魔法少女は夢を見ない
山河春
魔法少女は夢を見ない
「悪夢を見るようになった?」
「そう、そうなの」
夏が過ぎ、肌を撫でる風がほんのちょっぴり冷たくなった秋口の学校の屋上には思ったよりも人がいない。
入学式が終わった後の春頃は、珍しさもあってか鬱陶しくなるくらいに人が集うものだが、落ち着いて仕舞えばそこまで都合のいい場所ではないとわかるからだろう。
屋上でお昼を食べるというのは、想像よりもあまり良いものではない。遮るものがないからか風は強いし、椅子もないからコンクリートの上であぐらをかくしかないし、日陰になるような場所もない。お昼を食べるのであれば、きれいな教室の方が気ままだし、外で食べたいのであれば中庭に面したカフェテラスの方がテーブルも椅子もあって楽で良いことは明白だった。
だからこそ、屋上はちょっと人目を憚る時によく利用されている。
私はげんなりとした彼女の声を反芻しながら、母の作ったおにぎりを控えめに齧った。目の前で人目を憚らずあぐらをかいている友人は、いつもの快活な笑みを引っ込めて心底心配そうな表情を浮かべている。
黒い短髪がよく似合う彼女は、バスケ部のエースを務めている。健康的なスラリと長い手足が眩しい彼女を見ていると、自分の平々凡々な柔らかい体が思い出されて、少しだけしんみりしてしまうのが常だった。自分の体が貧相だとは思わないし、みっともないと思っているわけでもないが、それでも彼女のようなしなやかな体は、同性として憧れるものがある。
体育会系のどこかさっぱりとした気質を持ち合わせた彼女は、身体的な面でなく、精神的な面でも非常に尊敬できる人間だった。私がウジウジするタイプの人間だから余計にかもしれないが、それでも私と真反対の彼女は、いつだって私の味方だったし、私もいつだって彼女の味方だった。
そんな彼女が、どこか言いにくそうにお昼に時間があるかと聞いてきたのだ。
私はその言葉に、一も二もなく頷いて、すぐに屋上でお昼を食べようとそういった。
「うちのおばあちゃんも、お姉ちゃんも、お母さんも、お父さんも、みんな寝つきが悪いって言ってて」
「うん」
「みんな、嫌な夢を見るんだーって。毎晩ずっとそんな感じでさ。流石に顔色が悪くって」
「それは心配だね」
「そうなの!なんでか私は大丈夫なんだけどね」
「へえ」
なんでだろう、と首を傾げながら弱々しい笑みを浮かべる彼女は、今家族を襲っている現象とはまた別のベクトルで顔色が悪い。
周りが顔色を悪くしているのに自分だけが元気だというのが、彼女の心情としては一番辛い部分なのだろう。彼女は私なんか比べ物にならないくらい、家族や仲間を非常に大切に思う質の人間だった。きっと、その苦しみを分かち合えないことが一番辛いに違いない。
私は水筒のお茶に口付けながら、やな感じだね、と相槌を打つ。ある種突拍子もない、オカルトチックな話をすんなりと受け入れて寄り添ったからか、彼女は少しだけホッとした顔をした。
「リコのおうちは大丈夫?」
「うん、特になんともないよ」
「そっか!よかった」
私の返答を聞いた彼女は、パッといつもの笑みを浮かべると、それから本当によかった、とそういって表情を緩めた。
自分が窮地に追い込まれていても、友人である私のために心底安心をした顔を浮かべるのは、彼女の美点だと常々思う。
本当は水筒に入れてきた温かい紅茶でも勧めたいところだが、生憎彼女は紅茶を好まない。手を差し伸べ切れない自分に落胆していると、私の隣でずっと口を噤んでいた艶髪の友人が、ぽつりと口を開いた。
「そういえば、カキョウインさんも具合悪そうだったよね」
「え、あのカキョウインさんが?」
「そう、ただでさえ真っ白な肌がさらに青白くなってて……さっき早退してたの見たよ。ただの寝不足ですわって言ってたけど」
「相変わらずのらしさだけど……心配だね」
カキョウインさんは、この学校では名前を知らない人はいない、エリート中のエリートであり、素直に言えばちょっと突き抜けたお嬢様だった。縦巻きロールが彼女ほど似合う人間はいないのではないだろうかとそう思えるほどの立派な髪型と、癖のある口調が特徴的な彼女を高慢と評したのは隣の無口な友人だっただろうか。いまいちピンと来なかった私は家に帰って改めてその言葉を辞書で引いて、それから、言い得て妙だと思ったことを、今でも覚えている。
批判を恐れずいってしまうのであれば、面倒臭くて、鬱陶しい性格のカキョウインさんは、それでも根性とプライドだけは人並み以上だったので、人に弱みを見せるなんていうことはしてこなかったはずだ。
言いたいことはいった、と言わんばかりに口を閉ざした友人と、苦笑しつつも心配そうな顔を浮かべる彼女を横目に、ふむ、と私は首を傾げる。
これは多分、普通の話ではない。そう、どちらかといえばオカルトで、スピリチュアルで、つまるところ、私の話である。
ピリリ、と無機質な音が胸元から響く。
その音に二人はまたか、という顔をして、私も仕方ないという表情を作って立ち上がる。
「……電話、ちょっと出るね」
「ん」
「行ってらっしゃい」
ひらり、と振られた手を振りかえし、私は急いで屋上から室内へと戻ると、踊り場の隅の方で携帯電話を取り出す。
