第52話
モニカside
眼から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
赤いカモミール畑に横たわる2人が、この世のものとは思えないほどに美しかったから。
私は呼吸するのも忘れ、なにかに魅入られたかように月明かりに照らされている2人を見つめた。
1人は、ひときわ以上に目見麗しい男である。絹のような長い黄金の髪に、高い鼻梁と凛々しい眉の精悍な顔立ち。
私がずっと捜し求めていた、アルベルト、だったもの。
彼はすでに絶命していた。
蝋よりも白い顔と彼の胸に突き刺さるナイフ。それに伴う不快な鉄の香りが、彼がもうこの世のものでは無いことを物語っている。
そのアルベルトが手の伸ばす先に居るのは、彼方の月のように美しい少女だった。
血管の浮くような細い腕や足はすらりと長く、触れたら壊れてしまいそうな儚さがあった。彼女のプラチナブロンドの髪がより一層、そうみせているのだろう。
少女は上等な白いドレスを身に纏っており、赤く染ったカモミールが彼女の白さを際立たせていた。その白い顔から、アルベルトと同様にこの少女も帰らぬ人であることがわかる。
月のように美しい少女。
ただ一つ、少女には欠損があった。
―――足首から下が、ない。
それに気付いた私の頭は、チリっと痛みを感じた。
何かを思い出せそうで、思い出せない。
私の頭には、アルベルトの“青の魔力”によって、ポッカリと空いた記憶の欠損がある。それを補うように1輪の小さな花が咲いた。
…そうだ、これは、あの人が好きだった花だ。私の大切なあの人…。
花の導きで、宝物の記憶が蘇る。顔、声、仕草…。この少女は…
「エリザベータお嬢様…」
思い、出した…。
まさか自分が、あんなにも大切に想っていたお嬢様を忘れるだなんて…。
アルベルトの“青の魔力”を初めて恐ろしく感じた。
「ヒィイイイイイイイィィ!!!」
突然、一人の男が悲鳴を上げ、その場から逃げ出した。それに続くかのように、数名の女達も走り去る。
この場に居る人間の反応は大きく2つ別れる。私のように、美しい2人に心を奪われ呆然と立ち尽くしている者か、この異様な光景に恐れを覚え、先程の男のように逃げる者か。
明らかに、後者の者が正常である。死人に魅入られるだなんて…。
…あぁ、そうか。そういうことだったんだ。
―私も、壊れた人間だったんだ。
ふと、自分が何者であるのか思い出した。
視界には、お嬢様に触れようと手を伸ばすアルベルトの腕が入る。私は躊躇なく、その腕を蹴り上げた。鈍い音が辺りに響く。衝撃を受けた腕は宙を舞い、おかしな方向にに曲がって地面に落ちた。
そして、アルベルトのその顔を見た瞬間、忘れていた憤怒が沸き上がり、私はスカートの中に隠していたナイフを戸惑うことなく、アルベルトの顔に思いっきり突き刺した。
何故、お墓で眠っているはずのお嬢様がここに居るのか。
それは、アルベルトが墓を掘り返したからだ。その証拠に、お嬢様の首と胴体は綺麗に繋がっている。きっと、魔法を使ったのだろう。
墓を掘り起こすだなんて、死者を冒涜する行為以外、なにものでもない。殺してもまだ、お嬢様を辱める気だったのかっ!!
