第30話
「んだよ、人の顔をジロジロ見て。俺の顔に見蕩れてんのか?」
ニヤリと笑う殿下に私は大きくため息をついた。本当、こういう所は何とかならないのだろうか。
「不躾な視線を送ってしまいまして、申し訳ございませんでした。」
「おいおい、心がこもってねーぞ。心が。……お前って本当、この顔好きだよなぁ。」
しみじみと言う殿下に、私はむせ込みそうになった。
「…いつ、私が、殿下のお顔を好みだなんて言ったのですか。嘘を仰らないで下さい。嘘を」
「おいおい、忘れちまったのか?300年前、モニカにそう言ってただろう。アルベルト様素敵!あのお顔を間近で見てしまったら私、死んでしまうわっ!って。」
「そんな事言っていませんっ!」
私の声音を真似ているのか、妙に高くおぞましい声を発する殿下に思わず声を荒らげる。
私がモニカにそんなこと言うはずがない。そもそも、言った記憶が無い。
きっと彼は私をからかって遊ぶために、嘘を言っているのだ。
「ぜってー言ってた。ま、言ってたのはこんぐらい小さい時だけどな。」
親指と人差し指で大きさを表すが、それでは小人の大きさだ。私にそんなに小さい時なんて存在しない。
私は300年前のことを思い返していた。いつ、そんはことを…。小さい時?ということはアルベルト様に初めてお会いした頃?
「小さい頃のお前は可愛かったなぁ。馬鹿っぽくて。あぁ、安心しろ。今も可愛いぞ。」
「…からかわないで下さい。」
またふざけたことを言っている殿下に胡乱げな視線を送れば、にんまりと笑われた。
…とてつもなく嫌な予感がする。
「全く、アイツの何処が良かったんだか理解に苦しむぜ。なァ、エリザ。お前趣味が相当に悪いぞ。」
「…過去のことです。」
「ふぅん?……なるほどなァ?ああいういけ好かない感じが好みか。ほー。へぇ?」
「…。」
居心地が悪くなった私は殿下から視線を逸らした。
殿下は趣味が悪いなどと言うけれど、初めてお会いした時のアルベルト様は本当にお優しかったのだ。
今から300年前。皇后陛下主催のピアノ発表会があったあの日、上手く演奏することが出来なかった私はお母様に叱られて皇宮の庭で泣いていた。そこに現れたのがアルベルト様だ。アルベルト様は幼い私を優しく慰め、私に小さな1輪の花を渡してくれた。それがカモミールだ。この時は花の名前すら分からなかったが、その可愛らしい見た目と甘い香りに私は一目で好きになったのだ。
カモミールの花言葉は“逆境に耐える”や“逆境で生まれる力”である。
これは、カモミールが地面を這うようにして咲き、踏まれれば踏まれるほど丈夫に育つことが由来とされている。この事を知った時はアルベルト様からの励ましのメッセージだと思った私は、ますますカモミールが好きになったのだ。
この優しい記憶があったからこそ、アルベルト様にどんなに冷たくされたとしても、また初めて会った時のように優しくしてくれるのではないかと心のどこかで期待していたのだ。
―そんなことは最後まで無かったけどね。
最後の最後まで、現実から目を背けていた馬鹿な私を心の中で自嘲した。
そんな私の心境を知ってか知らずか、殿下は先程から「あー。」とか「うー。」とか、声のトーンを変えながら何やら模索しているようだ。
…突然どうしたのだろう。喉の調子でも悪いのだろうか。その奇妙な行動にただただ首を傾げる。そして、殿下は咳払いをし、私をじっと見てからおもむろに口を開いた。
「…エリザベータ。」
殿下が発する声色に、心臓がどくりと動いた。その安定感のある重低音に魂が震える。
「君の豊かな栗色の髪はいつ見ても美しいね。」
「急に何を…」
「瞳も美しい。神秘的なそのエメラルドの瞳に吸い込まれてしまいそうだ。」
「っ」
全身の血液が顔に集中していくのを感じた。
今のテオドール殿下の口調、声色はまるでアルベルト様のようだ。
テオドール殿下の見た目も相まって、アルベルト様が目の前にいるような錯覚に陥る。
「あぁ、照れているのかい?まるで林檎みたいに真っ赤だ。ふふっ、今君の頬を舐めたらきっと甘いだろうね。」
「…あ…う…」
笑い方までアルベルト様そっくりだ。突然のことに混乱する私は言葉を上手く紡ぐことができず、両手を頬に添え思わず逃げるかのようにして下を向いた。
ずっと夢に見ていた、アルベルト様からの甘い囁きに、今自分が何処にいるのかがわからなくなるぐらい混乱している。
そんな私にはテオドール殿下がニヤリと笑った事に気付かない。
「エリザベータ。」
また彼は私の名を呼んだ。
おそるおそる顔を上げれば、穏やかなサファイアの瞳と目が合った。それだけのことなのに、私の心臓は過剰に反応する。
「可愛い僕のエリザベータ、どうか僕の花嫁になって欲しい。」
まるで砂糖菓子のように甘い言葉に、私の心は急激に冷えていった。
ずっとずっと、あの人に言われたかった言葉。
それは、あの聖女マリーに贈った言葉。
『僕の愛しの聖女マリー、どうか僕の花嫁になって欲しい。』
「…っ!」
私はソファーから勢いよく立ち上がった。
私を見てサファイアの瞳を大きく見開くテオドール殿下を見下ろす。殿下の瞳に写る私の顔はとても冷たく、まるで感情のない人形のようだった。
「申し訳ございません、テオドール皇太子殿下。わたくし、少し気分が優れないようですので…本日はこれで失礼致します。」
機械のように無機質な声でそう伝えると、殿下はわかりやすく顔を強ばらせた。私はそれに構わず軽くカーテシーをとり、部屋を出ようと扉へと向かった。
「…っ、おい、待てよ!」
後ろから右手を掴まれた。反射的に後ろを振り向けば、珍しく焦りを露わにする殿下が居た。私はそれを冷めた気持ちで見る。
「離してくださいませ。」
振りほどけば、案外簡単に殿下の手は離れていった。これは幸いと思い、すぐさまドアノブに手をかける。
「それでは失礼致します。」
最後は殿下の顔を見ず、速やかに部屋を出た。
扉を閉める音が廊下に、やけに響いて聞こえた。
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