第6話「異世界ハローワーク」
グラーツの都は大陸西方、タウルス平野の中央に位置している。
世界蛇(世界すら呑み込める蛇の神様がいるという伝説があるのだそうだ)のように大きくうねるレンツ河によりもたらされた水の恵みと肥沃な土壌を背景にした大穀倉地帯であり、東西の交通の要衝として多くの人々が行き交い商いを行う商業都市でもある。
現在の支配者は土地の豪族であるハルシュタット自由伯。
100戦100勝の武人で、周辺に5つの衛星都市を従えている。
この人は軍事だけでなく政治にも長けていて、グラーツはここ数百年で最大の隆盛を迎えているそうだ。
そして文化面に関しても、自身がフルート吹きであるハルシュタット自由伯は音楽の庇護者だ。
多くの音楽家のパトロンとなり、音楽家優遇の法律を整備した結果、街には今日も音楽が溢れている。
「すごい……ホントに色んなところから音楽が聞こえてくる……」
ピアノのものだろう、歌うようなアルペジオ。
サックスのものだろう、ゆったりとしたビブラート。
唸るようなギターのチョーキングに、軽やかなティンパニのロール。
男性の高いテノール、女性の華やかなソプラノ。
建物の開いた窓から、通りに設置されたベンチから、噴水の脇から、教会の中から。
とにかく色んな場所から色んな音楽が聞こえて来る。
木管楽器に金管楽器、打楽器に歌手。
あらゆる種類の音が反響し、ウワーンという一個の壮大な音楽を奏でている。
「ふわあ~……ほとんど夢の国ねえ~……」
音楽に携わる者なら一度は夢見るだろう、奏者の楽園。
それが今まさに目の前にあった。
しかも、しかもだ。
わたしの後ろにはクロードがついている。
わたしが一歩歩けば一歩歩き、止まれば止まる。
常に周囲を見渡し危険がないかを確認し、わたしが疲れたと見れば声をかけてくれる。
何せイケメンなものだから、道行くご婦人方の視線が痛い。
歌うのをやめてこちらを見やり、弾く手を止めてこちらを見やり、羨ましそうにあるいは妬ましそうに目を細めてくるのが超気持ちいい。
「うえへへへ……イケメン執事に付き添われて街歩きとかたまらんわぁ~……。承認欲求満たされるうぅ~……じゃなくっ」
一瞬トリップしそうになったが、頬を張ってなんとか堪えた。
いやあさすがにそこはね、主人としての威厳っていうものがね、あるからね。
「ゴホン、それでクロード、都庁にはもうすぐ着くのかしら?」
「はい、あちらに見えるのが都庁でございます」
咳払いしながら訊ねるわたしにそっとクロードが指し示したのは、壮大で華麗な白亜の建物だった。
巨大な噴水、誰だかわからないけど偉人の騎馬像、造りも堅牢で雰囲気たっぷり。
「わあー、いかにもバロック調って感じ? すごいわあ~、カルチャーショック受けるわ~……って、呆けてる場合じゃないか。さあお仕事お仕事。ええとハロワ……じゃなくて、労働局はどこかしら?」
クロードに案内されたわたしが
いわゆるハローワークみたいな場所で、人々に仕事の斡旋をする部署だ。
広いスペースに木のボードがたくさん立っていて、業務内容と住所とお給金の書かれたメモ用紙みたいなのが無数に貼り付けられている。
希望する仕事があったらメモ用紙を剥がし、受付に持って行く仕組みのようだ。
「ふんふん、どんな仕事があるのかな~?」
わたしはワクワクしながらメモ用紙を眺めた。
「ええと……なになに? 会計、事務、建築、給仕に料理人に先生、御者に護衛に羊飼い? はああ~、ホントに色々あるのねえ~」
さすがはお嬢様だけあってテレーゼの教育レベルは高く、読み書き計算は完璧。
ブラック派遣企業で鍛えたわたしの仕事術もあるし、仕事には困らなそうだけど……。
「高原で羊飼いとかちょっとロマンあるよなあ~。棒を振って羊の群れを追い立てて、疲れたら原っぱで寝転がってひと休み……いやあ~でもなあ~……」
「まあ、あなたのようなお嬢さんもお働きになるんですか?」
わたしの身なりを見て驚いたのだろう、事務員風の若い女性が話しかけてきた。
「ええ、そうなんです。ええーと……ちょっとした社会見学的な意味で?」
こんな身なりをしておいて、後ろに執事まで従えて、まさか生活費を稼ぐためですとは言えない。
社会生活に興味のある風変わりなお嬢様を装うと、事務員さんは「なるほどそういうことですか」と納得の表情。
「それであの~、出来れば技術を生かしたいと言いますか~。わたしピアノが弾けるんで、そっち関係の仕事がいいんですけど~」
でしたらこっちです、とばかりに案内されたのは、窓際に設置された木のボードの前。
「こちらは音楽関係専門となっております」
事務員さんの言う通り、どのメモも音楽関係のことしか書いてない。
演奏家の募集、調律師に指揮者、作曲家に譜面の手配師、音楽教室講師に楽器の販売員、会場の売り子や運営スタッフに至るまで、とにかく音楽関係のイベントに携わる求人ばかりが書かれている。
「わあ~……」
その数の多さに、わたしは圧倒された。
ちょっと感動すら覚えていた。
音楽関係の求人は、例えば向こうの世界のハローワークにはほとんどない。
それはハローワークが雇用保険や社会保険の整っていない会社を紹介出来ないシステムになっているからだ。
勢い就職は、コネかアルバイトからのスライドがほとんど。
都会はそれでもマシな方で、地方なんかへ行くともう絶望的。
しかもお給料も少ないんだよ。
プロのピアニストだって、それだけで食っていけてる人は数えるほど。
もちろんわたしは、プロにはなれなかったわけだけど。
「ん~、改めていいなあ~、ここ」
じんわりとした喜びを嚙みしめていると、わたしの目は自然と一枚の求人に吸い寄せられた。
「お、『酔いどれドラゴン亭』……これってたしか、ウィルのお父さんがやってるお店よね?」
この間いざこざを解決したばかりの例の音楽バルで、どうやらピアノ弾きを募集しているらしいのだが……。
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