第45話 秘策
目の前には、大口を開けて俺を飲み込もうとする首だけのゾーオが居る。
防ぐことも出来ず、避ける余裕もない。
終わった……。
俺は本能的にそれを理解して、いつしか瞳を閉じていた。
「偶然でも奇跡でもいい。相澤だけでも、助かってくれ……」
そんな情けない言葉を、心から祈り、口にして……。
するとそんな時だった。脳裏に何処かで聞いたことのある声が響く。
『──あら情けない。それでも澪を守る使い魔なのかしら?』っと。
あれ、おかしい。痛みも何も感じられない? それに、今の声。
俺はゆっくりと目を開く……。
「う、うわぁぁぁ!?」
血も凍るほどの恐怖に、全身に鳥肌が立っているのがわかった。
それもそのはず、目の前では今にも噛みつこうとしているゾーオの生首が、大口を開けたまま止まっているのだ、驚きもする。
こ、こ、こ、これは一体どうなってるんだ?
今の状況、例えるならゾーオが透明な壁に阻まれて、噛み付こうにも噛みつけない。そんな感じだけど……。
「澪、兄さん、助けに来たにゃ!!」
「この声はシロル──げっ!?」
後ろを振り返ると、シロルとそれとは別に、もう一人の人影が浮いている。
俺はその人影を見て、慌てて逃げ出そうとするものの、透明な何かに阻まれ、逃げ出せないでいた。
「あら、失礼ねこの猫。人が助けてあげたのにお礼も言わないなんて」
人影の正体は、俺の先輩でもあり、相澤の先輩でもあるあの人。姫乃咲百合だったのだ。
姫乃先輩は俺に向け手を伸ばし、首根っこを掴む。
そして透明な何かから、俺を引きずり出した。
「小百合先輩、どうしてここに!? それにその格好……」
俺もだが、相澤が驚くのも無理もない。
本来ここに居るはずもなく、なおかつ彼女の格好はまるで、魔法少女のそれなのだから。
衣装は赤、白をベースに、一部黒の装飾が全体を引き立たせるドレス。
黒かった髪は赤く染まり、彼女のすぐ近くには盾が浮いている。
大人びたその雰囲気は、どっちかって言うと……。あれ、魔女か?
「ふふっ、シロルって名乗るその猫に話を聞いてね。貴女が危険なことをしてるって聞いて駆けつけたのよ」
相澤に向けて微笑みかけるその表情は、優しくて穏やかで、何処か母性まで感じる程だ。
でも俺は騙されない、本性を知ってるからな? っと心の中で思っていると、
「それにしても貴女の使い魔、何処かアイツに似ててムカつくわね」
っと、姫乃先輩は理不尽に俺の頬を摘み引っ張った。
痛みを堪えながらも「やめれぇー」っと、じたばたして精一杯の抵抗を見せる。
「あ、あの、助けてくれてありがとうございます。でもその、あれ……」
相澤の指差す方向には、首だけのゾーオと、未だ燃え続けているその体が居る。
両方とも、何かに閉じ込められているのか動けずに居るみたいだけど、これが姫乃先輩の魔法?
「あぁ、あまりに無害なわん子だったから、忘れていたわ」
姫乃先輩は、飽きたかのように俺を放り出し、浮いている盾を握った。
そして目を閉じ、盾を上空に向け掲げる。
「結界魔法『アイギス!』」
彼女の盾を中心に、暖かな風が吹き荒れる。
風に撫でられた世界は、七色のコーティングがなされていった。
それは、相澤の結界も例外ではない。
「綺麗。これが小百合先輩の魔法……」
淡かった世界は、彼女の魔法で色鮮やかなファンシーな世界へと変えられた。
いつしか感じていた不安や恐怖は、安心感へと変わっている。
「さぁ澪、貴女の活躍を見せて頂戴」
「で、でも小百合先輩、私の魔法は……」
姫乃先輩は相澤に近づき、優しく頭を撫でた。
「大丈夫、話は聞いてるから。貴女の愛ぐらい、私が受け止めてみせるわ」
相当な自信だ。
話を聞いてるはずなのに、彼女の言葉には迷いが感じられない。
俺と相澤がシロルを見ると、自身有りげな表情で頷いた。
こうなったらもう、一人と一匹を信じるしかない。
俺は相澤に近づき、彼女の耳元で呟く。
「相澤、分かってるとは思うけど、一応手加減はしろよ?」
「うん、大丈夫」
俺と相澤は、動けないゾーオの頭と体が一直線に並ぶ場所へと移動する。
「ねぇ、ノアちゃん」
「ん、なんだ?」
「えっとね、恋敵だと思うとあんなにも高い壁に見えて不安になるのに、でも味方だと思うとこんなにも安心できる。やっぱり小百合先輩って凄いなって思って」
「あぁ、その気持ち何となく分かるよ」
相澤が言うように、味方につけてこんなに心強い人はそうそういない。
本当、この人を敵にだけは回したくないと心から思う。
「さぁ相澤、けりをつけるぞ」
「うん」
手を伸ばし、俺は深呼吸をした。
バイパスを緩やかに、しかし途方もない量の魔力が俺に流れ全身を巡る。
こんなに落ち着いて、この魔法を放てる日が来るなんて思いもしなかった。
これなら、外す気がしない!!
「アムール・エクレール!!」
俺を襲う反動と共に、光の
ゾーオ、電線、車、道路。魔法が通過した光線の中央部分は、多くがその形を完全に失っていたが、その周囲のものは焼け焦げただけで済んでいる。
過去最大の破壊光線は、最小規模の被害に留めていたのだ。
「すげぇ……。本当に結界が保った」
つまりそれは、全力で無いとはいえ、相澤の魔法を受け止める事ができる程の、愛を持ち合わせていると言う事……。
しかしこの結果に満足していないのか、姫乃先輩は爪を噛む仕草を見せ、悔しそうな表情を浮かべていた。
そして「あの娘の愛がこれ程なんて」っと、小声で呟いたのが聞こえたが、俺は聞こえていないことにした。
深く考えるのは止めて、今はこの勝利を素直に喜ぼう。
そんなことを考え、頭の痛い問題から俺は目を背けた。
「小百合先輩ありがとうございます。おかげで助かりました」
現実逃避をしていると、いつしか相澤が姫乃先輩に近づき、感謝の言葉を述べている。
なんとか事なきを得て、相澤の表情はいつもの愛嬌のある、緩んだ笑顔に変わっていた。
「それにしても、どうして先輩は来てくれたんですか?」
「ふふっ、そんなの決まってるじゃない」
相澤を見たまま目を細め、微笑みかける姫乃先輩。
てっきり俺は「相澤が心配だから」とか、そんな美談なんだろうなと、思ったのだが……。
「──貴女に、魔法少女を辞めさせるために来たのよ」
「……えっ?」
彼女の口からは、俺の予想だにしないセリフが飛び出したのだった……。
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