「許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないっ!!!」
何度も何度も、アルベルトの顔面目掛けてナイフを振り落とす。その度にアルベルトの真っ赤な血が吹き出し、それを何度も何度も浴びる。
怒りなのか、血液なのか、私の視界は真っ赤に染っていた。
「何で、そんな許されたような顔をして死んでんの!?」
アルベルトは、誰の目から見ても穏やかな表情で息絶えていた。その事が、私の癪に障る。
「ふざけるな!例え神がお前を許したとしても、私は絶対に許さないっ!!」
お前は逃げたのだ。自ら自害するという1番最低な方法で。その事が堪らなく、悔しい。
「あぁ、お前よりも強ければ、お前よりも権力があれば…!そもそも私がオトコだったら…!お嬢様を守れたかもしれないのに…!」
私は、ずっと昔からお前の事が嫌いだった。お嬢様に冷たくあたるところも、地位も名誉も、高い魔力も持っているところも、いけ好かないところも、お嬢様から愛されていたことも、全部、全部、大っ嫌いで、全部、羨ましかった。
アルベルトは私が欲しいものを全て持っていたから。
私は、アルベルト以上に、自分が大嫌いだった。
私の下に居るアルベルトは、もう原型をとどめてない。ただの肉片に成り果てている。
「こんな世界、消えちゃえ…」
お嬢様にひたすら厳しかった世界。
私が何も出来なかった世界。
そんな世界はもういらない。
アルベルトの血に染ったナイフを自身の胸に突き刺した。
白いカモミールが赤く染る。
アルベルトの隣に倒れるだなんて、絶対に嫌だと思った私は、お嬢様の隣に倒れ込んだ。結果、お嬢様をアルベルトと私で挟むような形となる。
横を向けば、お嬢様の綺麗な寝顔がある。その美しさに、また涙が零れ落ちた。
謝りたくて口を開くが、それは音にならない。だから、代わりに心で謝る。「お嬢様、ごめんなさい。」と。
鼓動に合わせて、大量の血液が胸から溢れ出す。その度に、五感が少しづつ失われていく。
そんな私の頭に駆け巡るのは、人生で印象的だった出来事。これが俗に言う、走馬灯ってやつだろうか。幼少期からの思い出が駆け巡る。第三者目線から見てみると、なんてつまらない人生だったのだろう。
場面が切り替わる。
神経質そうな豪華な建物。そうだ、これはコーエン家のお屋敷だ。3食付きに住み込みOKに飛び付いたんだった。
そこに居たのは、ヒステリックな奥様と、その奥様に逆らえない旦那様。そして、ずっと泣いていた小さなお嬢様。はじめは、ただ可哀想な子だなという気持ちしかなかった。それが何時からだろう、こんなにも慕うようになったのは。
場面がまた切り替わる。コーエン家の庭だ。そこには私と同じ侍女の女と、庭師の3人が居た。
『別れるって…どうしてよ!?やっぱり、その女に誑かされたのねっ!』
『落ち着けよ。』
『落ち着いてなんか居られないでしょっ!!やっぱり、下町育ちの女は卑しいわっ!すぐ人の男に手を出すんだものっ!』
『おい、モニカに謝れよ。』
『なんで私が謝らなくちゃいけないの!?悪いのはその卑しい女でしょ!?』
そうそう、私は修羅場に巻き込まれていたんだった。まったく、これっぽっちも関係なかったのに。
私は生活費を稼ぐために働きに来ているのだ。アンタらの事情に巻き込むな、と言ってやろうと思ったが、先に庭師が口を開いた。
『お前、本当にいい加減にしろよっ!!』
庭師は侍女に向かって拳を振り上げた。
『やめなさい。』
凛とした声と共に現れたのは、成長したエリザベータお嬢様だ。
『女性に手を上げるだなんて、紳士のすることではないわ。』
お嬢様にそう言われた庭師は気まずそうに、手を降ろす。それを見た侍女はニヤリと笑っていた。私はそれを待てムッとする。こんな奴をこのままにする気?庭師がやらないなら、私が…
―――バチンッ!!
―――バチンッ!!
2度、鋭い音が庭に響いた。侍女と庭師の頬が赤くなる。
2人は頬を叩かれたのだ。因みに私ではない。私の手は中途半端なところで止まっている。唖然とした私たちは、平手打ちをかました少女に視線を向けた。
『あら、私はいいのよ。だって女ですもの。』
お嬢様はそう言って蠱惑的に笑った。
その顔を見た私は、何かに堕ちたのだ。
腐ったお屋敷に咲く、1輪の気高き花。周りから、どんなに蔑まれても、諦めなかった強い花。
―あの時から、私は貴女のことが…
月明かりに照らされるお嬢様を最期に、私の意識は完全に途絶えた。
暗転
モニカ=レーベル。
出血多量により、その短い生涯を終えた。
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