子供のおもちゃのようなポップな色合いをしたそれは、これまた子供のおもちゃのような犬の顔を写し、スピーカーからこれまた子供のおもちゃのような可愛らしい声が響いた。
「悪夢を見せる怪物の可能性が高いポル!放課後早速調べるポルよ!」
元気いっぱい、と言わんばかりの高音がキインとあたりに響き渡る。
私は思わず顔を顰めながら、しい、とそういってスピーカーを抑えた。
「ご、ごめんポル……」
「いや、いいよ。それが仕事だもんね」
私は携帯の表面を撫でながらうんうんと頷いてやる。いつも以上に気合が入っている様子だったが、それだけ深刻ということなのかもしれない。
無理やり自分を納得させながら、でも、次は音量調節頑張ろうね、とそういうと、画面の中の犬は耳をペションと垂れ下げたまま素直に頷いた。
「……で、やっぱりこれはそういうことなのね?」
「そうだポル!間違いなく怪物の仕業ポル!」
「やっぱりそうかあ……まあ、このままじゃみんな寝不足で倒れちゃうし、なんとかするしかしかないか」
「そうだポル!リコのママにも影響が出たら、美味しいおやつが食べれなくなるポル〜」
「それが目当てか!この食いしん坊め」
ペシ、と画面を叩けばキュウン、と情けない声が聞こえる。自分の欲にどこまでも忠実なその様子を見て、私は大きなため息を吐いた。これが、本当に世界を救う魔法少女の相棒なのだろうか。
――数年前、私たちの日常に突然それは現れた。
怪物、と呼ばれた異世界からの侵略者は、時にコミカルに、時にシリアスに私たちの日常を壊そうと地球の侵略を開始した。動機は紛れもなく、宇宙征服のためらしい。お前らも我々の糧になるのだと、そういって高笑いをした悪の幹部は、この間殴り飛ばしたばかりだ。
そのほかにも理念とやらの御高説を垂れていた気がするが、ほとんど覚えていない。私は、その辺りには興味がない。ただ、この日常を守るために、魔法少女として邪魔する奴らを叩きのめすのが私の仕事だった。
魔法少女になったきっかけだとか、この犬のような謎の相棒と共に戦うことになった経緯だとか、色々細々したことはあるが、一度ここでは割愛をさせていただく。何より大事なのは、「悪夢」を見せて街の人たちを睡眠不足にする怪物の調査であり、彼女を悲しませたその諸悪の根源を魔法少女のパワーで粉々にしてやることだ。
と言われてもなあ、とリコは帰りのホームルームの最中、あごに手を当てながら頭を悩ませる。
私は化学の力か魔法の力かわからない奇妙な相棒がいる立派な魔法少女ではあったが、調査や研究、現場対応などは全て個々人に委ねられており、なんらかの情報が降って湧いてくるわけではない。魔法少女として「地球を救ってほしい」といっておきながら何様だという気持ちもあるが、文句も言って居られないのが世知辛い。口を動かす暇があるなら、足を動かすしかないのである。
つまらないホームルームが終わり、考えても仕方ないのでとりあえず街を彷徨うか、と決意したその時、廊下から控えめにリコの名前を呼ぶ声が聞こえた。ゆっくりと顔を向ければ、そこには肌の焦げた幼馴染のケンタが手を振っていた。
「よう、リコ」
「何?ケンタ、部活は?」
「今日は休み!なんかみんな具合悪いらしくってさ」
「……もしかして、寝不足?」
「そうそう、よく分かったな!てっきり誰かが流行らせたゲームをみんな夜遅くまでやってるんだろって言われて変に怒られそうになってさあ。まあ無実なんだけど」
「ふうん」
先生もひでえよな、とカラリと笑う幼馴染はサッカー部に所属しており、交友関係も広い。素直で悪いことが出来ない健康優良児の彼は、何かにつけて私を構いたがるところがあった。
部活がなくなって暇になったから構いにきたのだろうとそう結論づけながら、サッカー部にまで広まっているらしい体調不良の波に危機感を覚える。この学校のなかでも一二を争うフィジカルお化けたちが集う部活が壊滅状態に追い込まれているということは、相当問題は深刻らしい。
難しい顔で黙り込んだ私に、ケンタは首を傾げると、大丈夫か?とそう尋ねる。私が、なんでもない、と答えれば、ケンタは何かあったら言えよ、とそう言った。
「その話はいいんだ。でさ、お前今日この後暇?」
「なんで?」
「なんか、最近新しい喫茶店ができたらしいんだけど、そこのハーブティがよく眠れるとかで評判でさ」
「へえ!初めて知った」
ハーブティという言葉に、私の心がぐらりと揺らぐ。私は、紅茶に目がないのだ。
目を輝かせた私に、ケンタがしてやったり、という顔をする。いつもなら殴り飛ばしたくなるその顔も、今は全く気にならなかった。ブルブルと鞄の中の携帯が揺れている気がするが、きっと気のせいだろう。
「お前勉強ばっかだもんな。ずうっと単語帳握って」
「うるさいなあ。そっちこそ、ずうっと野球ボールしか触らないくせに」
「練習の一環なんだからほっとけよな!」
「ちなみに、喫茶店ってどこにあるの?」
「え、ああ。三丁目の本屋の近くだよ。店の入れ替わりがやけに激しいあの隅の」
「あそこか!」
私は脳内で地図を描きながら、その場所を把握する。一ヶ月も店舗が持たない小さなその土地は、この間はたこ焼き屋で、その前はタピオカ屋だった。そんな場所に入ったのであれば、多分長くは続かないのだろう。でも、評判であるなら、続いてくれたりするのだろうか。
