第29話
義弟がデューデン国へ旅立って、数週間が経った。
義弟とは毎日のように手紙でのやり取りをしており、今のことろ体調も崩す事もなくデューデン国で楽しく過ごしているそうだ。その事にひどく安堵する。
最初はポツンと空いている朝食の席や登校時の馬車の中の静けさなど、随所随所に寂しさを感じ改めて義弟の存在の大きさを感じていたが、何とか1人でもやっていけている。この調子なら義弟からの自立もそう難しくないかもしれない。
「おい、エリザ。俺と一緒に居るのに他の男からの手紙を読むとは、いい度胸してんなァ?」
左からひどく愉しげでいて、ガラの悪い声が聞こえてきた。
内心溜息をつきながら声がする方へ顔を向ければ、ご立派な机と椅子に腰掛けているテオドール殿下と目が合った。
「変な事を言うのはやめてください。大切な弟からの手紙ぐらい読んでいても良いじゃないですか。」
私は今、魔力保持者の校舎にある殿下の部屋に来ていた。殿下がモニカの記憶を持っているとわかったあの日から、ちょくちょく呼び出され一緒にお茶を飲んだりするようになったのだ。
最初は、いきなり転移魔法をかけられて硬い床に尻もちをつくなど酷い目にあった。その事を責めれば「俺に会いに来いって言ったのに、来なかったお前が悪い。」だそうだ。解せぬ。
「大切な弟ねェ?」
含みのある言い方をしてから、殿下は再び手元にある政務の書類に目を向けた。
…あのように、黙って業務に取り組む姿はまさに麗しき皇太子殿下様だ。口を開けば実に残念だが。
殿下は学校にいる時は、ほぼこの部屋で過ごしている。授業の単位は全て取得済みのようで、本当は学校に来る必要もないらしい。だが、わざわざ皇宮から学校へ書類を持ち込みこうして公務を行っている。何気なく、その理由を尋ねると「何でって…お前が居るからに決まってんじゃん。」と、にやけ面でからかわれた。本当にやめて欲しい。
正直、殿下が公務をしている時は暇なのだ。だから今朝方届いた義弟からの手紙を読んでいたのに…。
今日のように忙しい時は呼び出さないで頂きたいと切実に思う。
私は義弟の手紙に再び目を向けた。
『親愛なる姉上へ。
いかがお過ごしでしょうか。お変わりはないですか?僕の方は問題なく元気に過ごしております。
この前は万年筆を贈っていただきまして、ありがとうございました。とても嬉しいです。使うのが勿体ないので、使わず毎日眺めています。』
―いや、使いなさいよ。
義弟の手紙に思わず心の中でつっこんだ。
せっかく実用性のあるものを送ったのに、使わずに眺めているという義弟に私は苦笑いをした。観賞用として送った覚えはない。
義弟からの手紙を半目で見ていると、テーブルを挟んだ向かいのソファーに殿下がどっかりと座り込んだ。どうやら、公務が終わったようだ。その長い足を見せびらかすかのようにして組み、ニヤついた顔でこちらを見た。
「おい、エリザ。茶を入れろ。」
その言葉は私は眉をひそめた。
一体何処ぞの亭主関白だ。私は貴方の召使いじゃない、と言ってあげたかったが…それを飲み込む。この方はこれでもノルデン帝国の皇太子殿下様なのだから。
私は黙ってカモミールティーを入れ、仕上げに蜂蜜を足してあげた。前回、殿下にカモミールティーをお出ししたら「まず。やっぱ俺、ハーブティーとか苦手だわ。」と言い出したため、それ以来蜂蜜を入れている。蜂蜜を入れるとだいぶ飲みやすくなるのだ。
殿下は、蜂蜜入りのカモミールティーを満足げに飲み干した。
「っかー!ひと仕事終えた後の茶はうめぇな!もう一杯。」
「今度はご自分で入れてください。」
「んだよ。ケチ。げぶっ」
―…下品。
噯気をする殿下に思わずそう思ってしまった。噯気は生理現象だ。それは仕方がないが、少しぐらい隠す努力をしても良いのではないだろうか。
厳格な皇宮で生まれ育っているはずなのに、何故下町育ちの平民のような口調になってしまっているのだろう。
「ゲップしたぐらいでそんな嫌そうな顔すんなよ。」
「…皇太子殿下ともあろう方が、そのようでは周りに示しがつきません。」
「うっわぁ。クソ爺ども達と同じこと言っていやがる。…仕方がないだろ?俺は物心つく前からモニカの記憶を持ってんだぞ。多少は影響されんだろ。」
多少…?
果たして、モニカの記憶がここまで大きく人格に影響を及ぼすだろうか。
「…モニカはそんなぞんざいな口調ではありませんでした。」
「そりゃーそうだ。主の前では猫かぶるだろう、普通。モニカは下町生まれの平民だ。そんな綺麗な言葉遣いじゃ生きていけねーよ。」
殿下の言葉に妙に納得した。言われてみれば確かにその通りだ。
「敬語ってのは便利だよなァ。そいつの本性を上手く隠せんだから。」
不思議なことに今まで、粗野な振る舞いをしている殿下の悪い噂を聞いたことがない。今の話から察するに、公の場では上手く猫を被っているのだろう。
殿下はくつくつと笑いながら、自身で入れた蜂蜜入りのカモミールティーに口をつけると、短くなった黄金の髪がさらりと揺れた。
殿下は自身がモニカの記憶があると話した次の日に長い髪を切られた。初めて見た時はまるで別人のような姿に、一瞬彼が誰だかわからなかった。髪型ひとつで人はこうも印象が変わるのかと驚いたものだ。だが、彼の雰囲気には今の短い髪型の方が似合ってると思う。
…調子に乗るのが目に見えているため、本人の前では絶対に言わないが…。
殿下の髪型が変わったからなのか、彼に対する恐怖心はだいぶ薄れ、こうして穏やか(?)に過ごせるような仲になっている。
義弟とはまた違った居心地の良さを感じていた。
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