第31話 凪story DAY1
翌日、少し遅い時間に目が覚める。
「昨日のは一体……? あっ……!」
服がびしょびしょだ。だが、それ以上にびしょびしょな箇所があった。
「うぅ……」
(こんな歳でおねしょなんて恥ずかしいっす……)
誰もみていないが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。顔を真っ赤にしながらシャワーを浴び、布団を洗濯した。
その日の午後、テレビを見ていると、世の中にゴブリンなる謎の生物が突如として沸き、人々を襲っているというニュースが流れた。
「あら、怖いわね。何の動物なのかしら?」
お母さんはそう言いながら心配する。きっと、お母さんにはゴブリンが猿か何かに見えたことだろう。
「どう見ても動物とはかけ離れている様な気がするけど……」
家では普通に話している。あの喋り方を両親に知られると面倒くさそうだからだ。
「そうねー。凪、危ないから家から出ちゃだめよ?」
「はーい!」
そう返事をしたものの、私はこの事態にワクワクしていた。世の中が変わった。不思議なことが起きている。
そして……私は選ばれたのだ。
この未解決事件を解決するのにうってつけの
自室に戻り、動きやすい服装に着替え、帽子を被る。
「さぁ! 女子校生探偵、楠凪の初めての事件っす!」
そう言いながら、意気揚々とゴブリンが湧き出る街に繰り出していった。
ニュースを見て、私の家から一番近くに出現したゴブリンの元に行く。
ゴブリンは既に警察によって射殺された後で、ブルーシートで囲われており、その姿を確認する事はできなかった。
仕方がないので別の場所に行こうと来た道を戻ろうとした時、閃くものがあった。
それは探偵の権能、捜査【フォーカス】だった。そしてドラマでよく言われる言葉。
犯人は現場に戻ってくる。
そんな言葉を思い出し、現場を見に来た野次馬達に、探偵の権能、
「
すると、頭の中に何か得体の知れない情報が流れ込んでくる。
言語化の難しい意味不明な情報。
ただ一様に言える事は、ここにいる人達はこのゴブリン事件とは何の関係もないという事だ。
それだけは直感で分かった。それだけで十分だった。
それから更に、別のゴブリン発見現場に向かう。
そうして幾つか周り、その度に
それは私が一番仲良くしている友人、白雪姉妹の家がある街。
(せっかく近くまで寄ったっすから、ここでも何もなかったらお茶でもしに行こうかなー)
そんなことを思いながら現場に辿り着き、
すると、一人の男性がヒットした。二十代中盤位の中肉中背の至って平凡そうな男性。
側から見れば、興味深そうにブルーシートの奥を覗こうとしている野次馬と何ら変わらない。
だが、私にはわかる。この男性が何かしらの情報を握っていることが。
もう一度、その男性一人に向けて
すると、その男性の年齢、身長、体重、筋肉量、身体的特徴から推測される職業までが頭の中に流れ込んでくる。
その情報によるとこの男性はあまり立ち上がることのない事務仕事、しかも特に指先を使う仕事をしている様だ。
(PCのタイピング? 最近流行りのIT系ってやつっすかね?)
しかし、この情報だけではとても今回の事件の鍵を握っているとは思えない。
だが、私はそれでもこの権能を信じ、現場から離れていく男性を尾行する事にした。
まずその男性は近くのコンビニに寄った。そして、不審な所で立ち止まり何か悩んでいる顔をしていた。
(
何度か試している内に口に出す必要はない事に気付いたので、心の中で唱える。
その情報によると、どうやらこの男性は何か葛藤しているようだ。しかもそれはその商品を購入しようかしまいかというような単純な葛藤ではない。
倫理観。
目の前の男性はその感情に苛まれていた。
(まさか万引きって奴っすか? お金に困っているようには見えないっすけど)
その男性の身なりは休日にしては整っており、髭や髪なども休日にしては綺麗にしている。服装もブランドものではないものの安物ではない。両親ほどではないにしろ、お金は持っている方の筈だ。
それに、その男性はバッグや手提げ袋などは持っていなかった。男性の目の前にあるのは、ポケットに入れたらすぐバレてしまいそうな男性用のシャンプー。
しばらく立ち止まった男性は頭をふり、何もせずにその場から立ち去った。
だが、その男性に注目していた私は聞き逃さなかった。
その男性が小さい声で、「俺は倫理観のある人間だ」と言っているのを。
男性が見ていたシャンプーを購入し、男性の跡をつける。シャンプーを購入したのは交渉材料になると思ったからだ。
そのコンビニから少し歩いた住宅街の綺麗なマンション。その三階の一番奥の部屋がその男性の家だった。
表札には「田中和彦」と書いてある。
都心近くの住宅街。しかも駅まで十分前後で近くにコンビニやスーパーもある好立地。その三階の奥の部屋。それなりの家賃を取られる筈だ。
(んー、やっぱり万引きするようにはとても思えないっすねー。どうしようかなー)
来た道を戻り、別のゴブリンが発生した場所に行くか、それともこの田中なる男性の部屋に突撃をするか。
二択で迷い、そして、意を決して突撃する事にした。
ピンポーン。
「はい、なんですか?」
中からはくぐもった男性の声が聞こえてくる。そこで大事なことを忘れていた。
(やべぇっす! ここからどうしようか全く考えてなかったっす!)