私の頭が好奇心で満ちていく。悪夢の話が頭の隅に追いやられていく。でさ、お前が暇だったら一緒に、とケンタがそう言いかけた瞬間、私の鞄の携帯が、耐えかねたようにピリリ!!と爆音を立てた。
「……ごめん、お母さんから電話だ!またね!」
「あ、うん、またな……」
はっとした私は、ケンタに手を振ってすぐに校門へと歩き出す。そうだいけない、取り乱した。私は彼女を悲しませた悪夢の怪人をぶん殴りにいかなければならなかったのだ。
明確な敵意を練り上げながら、私は大きな音を立てた携帯を耳に当てる。もしもし、と何げない口調で声をかければ、罪な女ってやつだモン……と、おもちゃのようなそれはひどく同情的な声でそう言った。
「何が?」
「なんでもないモン!それよりも、喫茶店が気になるモン!」
「……確かにそうだね!?よく眠れるハーブティー気になるね!?」
「そうだモン!あやしいモン!」
「関連があるかはわからないけど、ヒントになるかもしれないしね!これは私情じゃない!仕事!」
早速レッツゴーだモン!というその声に、内心大きなガッツポーズを決めたことを、この犬は知っているのだろうか。まあ、どっちでもいい。どちらにせよ、喫茶店に向かうだけだ。
私は色々な気持ちを抑えながら足早に目的地と向かう。そうしてやってきたその場所には、お母さん世代の女性が多く行列を作っていた。
「わ、すごい行列」
「あれはケンタのお母さんだモン!」
「あれ、ほんとだ」
見れば、ケンタのお母さんが列に紛れている。そそくさと近寄って、おばさん、と声を掛ければ、ケンタのお母さんは目を丸くして、あらリコちゃんとワントーン高い声でそういった。
「おばさんも、ハーブティーを飲みに?」
「そうなの。なんだか評判いいみたいで」
リラックス効果があるっていうから、家族にも飲ませてあげようかと思って、とそう言って笑うおばさんは、私と同じ紅茶好きだ。せっかくなら一緒にお茶しましょう、というおばさんに甘えて一度列を離れて代わりに空いた席にサッと座る。
「チラッと周りを見たけど、なんか、みんな元気ない感じだね」
「悪夢に悩まされているのかもしれないモン……」
「何かきっかけが掴めればいいんだけど……ってあれ?」
どうしたモン?という犬に、ゆっくりと店内を観察して、行き着いた先――つまり、喫茶店のカウンターを見せる。しばらく疑問符を浮かべていた犬は一瞬考えて、それから、あ、あれは!と大きな声を出す。
「この間ボコボコのボコボコにした、悪の幹部だモン!」
「誰がボコボコにされただ!!……ん?お前は、魔法少女!?!?」
クールな顔で給仕をしていた男が、わたしたちを見るなり飛び上がる。なんだなんだとみんながざわつく中、男はひどく悔しげな顔をして、くそ!と口汚く言葉を吐き捨てた。
「バレたらしょうがない!いかにも、ここで販売しているよく眠れるハーブティーに悪夢を見るよう細工をしたのは俺たちだ!」
「すごいあっさりと……」
ばさり、とエプロンを脱ぎ捨てて、目にも止まらぬ早業で黒尽くめの服に着替えた男は、高笑いと共に自分の悪事を白日の元に晒す。私はその口上を聞きながら、そうやってすぐに口に出すから負けるんだよ、と思わず身も蓋もないようなことを思った。
私の冷めた内心とは裏腹に、お客さんたちは悲鳴を上げながら逃げ惑っている。手元の犬がこのままにして置けないモン!と至極真剣に声を上げるのを聞いて、私はため息を飲み込むと、声のトーンを上げてこう叫ぶ。
「ひどい!みんなゆっくり休みたくてやってきているのに!」
「卑怯だメポ!」
「フハハハハ、なんとでもいうといいさ。俺たちはセカイメツボウを企む秘密結社!手段に卑怯もくそも関係ないのだ!」
思い通りの反応が返ってきて嬉しいらしい悪の幹部が、ワハハと笑う。比例してどんどんと目が死んでいく私は、今きちんと魔法少女の体裁を保てているだろうか。
「高笑いが鬱陶しいメポ!リコ、変身だ!」
「うん……!」
「ちょおっと待った!変身するというならこうだ!」
「……は?嘘でしょ!?急に本気出すな!」
悪の幹部がパチンと指を鳴らす。するとあたりのお客さんがみんなストンと眠りに落ちてその場で崩れ落ちてしまった。
思わず罵倒を浴びせてしまうが、悪の幹部は高笑いをして変身するならもっと酷い目に合わせてやる、とそう意地の悪い声で言う。流石に予想していなかった事態に混乱した隙をつかれた私は、周りの人と同じように、どぷん、と悪夢の中に沈められてしまった。
―――小さい子が、助けてと泣いている。助けてお姉ちゃん、と泣いている。
真っ暗な闇の中、私はこれは悪夢だと思いながら目の前の少女を見つめていた。女の子は泣いている。ただただ泣いていて、ピリッとも顔を上げようとしない。
いつまで経っても、状況は変わらない。そも、私は人助けに向いている性格ではないのだ。
ぼうっと女の子を眺めていれば、いつの間にかその女の子は私と同じ形になり、そうして全く同じ声でこういった。
「なんで、私だけ」
悪趣味、と思わず言葉が漏れる。うずくまって泣いている私が言ったその言葉の意味を、私は正しく理解している。だからこそ、これは正しく悪夢であると理解できた。
