対話篇 ランドセル細胞
西洋的な理性、これはすなわち信心なのです
信心とは「敬虔さ」のことで、肉体に表象的であるからこれは行為です
反射や情念や思考を行為に高める試みで、あって、
称名は、「祈り」は「発声と発語、発話、発言、歌唱、筆記」は、
それへの反定立です。
発「言」は行為であり、脱肉体的であるから、同時に脱行為的なのです。
脱肉体的とは、つまり、
(また思考さえも肉体的です、それは無言ですから。)
「動作」のみがただ行為的であるとして、
二人称的、三人称的に認識された行為のみが行為的属性を帯びるのです
(自身のみに降りかかる自身の行為は、他者のない状態でどのような価値を持っているのでしょうか)
発「言」によって肉体による動作の糸が切れた「言」が誕生します。
「言」が肉体に覆いかぶさるとき、動作が無効化して「言」が表象化します。
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