後日談 1

「──ねぇノア、あんた聞いた? 昨日殴り合いの喧嘩があったって」


 初めてゾーオを倒した、その翌日の昼休み。

 西野茜がメモを広げ、俺のすぐ前にある一樹の席に座り俺に話しかけてきた。


「へー、そうなんだ」


 彼女の問いかけに、つい素っ気なく返事をしてしまう。

 この話題については思うことがある。

 つまり、あまり乗り気じゃないのだ。


「結構派手にやらかしたみたいよ、殴られた側は病院送りに、それに教師も殴られたみたいなの」


 しかしそんな俺の思いを知るや知らずや、淡々と会話が流れる。

 話題の提供をしなくても会話が続く。

 彼女の良いところでもあり、悪いところでもある。


「病院に運ばれた生徒は指に骨折はしたものの、他に大きな怪我はなく、殴られた先生の方も大したことはないみたい」

「そうか、それは何よりだ」


 良いニュースを聞いた、心底思う。大事がなくてよかった。

 しかし、茜は何か納得をしていないのか、小さく唸りながらしかめっ面でメモを見つめていた。


「どうした、何か気になることがあるのか?」

「んー。今回の件、罰が軽すぎるのよ」

「罰が軽い?」


 あれだけ派手な揉め事だ。

 退学はないにしろ、普通は一月ぐらい謹慎処分じゃないのか?


「調べだと、三日間の生徒指導室での謹慎だけね。三日よ? 三日。過去の暴力事件を調べると、短くても十日は謹慎を言い渡されてるのに……」

「それは……。確かに短いな」


 警察沙汰にもしていないみたいだし、学校側が隠したい理由があるのか?

 でも、隠したとしたらその理由は?

 あんなに目撃者がいれば、すぐ露見しそうなものだけど、不思議だ。


 茜の様子を見て、俺は彼女が握っているメモを指さした。


「なぁ茜、もしかして記事にする気か?」

「うーん、どうしようか悩んでるところ。今のままじゃ、分からないことが多すぎて」


 ペンを口に当て、頭を悩ませる茜。

 新聞部の事は、俺には全然関係ないが、


「悪いことは言わない、辞めとけって」

「何でよ、だっておかしいと思わない?」


 確かに違和感を感じる。でも、


「新聞って、事件を追ったりするのが普通だ。でも校内新聞だろ? 犯人を晒し者にするような内容は、茜らしくないと思う。それにここだけの話、決定を下したのが殴られた本人の森下先生らしいぜ。アイツを敵に回すと面倒くさいぞ」

「そうなの!?」


 まぁ、最後のは嘘なんだが。


 実際は、この事に関しては知らない事の方が多い。

 しかし今回の決定に背く記事を書けば、学校側からの新聞部の心象は悪くなるだろう。

 それに、事件のきっかけはそもそもゾーオだ。

 なのにトラブルを起こした未来ある生徒を晒し者にするような記事を、茜には書いて欲しくない。

 っていうのが本音なんだが。


「でもねー、権力に屈するみたいで癪なのよね」

「森下先生の機嫌を損ねて、全校生徒が連帯責任で宿題を増やされる……なんて可能性も無きにしもあらずだぞ」

「うーん……」

 

 これ以上言うと、何かを隠してるみたいに思われそうだな。

 後は茜を信じるしか……。


「はぁ、そうね。そもそも私も乗り気じゃないし、面白半分で関わっていい様なネタでもないわね」

「あぁ、賢明な判断だと思う」


 こちらの心配している気持ちが伝わったのか、茜が暴力事件についての記事を追う事はなさそうだ。

 俺は彼女の判断に、ホッと胸をなで下ろした。

 

「それより断然『校内のトイレから突然現れた謎の黒猫特集!』こっちのネタの方が皆笑顔になれるだろうし、私は好きなのよね」

「ハハハッ……」


 おい、そんな特集記事組むなよ。

 

 手に汗を握り、乾いた笑いを浮かべた俺の顔を、茜が覗き込む。

 

「ノアあんた猫好きでしょ、何か知らない?」


 不意の上目遣いに、胸が高鳴っているのが分かる。

 茜には、正直に話しても。

 なんて考えが、一瞬脳裏をよぎった。

 でもやっぱり、巻き込みたくない……。


 だから俺は、彼女の問に正直に答える訳にもいかず。

 

「十一月十七日は黒猫の日である」

「こら、誰が豆知識を披露しろっていった……」


 道化を演じて見せた。

 そして、ボロが出る前に席を立つ──。


「どこか行くの?」

「トイレだよ、トイレ。ついてくるか?」

「なに一樹みたいな事言ってんの。そういうの、あいつ一人でも手一杯なのに。さっさと行った行った」


 俺は、茜に追い出されるように教室を後にした。

 廊下の窓から見える空は青く、雲の一つは何処か白い猫のような形に見えた。


「さっきの違和感、もしかしたらシロルあたりが魔法でも使ったのかもしれないな」


 もしもそんな便利な魔法があるのなら、家の借金の件も魔法でパッパと処理して頂きたいものだ。


 そんなことを考えながら、俺は二年の生徒指導室の前を横切る。

 すると中から、声が聞こえた。


「利き手、指折れてんだろ? 飯食べさせてやるから口開けろよ」

「折ったのはお前だろ。後自分で食べれるわ! 何が悲しくて男にア~ンされないといけないんだよ!!」


 ドアの隙間から中を覗くと、昨日ゾーオに取り憑かれていた男子生徒と、殴られていた男子生徒が食事を取っていた。


 謹慎中の二人、元々知り合いだったのか?


 怪我をさせた生徒が、怪我をしている生徒に食事を食べさせようとしている。

 そんなときだ……。


「俺にはないのか? こっちにも怪我人がいるんだがな?」


 数学の森下先生が、男二人の間に割って入った。

 これには、流石の二人も同時に距離を取る……。


「ば、ばか冗談だ。冗談だから二人揃ってそんな顔するな!」


 森下がブラックジョークを滑らせ、生徒達が笑う。

 あんなことがあっても、関係は無事に修復されているようだ。


「この光景、相澤にも見せてやりたかったな」


 眼の前に広がる、優しい魔法少女が守ったこの日常を、今晩伝えようと思いながら、俺はその場をそっと後にした。

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