「悪夢なので」
いつの間にか犬が現実のものになって、隣に佇んでいる。よくできた悪夢でしょう?とそう言って笑う犬が、心底憎らしい。
周囲の真っ黒な闇が、揺れ動いたかと思うと私と犬に容赦なく襲い掛かる。
視界が遠のいていく中で、早く目が覚めないかなとそれだけを考えていた。
※
ベッドの上で目を覚ます。瞬きをして、自分の呼吸の荒さと、全身の穴という穴から噴き出る汗に顔を顰めた。
――シンプルに、気持ちが悪い。
嫌に冷えた体を擦りながら、ベッドから起き上がる。その足で洗面所に向かおうとして、その時、水道が止まっていることを思い出した。ち、と小さく舌打ちをして、仕方なく引き出しにしまってあったハンカチで汗を拭う。不快感はわずかながらに拭えたが、結局気分は冴えないままだった。
そのままの流れで制服に着替えて、リビングへ向かう。人の気配のしないリビングは、こんなにも重たい気持ちになるものだろうか。常なら気にならないはずの無音が息苦しくて、お気に入りのテレビをつけようとリモコンの電源を押す。なんとも言えないゴムの感触を感じながらしばらく待って、それから電気も止まったのだということを思い出した。
ここ数週間当たり前だったはずのそれを忘れていることに、私は思いっきり眉を顰める。さっきの夢を見たせいだろうか。あんまりにも普通の生活だったから、感覚が狂ってしまった。
地を震わすような轟音が部屋に響く。ミシミシと建物が揺れて、ガタガタと窓が軋んだ。私は日常と化していたそれを聞きながら、キッチンにかろうじて残っていたパンを齧る。もそもそと水分だけを奪うそれを義務のように口に運びながらリビングへ移動すると、置いてある椅子に腰掛けて、制服のポケットに入れっぱなしにしてあった単語帳をめくった。
数年前、セカイメツボウを企むどこぞの宗教団体が、何の因果か本当に世界を破壊するためのシナリオを実行に移してしまったそうだ。私はそのことを詳しくは知らない。そのことを教えた胡散臭い白衣の男は、知ったら気が触れるからやめておきなさいとなんでもないことのようにそう言った。
その結果、世界の人口は半分にまで減ったのだから、笑えない話なのではあるが。
世界を破滅に導く未知のエネルギーを非科学的な状況で引き出した彼らに、人間の理性が追いついたのは、存外早かった。何人もの天才を犠牲にし、凡人を踏み台にし、ようやく解明されたその技術は、しかしただの人間に扱えるような代物ではなかった。
扱えるであろう一握りの人間を、世界は必死に追い求めた。
そして莉子は、その限られた一人だったらしい。
あの日、男は言った。世界を救おうと。
莉子は断った。自分の世界を守りたかったから。
重々しい雰囲気を漂わせる大人たちを尻目に、莉子ははっきりと嫌ですとそういった。莉子はただの平凡な女子中学生だ。どんなに真剣な顔をして、世界を救ってくれと言われても、そんなもの知ったことではない。世界の危機を救うよりも、目の前に迫った定期テストの方が、百億倍大事だった。
弁明をさせてもらえるのであれば、勧誘を受けているのは莉子だけではないと思っていたのだ。大人のいう君しかいないは、リップサービスだと思っていたし、莉子が嫌だと言えば大人たちは無理強いはしてこなかった。だから、きっと大丈夫だと思っていたのだ。
大人が引いたのは優しさだったと、そう聞いたのは全て取り返しがつかなくなってからだ。子供に背負わせるくらいなら、それ以外の方法を見つけようと大人が足掻くと決めたから引いたのだとそう言われて、その優しさはひどく残酷だとそう思った。
魔法少女に憧れないのかと、そう聞いたのは、のちに大人の優しさを最悪の形でネタバラシしてきた胡散臭い白衣の男だった。莉子はその言葉に、興味がない、と答えた。だって、夢みがちな時間は終わりを告げようとしていたのだから。
小さい頃、お姫様になりたかった。フリルのドレスを着て、王子様と幸せな結婚をしたかった。
歌を歌って、小鳥と踊って、そうして暮らすのだと言った私を、母は笑い飛ばした。
そんな馬鹿みたいなこと言ってと、そう言って笑った。
莉子は、先ほどの悪夢を思い出す。
運動部の彼女は快活ではあったが、それゆえに無神経だったし、無口な彼女は、それゆえに卑怯だった。花京院さんはいたが、カーストが違いすぎて話したことはなかったし、隣の家の健太くんはいるけれど、彼は莉子を陰気なやつと言って避けていた。
現実なんてそんなものだし、そんなものに夢を見て何になるかもわからなかった。
夢で腹は膨れないし、望みは待っていても叶わない。娯楽は金にならないし、友情は余計な判断材料が増えるだけだ。邪魔なものはいらない。全部、全部、いらない。生きていくのに必要なものだけ見極めて、そうして不足のない形で緩やかに現実を妥協していく方が、見えないものを追い求めるよりずっとずっと大事だった。
切って、捨てて、それでも幸いなことに狭いコミュニティの中で何不自由なく暮らせている。それでいい。例外なんていらない。
諦めて、妥協して、捨てたものに蓋をして、そうして守ってきた安寧だ。壊されたくなんかない。
