第53話
語り終えたテオドール殿下は十字架に手を合わせ、そっと目を閉じた。
彼の話しから推測するに、ここには誰も眠ってはいない。彼もそれはわかっているはず。この空っぽの墓を前に、彼は何を想っているのだろう。
私も殿下にならい、十字架に手を合わせ300年前に思いを馳せる。
―モニカ…。
押し寄せてくるのは、彼女に何もしてあげられなかった後悔の念。やりきれなさで胸が張り裂けそうに苦しい。
私がモニカの想いに気付いていれば、彼女の悲惨な最期を防ぐことができたのだろうか。
300年前の私は、自分以外の全ての人間が敵だと思っていた。
モニカのことは、私に珍しく好意的に接してくる風変わりな侍女という認識であったが、所詮は数いる敵の中の1人としか思っていなかったのだ。彼女のことをよく知りもせず、勝手に思い込んで…。
自分のことしか考えていなかった愚かな自分に吐き気がする。
私のせいだ。私のせいでモニカは死んだのだ。
―ごめんなさい、ごめんなさい、モニカ。
今はモニカのことだけを想っていたいのに、それを邪魔するように頭にチラつくのはアルベルト様の存在。彼の存在は無視できないほど、私の中で大きくなっている。
―…貴方のことがわからない。
彼は何故、自ら死を選んだのだろう。
聖女が居た痕跡を全て消したのなら、彼が死ぬ必要なんて、無いはずだ。なのに、何故…?
彼らしくない、不可解な行動一つ一つが嫌に胸をざわつかせる。私にはそれが恐ろしく感じられた。
そして、目に浮かぶのは、先程のカモミール畑。きっとあの場所でアルベルト様は…
「…俺が知ってんのは、ここまでだ。」
そう呟いた殿下は立ち上がり、私に手を差し伸べてきた。その手を掴むのを躊躇していると、「早くしろ。」と急かす声が頭上から降ってきたので、渋々その手をとる。すると、殿下は彼らしからぬ優しい力で私を立たせてくれた。少しよろめいたが、転ぶことは無い。
お礼を言おうと、彼の瞳を見る。
そこには変わらずサファイアの瞳があるが、今ひとつ感情が読み取れない。
ぼんやりと、その瞳を見つめていると彼は私の手を離してから、その無骨な手を私の頬に添えてきた。突然のことにビクリと肩が震える。
「…泣いているのかと思った。」
そう言う彼は、親指で私の頬を拭い、空を仰いだ。私も彼につられ、上を見上げる。
「…あ、」
灰色の空から白い羽毛が、はらはらと舞い降りてきた。思わず空に向かって手を伸ばす。はらりと舞い落ちた羽毛は、手の平でじんわりと溶けてしまった。
「雪…。」
柔らかな雪が無数の羽毛のように静かに降り始める。ノルデン帝国の長い冬が本格的に始まったのだ。
身体がぶるりと震える。
この時、だいぶ気温が下がっていたことに気が付いた。いつも下ろしている髪を今日は上に結いまとめているため、外気に晒されたうなじがいつも以上にひんやりとする。思わずうなじを摩っていると、殿下は着ているコートを脱ぎ、それを私に投げつけてきた。
「うぷ、」
「それでも着てろ。さ、帰んぞ。」
殿下は私に背を向け歩き出した。
私のことを心配してコートを貸してくれるのは、とても有り難いのだが、渡し方がぞんざいである。ここで紳士らしくスマートにコートを肩にかけるなどをすれば、良いものの…。たが、この粗雑さは彼らしい。
私は小走りで殿下を追いかける。
「殿下お待ち下さい。貴方が風邪を引いてしまいます。」
「魔力保持者の俺は、お前と違って丈夫に出来てっから平気なの。」
「ですが…」
「いいから着ているおけ。お前に風邪でも引かれたら、アイツらに何言われるか…」
「アイツら?」
「お前んのとこの親父と弟クン。」
「…あぁ。」
思わず苦笑いをしてしまった。殿下の言う通り、私が風邪を引けば過保護な父と義弟は、黙っていないだろう。
「…では、お言葉に甘えてお借りします。」
「ん。」
殿下はこちらを一切見ず、前を見ながら返事をする。
私はそれに構わず、殿下のコートを羽織った。だいぶ大きいが、着れないこともない。うなじまですっぽりと覆ってくるコートの存在は有難かった。
「殿下、今日はありがとうございました。」
「ん。」
「殿下にあれだけ偉そうなことを言ったのに、結局は混乱してしまって……受け入れるのに時間がかかりそうです。」
「ん。」
「それでも、300年前のことが知れて良かったと思っています。殿下から聞かなかったら、私はモニカのことを知らないままでしたから。」
「…。」
「話してくださって、ありがとうございました。」
「ん。」
変わらず殿下は後ろを振り返らず、短い返事を繰り返す。一体殿下はどんな表情を浮かべているのだろう。こちらからは分からない。
彼の背中をじっと見つめる。
モニカの過去を全て話してくれた殿下。
過去を話す殿下の横顔はとても苦しそうだった。過去を話すということは、300年前の出来事に向き合わなければならない。辛いに決まっている。もしかしたら、本当はここにも来たくなかったのかもしれない。
殿下は物心つく前からモニカの記憶があると言っていた。幼い少年に、300年前の出来事はあまりにも残酷すぎる。モニカの記憶が幼い殿下にどんな影響をもたらしたのか、想像するのは難しくない。彼は、300年前の心的外傷を抱きながら、今まで生きてきたのだ。
それなのに、話してくれた。
私のために。
「本当に、ありがとうございます。殿下。」
「…何回同じこと言うんだよ、お前は。」
少し、明るい殿下の声。その声に救われる。
彼の心の傷に土足で足を踏み入れてしまったことを、遅れて気が付いた私は泣きそうになった。泣きたいのはきっと、彼の方なのに。
今回も昔と同様に、私は自分のことしか考えていなかった。
こんな自分は、本当に、嫌になる。
私は後ろ髪を引かれる思いで、お墓をあとにした。
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