詰めが甘いことを反省しつつ、アドリブで返答する。
「あ、あの、落とし物を届けに来たっす!」
「え、落とし物!? スマホ、財布、鍵……ある。え、落とし物?」
軽装で何も持っておらず、何も買わなかったのだ。何か落とすわけがない。しかし、何とか開けてもらえるようゴリ押しする。
「そうっす! 貴方が落としたの確かに見たっす! だからここを開けて確認してほしいっす!」
「え、ええ? わ、分かりました。わざわざありがとうございます」
そう言うと奥からドタドタ走ってくる音が聞こえてくる。
シメシメ、上手くいった、などと考えていると、鍵が開き、ドアが開かれる。
「お待たせしました! 私が落としたものって……」
「もう逃がさないっすよ!」
そう言って刑事ドラマで見たようにドアの隙間に足を差し込む。
「は?」
田中さんは口をポカンと開け、固まってしまった。
その隙に開いているドアの隙間に身体を差し込み中に入り込む。
「お邪魔するっす!」
「え、え? あ、え? ちょ、ちょっ! ええ?」
混乱しているのか、呂律が回っていない田中さんを置いて中に入る。
鼻につくのは少し据えた男性の匂い。特に汗の匂いなのかベットルームの匂いはきつかった。
早速権能を使う。
(
すると、この部屋のベッドから反応があり、昨夜、大量の汗をかいていたことが判明した。
(大量の汗……。まさか自分と同じ
そこまで考えた時、後ろからガシッと肩を掴まれる。
「ちょっと君! 突然何なんだ? 落とし物は? 嘘なのか? それにその手にあるのは……っ!?」
気づいたようだ。なにせ私の手のビニール袋の中に入っているのは、先程、田中さんが凝視していた商品なのだから。
「すみませんっす。落とし物は嘘っす。お詫びにこれ、あげるっすよ。欲しかったんすよね?」
「なっ……」
驚いて固まる田中さんの手に無理矢理ビニール袋を渡し、別の部屋に移動する。
(
それはインターホンがあるリビング。
それはこの部屋にも寝室にも財布がないという事。
この田中家には財布が置いていない。だがしかし、田中さんは言った。
財布はある、と。
どういう事なのか。田中さんの財布はこの世から消えたとでもいうのだろうか。
「おい、いい加減にしろ!」
硬直から戻った田中さんが私を追いかけてリビングまで走ってきた。
「そろそろマジで警察呼ぶぞ!」
お怒り顔の田中さんに少し怯えるが、虚勢を張って言い返す。
「警察を呼ぶと困るのは田中さんのはずっすよ。何せ万引きしようとしたんすから?」
「いや、して、ない。俺は何も盗ってない!」
田中さんは言い淀んでいる。やはり何かをしようとしたのだ。しかも良心の呵責に苛まれるようなことを。
「何も盗ってないのは知ってるっすよ。見てただけっす。でも欲しかったんすよね? だからお土産として持ってきたじゃないっすか」
「いらん! 返す!」
そう言って突き返してくる。
「男性用シャンプーなんて使わないっすよ。あげるっす」
「俺だって要らない。つうか何が目的なんだ? 俺の家にはお前が欲しがりそうなもんなんて何もないぞ!」
「確かにインスタントラーメンとかばっかりっすね。それに……財布もないっす」
反応は劇的だった。目は狼狽し、呼吸は荒くなり、体は小刻みに震えている。
それを見て確信する。
(財布を隠したのは
「さい、ふ?」
「そうっす。財布っす。どこにあるんすか?」
「え、ええっと……」
田中さんが目に見えて狼狽える。それをみた私は、更に田中さんを追い詰める。
「財布、どこにあるんすか? さっきあるって言いましよね?」
「あ、ある。だが、それをお前に見せる必要はない!」
「いいや! 財布はないっす! 何故なら……貴方の財布は貴方の権能の力で消されたんすから!」
指をズビッと指し、自信満々に突きつける。
(あー、最高っす!)