これが、たとえ砂上の楼閣だったとしても、子供の甘やかな怠惰だとしても、それを大人の理不尽に壊されたくなんかなかった。
「たとえば僕とか?」
いつの間にか、隣には胡散臭い白衣の男が立っていた。
音もなく侵入してきたその男の存在感のなさに、莉子は思いっきり眉を顰める。そうして、ニコニコとした綺麗な笑みのままこちらを見つめるその人に、思いっきり舌打ちをした。
「不法侵入」
「すいません」
「ほんと嫌い」
心底嫌だ、という気持ちは、滲み出てくれているだろうか。
男は莉子が吐き捨てるようにったその言葉を変わらぬ調子で受け取って、それから変わらぬ調子でこう言った。
「ごめんなさいね、でもあなたに魔法少女になってもらいたいんです」
男の言葉に莉子は眉間の皺を深くする。この男はいつもこの調子だった。莉子が何を言っても、何をしても、いつもヘラヘラと笑っている。それでいて遠慮なく莉子の罪悪感を抉りながら、それと引き換えに世界を救えと、そんなことを言う卑怯な大人だった。
「相変わらず暗いとこにいて。ダメですよ、気分がめいっちゃう」
男はそんなことを言いながら、勝手知ったる様子でリビングの大きな窓へと歩み寄ると、勢いよくカーテンを開け放つ。
わずかながらに差し込んだ白い光に目を細めながら、莉子は相変わらずの終わった世界から目を背けた。
窓から見える、土埃で真っ白な世界は、昨日と変わらず終わりの姿をしている。
真っ白な世界の中から、バカみたいに大きな影が蠢いているのだけがわかる。
「うん、いい天気」
あ、タワーが消えてる、と昨日の景色と間違い探しをするような口調で男が窓を指差す。ほら、見てくださいよと、嬉々としていうその声から意識を逸らそうとして、そういえば、この声はあの変な犬に似ていると、そんなことを思い出した。
「ほら、タワー消えてますよ!いよいよ世界滅亡って感じじゃないです?」
「……そうですね」
「もっと驚くなり絶望するなりしてみていいんじゃないです?変わりませんねえ、君は」
「あなたも、びっくりするくらいしつこい。夢にまで出てきた」
「おやおや、それは失礼しました」
片眉を吊り上げて、対して謝罪する気のないであろう謝罪が耳に届く。シンプルに不愉快なその言葉に、私はまた眉間の皺を深くするしかできなかった。
私が選ばれた理由はこの平常心にあるのだと、そういうことを教えてくれたのはこの男だった。
政府の偉いところの研究員であるらしい男は、あれと対抗するための力を使うためにはどこまで行っても正気である必要があるのだとそういった。
――君は、そういうところが適正検査で百点なんです。どうです?世界救いたくなってきません?
そう言った時の男の決まった、という顔は多分史上最悪に不愉快で、私は思わずリアクションさえ忘れてしまったのを、今でも鮮明に思い出せた。
――でも、流石に、そろそろつかれた気がする。
「ねえ」
「なんですか」
「私が断らなかったら、全部変わったの」
ドオン、と重苦しい音と共に、ビリビリと痺れるような振動が体を伝う。ぼんやりと外に目をやれば、黒い影がどうやら身じろぎをしたらしかった。
男は少し意外そうな顔をした後、平坦な声で答える。
「全部ではなくとも、おおむねは」
「私のせいなんだ」
「まあ、そういう人もいるでしょう」
淡々と、男は事実だけを伝えてくる。そういうところは、科学者らしく無慈悲で、その点だけを見れば莉子はこの男が好きだった。周りの、エゴイスティックな庇護欲で「子供」を守ろうとする大人よりは、よっぽど楽でいい。
「あなたは、恨んでる?」
「恨む?」
「私が頷かなかったこと」
「別に、そこまでは。反抗期の子供ってそういうもんですよ、多分」
「ふうん」
淡々と、本当に淡々と、他人事のように男は自分の感情を語る。
この人も、莉子と同じで狂わないタイプの人間らしいと知ったのは、莉子の父や母や、足繁く通っていた国の偉い人を含めたほとんどの人間の気が触れた後のことだ。いつもと何一つ変わらない口調で魔法少女やる気になりました?と聞いてきたとき、正気じゃないなと思うのと同時に、同じくらい安心した。正気じゃないのは自分だけじゃないと、その事実が、ひどく安心したのだ。
それ以来、莉子はこの男が嫌いなだけではなくなった。いや、莉子の平穏を脅かすという点で言えば間違いなく嫌いな大人ではあったけれど、世界でただ一人の共犯者ではあったので、相棒に向けるような奇妙な信頼感を持っていたのだ。
ドオン、とまた音がする。ここ最近はこの頻度が高くなってきた。本格的に終わるのだなあということが嫌でも伝わってきて、そう思うと、なんとなく口が軽くなる気がした。
「……魔法少女なんて、少しときめかなかったわけじゃないの」
ぽつん、とこぼした言葉に、男は少しだけ驚いたような顔をして、それから視線だけで莉子の言葉を促す。
「でも、人の命がかかってるとか、よくわかんなくて怖くって」
「はい」
「普通でよかった。普通に悩んで、普通に恋して、普通に学校に行って、普通に友達と遊んで」
「はい」
「ただ、自分を守りたかっただけなのに。なんか、悪いことしたかな、私」
