キュウリ男と編集さん 4

「ふーん、いいんじゃないの?」


 読み終えた後に感想を聞かせろと言われたので、簡潔に答えた。


「それだけか」

「俺、昔から読書感想文を書くのが苦手だったからなあ」

「もう少しなにかないの? お父さん、がんばって書いたんだけど」


 両親に言われ、さてどうしたものかと考える。


「思っていたより柔らかい内容だった、かな。もっと仕事でバリバリやってた時のことを、書くんじゃないかって思ってた」

「最初はそのつもりだったんだんだがな。書いているうちに、家族のことが中心になった。だから最初のほうは差し替えたんだ」

「そうなのか」


 銀行の営業マンとしてやってきた父親の回顧録にしては、家族のことがメインなのが意外だった。考えてみると、若いころから仕事はバリバリやっていたが、そのせいで家族がほったらかしにされることはなかった。遅れて家族になった俺と妹を含め、とても家庭を大事にする人で、そこは今も変わらない。ま、そのせいで、俺にうるさく言うんだろうが。


「でもこうやって読んでみると、けっこうな回数の転勤をしてるね。転校もそれなりにしてるし、兄貴達はもんく言わなかったのか?」


 俺と妹が小此木おこのぎの家に来た頃は、父親もそれなりに偉くなり、本店で取締役の一員として落ち着いていたが、それまでは転勤に次ぐ転勤だったという。偉くなるためとは言え、母親と兄と姉は大変だっただろう。


「心の中では思っていたかもな」

「今ならメールやメッセージツールがあるけど、俺達が子供の頃ってそこまで発達してなかったよなー」

「それでも人のつながりは、そうそう切れないものよ。毎年の年賀状の枚数を見ればわかるでしょ?」


 元旦に届く年賀状の山。ほとんどが父親宛だったように思う。


「実はあれの半分は母さん宛なんだよ。お前達が通った幼稚園、小学校、中学校、高校。それぞれで交流のあった、保護者会のメンバーや先生方だ」

「そうなんだ、知らなかったよ」

頻繁ひんぱんに連絡を取り合っているわけじゃないけれどね」


 ゲラ刷りの表紙を見る。俺達で選んだ写真ではなく、父の写真がはめ込んであった。


「表紙の写真、差し替えるんだよね?」

「もちろん。どこで入院のことが漏れるかわからないからな。そこは羽織屋はやりやさんが手配ずみだ」

「羽織屋さんも大変だな。銀行の都合に振り回されて」


 頭取付きの秘書も巻き込んでの今回の入院と執筆だ。巻き込まれたほうは、さぞかし大変だっただろう。


「そのへんも含めての仕事だ。見積書ももらってある。見ておくか?」

「俺に渡されても、本の印刷代のことなんてわからないよ」

「まあ、後学のためと思って目を通しておけ」


 そう言って渡された。トータルの金額の下には明細書がついていたが、正直いってよくわからない。あきらめてトータルの金額を部通で割る。


「一冊で割ると、けっこうな値段になるね」

「まあ本屋に並ぶ書籍とは発行部数が違うからな。それに販売するつもりのないものだし」

「快気祝いにも同梱どうこんするんだよね、これ。それを考えたらまあ、そこまで騒ぐ金額でもないのか」


 本として考えるから高いと感じるだけで、快気祝いに贈る品物代と考えればそれほどでもない。それに父にとっては、この回顧録を書くことは、きっと支払う値段以上の価値があったに違いない。


「それに、闘病生活の気晴らしにはなったんだし、値段以上の価値はあったってことで良いのかな?」

「まあそんなところだ。それでだ、実は最後のページに謝辞を追加しようと思ってね。こんな感じにしようと思うんだが、どうだろう?」


 父親がベッドの横にある引き出しから便せんを引っぱり出した。


「そういうのを聞くのは、俺より姉貴のほうが良くない? 少なくとも俺よりそういうのに慣れてそうだし」

「お前がゲラ刷りを見た最後なんだ、だから最後の文章も手伝いなさい」

「それ、一体どんな理屈……」


 イスから立ち上がりベッドの横まで行くと、差し出された便せんを受け取る。


『この本を作るにあたり、様々な人の協力をいただいた。その中でも特に、不規則な執筆に付き合ってくれた光栄こうえい出版殿と編集のH氏にはとても感謝している。』


 H氏とはもちろん羽織屋さんのことだ。


「締めの文章の後に入れるなら、これぐらいのほうが良いかな。さっきの文章の後ろにつけるんだろ? だったらこれ以上長くすると、グタグタ感が出そうだ」

「そうか」

「決まり? 俺はこれでお役御免ってことでいいのかな?」


 ゲラ刷りを流し読みをしただけだが、かなりの時間が経っていた。通常の病室なら、とっくに看護師に追い出される時間だ。


「本のことではもう一つ頼みがあるの。本は家に届くんだけど、その時に運ぶのを手伝ってくれる? そりゃあ、箱の中から少しずつ出して運べば良いんだけど、さすがに年には勝てないのよ」

「わかった。前もって届く日を知らせてくれたら、その日に合わせて休暇をとるから。力仕事はこっちに任せてくれれば良いよ」

「お願いね」


 母親はホッとした顔をしてみせた。

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