自分は今、非日常を生きている。それが堪らなく楽しい。ワクワクする。ドキドキする。きっと追い詰められた犯人に決定的証拠を突きつける探偵はこんな気分なのだろう。
そう思っていた。
次の瞬間、突きつけた私の腕を取られ、もう片方の手で口を塞がれ、壁に叩きつけられる。
そこには、先程までの狼狽していた田中さんはいなかった。その瞳は冷たく、それでいて覚悟を決めていた。怖い。
「今からする俺の質問に嘘偽りなく答えろ。俺が嘘をついているって思ったら、お前はもう二度と家には帰らないと思え」
冷たい声。その言葉にコクコクと頷く。人生で初めてここまでの感情をぶつけられた。膝が震え、目は涙でにじむ。
「言っておくが、このマンションは防音だ。叫んでもそうそう周りに声は届かないからそこんとこ、頭に入れておいてくれ」
そう言うと、ゆっくりと口の手を離してくれる。そしてその手は私の顔の横に置かれる。
「一つ目、何故お前が権能を知っている?」
「あ、あの……それは、私も、その……
「じゃあ二つ目、お前の
「あ、た、探偵です……。権能は
「探偵に
田中さんはそう聞いてくるが、私にもよく分からない。
「まだよく分からないです……、ただ、隠していることがよくわかる、みたいな……」
「隠していることがわかる……か。じゃあ三つ目、これは聞きたいことじゃなく命令なんだが……俺の事は誰にも話すな。分かったな?」
その言葉に私は二度首を縦に振る。
「そうか。分かったならいい。もう帰れ、そして二度とここには来るな」
そう言って私から手を離す。
「これは……まあお前は確かに使わないだろうから貰っておこう。ありがとう」
そう言うとリビングに置いてあるソファーに座り込み、スマホをいじり出す。
そんな田中さんに私は一つ質問をする。
「あの、一つ聞いていいっすか?」
「ん? 俺の
「じゃあ……何でそれ盗もうとしたっすか?」
そう聞くと田中さんは苦い顔をしてスマホから目を離す。
「見たところお金に困ってないっすよね。じゃあ千円ぽっち出せるじゃないっすか」
「……」
「何でなんすか?」
そう聞くと田中さんは手に持っていたスマホを机に置き、俯く。
「……」
「……」
数分の間。
「魔が刺した」
田中さんはそう言った。
「一言で言えばそう言う事なんだろう。お前が言った通り、俺は金に困ってない。だが、余裕があるわけじゃない。俺は昨日まで一日十二時間労働を三十日間ぶっ続けで働いていたんだ。貰える金額は確かに同年代より高い。だが基本給が高いわけじゃないんだ」
それはまるで懺悔のようで。また、独白のようでもあった。
「そんな時に
そこまで呟くと、田中さんはこちらをしっかりと見てくる。だが、その瞳には先程までの力はなかった。
「それが理由だ。理解したか?」
「動機は分かったっす。でも、人のものを盗むのは良くない事っす」
「お前に言われなくても分かってるよ。だから踏みとどまっただろうが」
どうやら田中さんは良心の呵責に苛まれているようだ。実際のところ、盗んだわけではなく未遂なのだから別に気にすることではないと思う。人間誰しも魔が刺すことくらいあるのだから。
「でも、また魔が刺すかもしれないっす!」
「その可能性もあるかも知れないが、未来がどうであれお前には関係のない話だろ」
「いいや、関係あるっす! 同じ
「意味がわからん」
呆れる田中さんに私は更にたたみかける。
「田中さん、今日のこと、悩んでるっすよね?」
「……まあな」
「その心の棘、抜きたいっすよね?」
「……まあ」
「じゃあ、自分と一緒に今回のゴブリン事件を解決しましょうよ! そしたら田中さんの心の棘もきっと抜けるっす!」
「……は?」
惜しい。押しきれなかった。
田中さんは、言っている意味がわからないと言う顔をする。
「女子校生探偵、楠凪の助手として、明日一日付き合って欲しいっす! そしてこのゴブリン騒動を一緒に解決しましょう!」
「は? 嫌に決まってるだろ」
田中さんは素っ気なく断る。しかし私はめげない。
「田中さんは悪い心に染まってしまいそうになったことを無かったことにしたいっす! なら、善行を積むのが一番! そして今、世界中が困っていること。それはこのゴブリン騒動っす! ならば、それをもし解決出来たのであれば、田中さんの罪の意識は無くなるはずっすよ!」
「……」
そう捲し立てると田中さんは黙ってしまった。ここでもう一押し。
「自分の
「……」
そう言って私は満面の笑みで手を差し出す。すると、田中さんの手がゆっくりと持ち上がる。
勝った。
そう思ったのだが……。
「お断りだ。帰れ」
田中さんはそう言いながら私の首根っこを掴み、そのまま引きずっていく。
「あ、ちょっと待ってくださいっす! まだ話は終わってないっすよ!」
「危ない事はお断りだ。楠凪とか言ったか? 見たところまだ女子校生だろ? お前にはまだ早すぎる」
「あ、ちょっと……!」
そしてそのまま私は玄関から追い出してしまう。
「くっそー、あとちょっとだったのに……」
また明日リベンジしよう。そう心に誓って、私は帰路に着いた。
……。
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