莉子は膝を抱えるとぎゅう、と自分の体を抱きしめた。発展途上の歪な自分を抱きしめる。世間的に、莉子は大柄な方ではない。小さいわけでもないが、どちらかと言えば小柄だ。そんな、自分の体をぎゅうっと抱きしめる。本当は紅茶の匂いのする母に抱きしめてもらいたいとそんなことを思って、そんなことができない現実に初めて涙がこぼれそうになった。
いけなかっただろうか。普通に生きたいと言って、いけなかっただろうか。怖いと言ってはいけなかっただろうか。やりたくないと駄々をこねてはいけなかっただろうか。
よくわからない大人に囲まれて、世界を救ってくれと言われて、はい分かりましたと一も二もなく頷けばよかったのだろうか。そしたら、母は私を抱きしめてくれたのだろうか。父は頭を撫でてくれたのだろうか。
「個人的には、子供の我儘に振り回されて世界が滅ぶ人類のツキのなさに爆笑、って感じですかね」
珍しく、少しだけ時間を空けて、それでも淡々と、男は莉子の言葉にそう返した。
その言葉を聞いて、咀嚼して、それから、ふ、と肩の力が抜ける。ああ、そうだ。自分はこの男に何を期待していたのだろうか。この人は、ずっと、こういう人だったのに。
「……思ったより適当なんだね」
「まあ、そんなモンですよ、人間なんて」
しら、っとした声でいうその言葉に、莉子は薄く笑みを浮かべる。なんとなく満足した心地になって、ゆっくりと目を塞ごうとした瞬間、その満足感は男ので、でも、という力強い言葉にかき消された。
「でも、諦めているわけでもないので」
あまりにも真っ直ぐなその言葉に、莉子は自分の目をぱちくりと瞬かせた。
ゆっくりと顔を上げて、男の顔を見る。いつの間にか男は莉子のことを真っ直ぐ見つめていて、その何一つブレない視線に、少したじろいた。
「こんななのに?」
「こんななのに、です。ねえ、莉子さん。魔法少女になりませんか?まだ間に合いますよ」
――僕は、君が世界を救っているのが見たい。
最後の一押しのような言葉に、ざわりと心が波だった。罪悪感や、虚無感や、その他色々わからない感情がぐちゃぐちゃのない混ぜになって、私の心に溢れてくる。これは、悪夢に沈んだ時の感情よりも酷いものだ。もっと、理不尽で、暴力的で、それでいて真っ直ぐな一筋の光でもあった。
ざわざわと心が波立つ。いつも似たようなことを言われてきたのに、それでもこの言葉の強さは最後のチャンス故なのだろうと、そんなことを察してしまった。
そんなことを、あからさまに匂わせるところが、この男の卑怯なところだった。もう後はないのだと、そう言って他人をそうせざるを得ない状況に持って行くこところが、本当に卑怯だった。
「……理不尽」
「はい」
「横暴」
「はい」
「いっそキモい」
「自覚してます」
子供の駄々に、男が一つ一つ言葉を返す。この男の何がそうさせるのかは全くわからなかったけれど、それでも私に世界を救わせたいという彼の言葉の真っ直ぐさには、偽りはないと感じられてしまった。
「……ほんとに、私じゃなきゃダメ?」
最後の足掻きのように、莉子は弱々しい言葉を吐く。本当は、あなたじゃなくていいですと言って欲しかった。でも、この男の前でこれをいうということは、退路を断つということだと、莉子は分かっていた。
「はい、あなたがいいんです」
真っ直ぐな言葉が刺さる。純粋な言葉が、莉子の柔い部分に刺さった。
瞬間、莉子は理解する。この柔いところに刺さったこれは、一生抜けないのだと。これは、もうずっとここにあるのだと。
――これは、きっと、この世で最も理不尽な運命だった。
「莉子さん、いつだって社会は理不尽です。少女に、世界背負せるなんて、正気じゃない。でも、それでも、あなたに戦ってもらわないと、世界は滅びるんです」
「……ママとパパもいないのに、もう何にも私には返ってこないのに、それでもそういうんだ」
「はい、言います」
世界の終わりとは思えないくらいの、真っ直ぐな声色で、男がいう。
それは、確かに世界を救う言葉なのかもしれない。それでも、その言葉は同時に、莉子の小さくて脆くて柔らかい世界を蹂躙する言葉でもあった。
「憎んでいい、恨んでいい。後でボコボコにしてもらってもいい。それでも、私はあなたに言います。魔法少女になって、世界を救ってください」
ぼろ、と自分の目から涙が溢れたその意味を、莉子は多分生涯言葉にできない。それくらい心の中がぐちゃぐちゃで、何も言葉にならなかったのだ。
それでも、それでも確かに今この瞬間、莉子の柔らかい世界は終わりを告げて、残酷な現実は確かに救われることになったのだ。
「……それに、魔法少女パワーでご両親が戻ってくるかも」
ぐずぐずと泣く莉子に耐えかねたのか、男が、初めて宥めるような口調でそういう。ちらりと伺った男の顔は困ったように引き攣っていて、浮かべた笑みは小さい子供が泣いて逃げ出すくらいに不恰好だった。
「…………何それ。最低な慰めじゃん」
「慰めじゃないですよ。相棒の言葉、信じてください」
「……どっちでもいいよ、もう」
ず、と鼻を啜りながら息を吐くように笑みを浮かべる。どうしようもない理不尽は、まだ飲み込めそうにないが、それでも、自分の心がもう後に戻れないことを莉子は十分分かっていた。
