
エクレアは仰天した。テーブルの上に、まだ、昨夜読んだあの例の手紙が出しっぱなしだったからだ。そのすぐ隣には、母が安楽椅子にすわり、むっつりだまりこんでいる。
「あの…ママ…?」
「ん」
短い返事だ。エクレアには、それが何なのかすぐにわかった。
(しまった…)
今となっては、もうおそい。
「ん」
母はまた、短い声を出した。そして数秒後――
「あなたは何を――脅迫の手紙だったかもしれないのに――」
家中の部屋という部屋に、大声が響き渡った。とうとう来た。エクレアは、だまって下を向いた。それから延々と、母の怒りと大声は続いた。
やっと母の大声がおさまった。とはいえ、どっちにしろエクレアが悪いのだ。怒られてもしょうがない。
「外に出ていきなさい」
母が口を開いた。が、決して許す口調ではなかった。
「はい…でも手紙は…」
「早く!!」
次の瞬間、エクレアは手紙と財布をひっつかみ、家のドアを乱暴に閉めた。
バターン
とりあえず、家を出たものの、これからどうすればいいのか。エクレアは、かんじんの本来の目的を忘れていた。
(あっそーだった!“ガラスの館”に行くんだった)思い出したらしい。
「でも、5番地って…」
ガラスの館は5番地にある。しかし、5番地がわからない。
チッチッチッチッ…
時計の針は「11」を指していた。
「11時か…」
正午案では、あと1時間しかない。急がなくては。
「あの…」
エクレアは、通りがかりの人に声をかけてみた。だが、
パッパー
車がクラクションを鳴らした。エクレアの声は、かき消されてしまった。
「11時15分…」
正午までは、あと45分しかない。
「あの…」
エクレアは、必死に近くの通りがかかりの人に声をかけた。すると、
「何だよ」
ぶっきらぼうな答えが返ってきた。
「えーっと…ペルミ町5番地ってどこにあるんですか?」
「あぁ、“館通り”か…」
(館通り…?)
「それって、どこに…」
「あんた、知らないのかい?5番地は…ここだよ」
「えーっ」
「ここだよ。もう、いくよ」
その人は、スタスタと行ってしまった。エクレア上を見上げると――
〈5番地 館通り〉
かんばんに、赤い文字でそう書いてある。エクレアが、ふと、腕時計を見ると、
「11時50分?!」
エクレアはまたまた仰天した。
(急がなくては…)
時間がない。エクレアは意を決して、“館通り”の中に入っていった。
中は市場のように、真ん中には道があった。左右には赤や青など色々な色のステンドグラスでできている建物があり、それぞれかんばんが付いている。ただ一つ、全てガラスでできている建物があった。かんばんには、
〈ガラスの館〉
「これが…」
エクレアは、ふうっとため息をついた。こんなに透明な建物は見たことがない。
「11時59分…」
あと1分で、この館に入ることができる。エクレアの心臓の音が、よりいっそう速く鳴った。そして太陽がエクレアの頭の真上にまで上がったころ…
ボーン ボーン
どこかの広場の時計台のかねが正午の時を告げた。そして――
カチャッ
ガラスの館の戸が開いた。エクレアの見ている目の前で。
ドアの中から出てきたのは――真っ黒な髪の老人だった。するどく光る眼の奥には、どこかやさしさがある。しかし、どう見てもこの老人は、ロシア人には見えない。
「あなたは――」
「まあ、その前に中へ入りなさい」
老人がぱちんと手をたたくと、エクレアは、なぜかガラスの館の中に来ていた。
「―?!」
「まあ、無理もないだろう…私の名は…フウイレム・ラビンスだ。もちろん仮の名前だがね。君―エクレア…だったかな。――エクレア、君に手紙をよこしたのも、時間を進めたのも…全て私がやった。そして今の瞬間移動も、全て…」
「全てあなたが…でも…どうして…」
すると、フウイレムさんは、するどく光る眼を、もっとするどくさせて、おだやかな口調で言った。
「エクレア…ここから先、私の話すことに、いっさい口を出さないでほしい。念のため、言っておこうと思ったのだが――私の本当の名は、フウ・ラビンスだ。ちなみに、イスラエル人だ」
「……」
「よし、では話そう…」
フウ(フウイレムさんの本当の名前)は、ゆっくりと話し始めた。
「45年前、私はイスラエルで井戸をほる仕事をしていた。19歳の時だった。そのとき必ず、私たちは、マイム・マイムという名の踊りを踊った。それが一番、幸福の時だった。そして私が20歳の誕生日を迎えたとき――村長は、私に、龍の絵がほってあるペンダントをくださった。ある日、いつものように私が井戸をほっていたら――足を滑らせて私は、井戸の中に落ちてしまった。10メートルもの深さの中へ、真下へ……だが、深さ6メートルくらいまで達した時…信じられないことが起こった。あの、龍の絵がほってあるペンダントが光り出したのだ。しかしその後は、覚えていない。ただ、気が付いた時には、ロシアのペルミ町5番地、“館通り”のガラスの館の中にいた。理解するのに、少なくとも1年はかかった。言葉を覚えるのに2年。それからロシアのことを学ぶのに2年半もかかった。主に伝説のことをね…ここで話は終わりだ。さあ、エクレア…もう口を開いてもいいよ」
「……」
だがエクレアは口を開くことができなかった。まだ、聞きたいことが山ほどあるのに。それから、しばらくしてやっと――
「あたし…あの…」
「いや、わかっている。エクレア、君の聞きたいことはよーく分かっているよ。たぶんね……さて、そろそろあれを渡す時がきたようだ」
そう言って、フウはその場から立ち去った。
しばらくして、フウは、手に箱を持ってやってきた。正方形の5立方センチメートルくらいだろうか。
「これは…?」
「あぁ、これは――時の龍〈クロックドラゴン〉のペンダントだよ。エクレア、私がお前を瞬間移動させたのも、時間を進めたのも、この時の龍の力を使った。しかしもう私も年だ…そろそろ使い手を見つけようと思ってね。だから、君に手紙を送ったんだ」
そして、フウはエクレアの手に時の龍のペンダントを渡した。
「でも、あたし…」
慌てて、エクレアはペンダントをフウに返そうとした。
「いやいや、いいんだよ。君はもう、このペンダントの使い手なんだから。ただ、首にかけておくだけでいいんだ」
「……はい」
そしてエクレアは、時の龍のペンダントを首にかけた。ただ一つ、まだ聞きたいことが心の中に残っていた。
「あの…フウさん」
「何だい?」
「もう一つだけ、尋ねたいことがあるのですけど…聞いてもいいですか?」
「ああ、何なりと言ってくれ」
フウはにっこりした。
エクレアが、一番聞きたかったのは、
「石の儀式とは――?」
「それは――…」
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