大きく息を吸う。体を抱え込んでいた腕を解いて、それからゆっくりと両足を冷たいフローリングにつけた。ペタリ、と足の裏に床が吸い付く。ペタペタと足音を立てながら男の前に歩み寄った莉子は、震える声でこう告げる。
「魔法少女、なってもいいよ。その代わり、責任とってね」
「…………はい、喜んで」
――男の返事は、何かを噛み締めるように重たくて、それでいてこの世の幸福の全てを詰め合わせたような声色をしていた。
莉子の弱々しく差し出した手が、大きくてゴツゴツとした男の手に覆われる。目を見て、と囁かれた言葉に従って合わせたそれは、不気味なほど美しい虹色に輝いていた。
ぐらり、と視界が揺れる。真っ白な光に、焼けるような熱さを感じた。体が作り変わるようなそんな心地がして、握った手に力を込める。
握り返されたその手と引き換えに、憧れた普通は二度とこの手の中には収まらないのだと、莉子はそう確信した。
※
ベッドの上で目を覚ます。目を瞬いて、自分の目からこぼれ落ちる涙に驚いて、ず、と勢いよく鼻を啜った。
――嫌な夢を、見た気がする。
止まらない涙を乱暴に袖で拭いながら、ベッドから起き上がる。その足で洗面所に向かおうとして、その時、父が洗面台を使っている音が聞こえた。仕方なく引き出しにしまってあったハンカチで涙を拭う。不快感はわずかながらに拭えたが、結局気分は冴えないままだった。
そのままの流れで制服に着替えて、リビングへ向かおうと自室の扉に手をかけて、ピタリと動きを止める。なんで、パパがいるの?とそう思って、それからぶわりと違和感が襲ってきた。
――窓の外から鳥の鳴き声が聞こえた。
――扉の向こうから母が朝ごはんの支度をする音が聞こえた。
――父が洗面台で顔を洗う音が聞こえた。
――朝のニュース番組のくぐもった音が聞こえた。
それは、全て失ったはずのものだった。
それは、なんの変哲もない穏やかな朝の光景だった
「な、にこれ。なんで、」
足から力が抜けそうになるのを必死で耐える。ぐるぐると回らない頭を抱えながら部屋を見渡して、ふと枕元に子供のおもちゃのような携帯があるのを見つけた。
心臓が、嫌な音を立てている。浅くなる呼吸を必死で誤魔化しながら、その携帯にそっと手を伸ばす。ゆっくりと固い電源ボタンを押し込んで、それから画面に映った子供のおもちゃのような犬を見て、ぶわり、と冷や汗が滲んだ。
ゴクリ、と唾を飲み込む。何度も何度も息を吸って、それから混乱のまま震える声で問いかける。
「……意味わかんない。世界滅んでないじゃん。さっきのあれは何?何が現実なの?」
「これは間違いなく現実ですよ。ちゃあんと世の中に怪物はいて、それを倒すための魔法少女は必要とされていて、そのための候補としてあなたは勧誘を受けて、そしてこの度それを快く引き受けて下さった」
可愛らしくもない、ただの胡散臭い男の変わらない真っ直ぐな声が莉子の部屋に響くする。混乱してますね、と犬が緩慢に口を動かした後、莉子が一瞬瞬きをした瞬間、画面からは犬がいなくなり、代わりに莉子のベッドの上にはあの胡散臭い白衣の男が腰を下ろしていた。
「……何?意味わかんない。あれは夢かなんかだったわけ?そんで、騙してたの?」
「騙した、は心が痛くなっちゃいますね。あれは、確かに君が間に合わなかった世界線の話ですから嘘ではないです。夢ではありましたが」
淡々と、まるで何も悪くないかのように男が口を回す。それでも私の心が混乱に満ちているのを察したのか、少しだけ罰が悪そうな顔をして、男は渋々といった具合に口を開いた。
「……分かってると思いますけど、僕善人じゃないんですよ」
男が目を細めながら言う。僕は善人じゃないんです、とそう繰り返し、言う。
「僕、ヒーローになりたかったんです。でも、どうしても僕は侵略者側だったんですよ」
「……は?侵略者?」
「そう、侵略者」
男はベッドから立ち上がると、ほら、といって自分の顔を莉子の顔にずい、と寄せた。突然つめられた距離に少しだけのけぞりながら、それでも視界に入るそれを見つめれば、それは確かに最後に見た光景と同じように、酷く美しい虹色に輝いていた。
「気持ち悪いでしょう?まあ、お察しの通り私人間ではなくて、怪物と言われる部類のものなんですよ」
「どう、言う」
「そのままの意味ですよ。つまるところ私は人間じゃないんです」
「なんで、見た目、変わんない」
「別に見た目は変わりませんよ。変わるのは、中身です。そう、例えば怪物には、特殊能力があります。それを使えば、あなたにとびっきりの悪夢を見せたりすることもできるんですよ」
パチ、と男の目が瞬く。罰が悪いというような顔をしながら、それでも愉快そうな目をしているのが丸わかりだった。
莉子は努めてゆっくりと呼吸をしながら、男の言葉を咀嚼する。何回も何回も咀嚼するが、結局何をいっているのかは、正直半分も分かった気にはなれなかった。それでも、この男が人でなしであり、最低のクソ野郎であると言うことだけは、それだけはこの場ではっきりと伝わった。
「まあ、そんなに怒らないで。話を聞いてくださいよ」
「……聞いてるから早く吐いて。全部言って。その上で後でボコボコにさせて」
「怖い!そんなこと言わなくていいじゃないですか」
「夢でボコボコにしていいっていったのは自分でしょ」
「……確かに」
じゃあ仕方ない、とケロっと態度を変えた男は、全部言えと言われたので続けますがとそういって、その口をペラペラと動かした。
「で、まあ自分は怪物なので、基本ヒーローにはなれません。物理的に人を救えても、メンタル面で人を救うのは苦手なんです。あなたも私の性格わかるでしょ?」
「交渉でもお願いでもなく、緩やかな脅迫しかできないもんね」
「ワハハ、酷い評価!でも、その通りです。私には、人間の感情の機微まで正確に辿れない」
だから、ヒーローになりたかったんですよ。と男はどうしようもないと言うような顔で苦笑しながら言う。だから、傷つけるのではなく、助けるものになりたかったんです、とそう言う。
「自分はヒーローにはなれない。でもどうにかして関わりたい。そんな時、閃いたんです。ヒーローにはなれなくても、ヒーローを生み出すことはできると思って。人間に力を貸して、技術を提供して、対等に戦える土台は用意してあげることはできるって」
淡々とした口調で、男は無邪気に思いを語る。天才的な発明をしたと言わんばかりの顔で、無邪気に。莉子はそれを眺めながら、この男は本当にヒーローにはなれないタイプだとそう思った。感情の機微を理解できる、できないの話では無い。根本的に、この男は誰かを救うことに向いていないタイプだ。
「でも、器が足りなかった。世界を救うヒーローは、誰からも共感されるべき人間である必要があります。でも、あまりにも高潔であるのはそれはそれで共感には至らない。等身大の子供が用意できればよかったんですが、でもそのくらいの年の人間は力を制御できずに気が触れてしまうので。まあ、大人でも大抵気がふれるんでダメなんですが」
「…………つまり?」
「いやいや、だからね、つまり君が選ばれたのは奇跡だったんです。正直世間的に君は共感を呼ぶ百点満点の子供ではないし、むしろ欠陥だらけの大炎上爆弾予備軍みたいなところありますけど、でも、その子供らしい残酷さと、人間離れした強靭な理性のアンバランスさが僕的にすごくいいと思って」
目をキラキラとさせながら、男は莉子をみる。楽しいでしょう?と言わんばかりのその態度に、心底気持ちが悪いなとそんなことを思った。そんな視線も解さず、男はなおも言葉を連ねる。
「君は普通の子ですよ。自分を守るといって、適当に冷めたふりをしながら、自分はちょっと大人びていると思っていたでしょう。それに甘えて、他者を見下していたでしょう……ああ、いいんですよ、それで。16の女子なんて、そのくらい強かで甘ったれてるものなので。年相応に卑怯で僕は良いと思います。そういう君だから、僕はヒーローに相応しくなると思ったんです」
くるくると回る口が、ピタリと止まる。今までの淡々とした卑怯な大人のイメージは一瞬で崩れ去り、今ここにあったのは理想のおもちゃを前に興奮がおさまらない無邪気で残酷な子供だ。
冷え冷えとした莉子の視線を受け止めながら、男は心底申し訳ないと言う顔をして、それでも楽しくて仕方がないと言う声色で言う。
「ごめんなさいね。僕、思ったよりあなたのこと愚かしい人間の子供って感じで、気に入っちゃったんですよね」
――これ、人間でいう初恋ってやつなんですかね。
男がうっとりと呟いたその言葉に、莉子はしばし言葉を失って、それから思わず、はは、と我ながら引いてしまうくらいの乾いた笑いをこぼす。
何が、世界を救ってくれだ。何が憎んでいいだ、恨んでいいだ、後でボコボコにしていいだ。何が、何が、何が!!
「……はは、何それ。あんたの我儘じゃん」
「はい、その通りです」
その通りです、とそういった男は何にも間違えてないと言わんばかりの綺麗な笑顔で笑う。それがこの上なく腹立たしく、この上なく理不尽で、全てがどうでもよくなるくらいに、アホヅラだった。
「でも安心してください。投げっぱなしにはしません。巻き込んで、君の人生ぐちゃぐちゃにしてでも手に入れたいと思って、事実そうしたんです。ちゃんと責任は取ります」
男は莉子の手を握ると、安心させるようにぎゅっと力を込める。ゴツゴツとした手は、あの時は二度と離したくないと思うほどだったのに、今はこんなにも振り解きたくて仕方がない。
莉子は試しに力を込めて振り解こうと足掻いてみる。しかし、そうすればするほど力は強くなっていって、痛いと思う寸前でその抵抗は諦めざるを得なくなった。
ニコニコと、楽しい笑みを浮かべながら、男は言う。
「手始めに、日常の裏にある怪物を、今度こそ倒しましょう。魔法少女として、君が世界を救えるようにちゃんと手助けをしてあげますから。大丈夫、君が嫌になったら放っておけばいいんです。そしたらいつだって、あの光景に戻れるし、もし君がそういう選択を取るのなら、僕はそれをささえて悪の花にでもして差し上げます」
――だから、僕の代わりにヒーローに、魔法少女になってください。
男が、この上なくまっすぐな目で莉子を見つめている。
それは、16歳の少女にとって、あまりにも理不尽で、暴力的で、それでいて圧倒的な運命だった。
魔法少女は夢を見ない 山河春 @yamakawa_0729
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