【003話】アンデッドヒューマン


 いわゆる『おどろおどろしい音』という表現が正しいのだろうか。


 妙な音が通路を包み、急激に温度が下がった。

 イチルは持っていた酒を一口含みながら、どうやら作為的に作られた周囲の状況を注意深く窺った。


 音は同じものが繰り返し流されていて、まず人工的なもので間違いなかった。

 急激な温度変化も、魔道具のたぐいでイチルのいる周囲だけを意図的に下げているようだった。頭上には未熟な冒険者では気付けないほど薄く加工された遮光性のシートが貼られていて、どこからどう見ても、イチルひとりをターゲットに仕掛けられたもののようだった。


 近くにこれを実行しているがいる。

 注意深く探ったイチルは、通路の一角で不自然に盛られたゴミ置き場を発見した。

 あそこかとイチルがゴミ捨て場に近付けば、中からバッとゴミをひるがえし、何者かが飛び出した!



「ヒュ~、ドロドロドロ。ヒュ~、ドロドロドロ」



 通路に響いていた音と同じように自分の口で効果音を表現した誰かは、上下真っ黒にそろえた幼く小さな身体を大きく表現しながら、イチルの方へゆっくり怪しげに近付いた。


 イチルはさらにもう一口酒を含んでから、物怖じ一つせず近付いてくるを見下ろした。


『グワワーン、恐ろしい化け物が出たぁ、早く逃げないと呪われてしまうぞー』


 目の前でそれらしく両手を挙げて威嚇する全身黒ずくめの化け物(?)は、自らの口で「怖いぞ怖いぞ」と宣言しながらイチルの周囲を漂いワーワーと叫び回った。


 イチルは仕方なく少ししゃがみ、小さな化け物(?)と目線の高さを合わせてから、さらにもう一段身をかがめて化け物(?)の中身を覗き込んだ。すると、なぜか顔を赤紫色にした女の子が、恥ずかしそうに目を瞑りながら化け物役を演じていた。


『噛まれたら、お前も化け物になってしまうぞー』


 相手の反応も確認せず威嚇を続ける化け物に道を譲るように、イチルは一歩後退した。すると化け物もまた一歩前進し、グワァァーと両手を挙げた。


「なんだこの珍妙すぎる状況は。それにしても、こいつは――」


 イチルは言葉を失った。

 これまでダンジョンで数多あまたの命のやり取りをし、多くの死線をくぐってきた。目の前でゴミクズのように身体を斬り裂かれ、食われ、打ち砕かれる者たちの姿を、幾千、幾万と見届けてきた。


 しかし目の前のは、これまでに見たどれとも違っていて、イチルは酷く心打たれていた。



「か、か、か……」



 ――可愛らしい。

 その姿は、あまりにも可愛らしかった。


 少女の風貌から察するに、化け物(?)はもしかするとアンデッド、いわゆるゾンビの部類であることが予測できた。


 なにせ黒尽くめの服装の下に見え隠れする肌の色は紫がかっていて、アンデッド特有の少しだけポコポコとした肌をしていた。小さな耳は鋭角に尖り、口元には小さな牙も見えていた。


 イチルは女子をヒョイと持ち上げ、上下左右から眺めてみた。

 慌てふためいた女子は、まさか持ち上げられるとは想像もしていなかったのか、「放せ、放せ!」と暴れた。


「なんだ、この物体エックスは。わかったぞ、だな。仮装してお菓子を貰いにくるに決まってる」


 シャーと猫のように爪を立てた女子を地面に下ろし、再び目線を合わせたイチルは、野良猫にちょっかいを出す隣人のように興味津々で女子を見つめた。

 しかし女子は不服だったようで、ようやく開けた目に涙を浮かべながら、イチルを指さした。


「なぜですか。なぜアナタはビックリして腰を抜かさないんですか。これではになりません!」


 片方の酒瓶を放り投げ、小さな人さし指を摘んで握手したイチルは、しばしの安らぎを与えてくれたアンデッド女子に会釈をした。


「興味深い突発イベントだった。長く生きてきたが、これほど異質なはそうそう出会えるものじゃない。何より実際に、俺はここまで化け物(?)に接近を許してしまった。もしキミが刺客やモンスターだったなら、俺は今頃やられていたかもしれない。こんなことは久々だ、してやられたよ」

「うるさい犬男いぬお。もういい、どうせ私なんかじゃこの程度だもん……」


 しょんぼりと縮こまった女子は、イチルに背を向け、イジけて地面の砂をいじり始めた。どうやら相当にショックだったのか、流す音も下げた温度のことも忘れて凹んでいるようだった。


「わ、悪かった悪かった、気分を害したなら謝ろう。すまなかった」

「……少しは怖かったか?」

「いや……、怖くはなかったな(むしろ和んだ)」


 またズーンと沈んだアンデッド女子は、もう立ち直れないと直角に首を曲げて項垂れた。


「そう気落ちするなよ。さっきのはむしろ褒め言葉で、馬鹿にしたわけじゃない。それに一度や二度の失敗で諦めてどうする?」

「一度や二度じゃない。……もう十回目だもん」


 ハハハと空笑いしたイチルは、アンデッド女子がどうしてこんなことをしたのか理由を想像した。しかしどれだけ想像したところで思い浮かぶはずもなかった。


「どうしてこんなことを?」

「別に。私の勝手でしょ」

「話してみろよ、どーせ暇だし」

「私は暇じゃない! 勝手に貴族の家に入るような無法者でも、怯えて逃げちゃうようなことを考えなきゃならないのに」


 目に涙を浮かべ、あまりに真剣な表情で語ったアンデッド女子の様子に、茶化してはいけないなと、イチルは緩んでいた口元を引き締めた。


「それは一旦置いておくとしてもだ。こんなところで大人相手に悪さするのは感心しないな。こんな無茶をしていたら、逆上した泥棒にいつ危険な目に合わされるともしれん。……親はどこに?」


 質問を無視したアンデッド女子は、効果音を鳴らしていた録音石を回収し、周囲の温度を下げていた魔道具を小脇に抱え、帰り支度を始めた。しかし暇を持て余した無気力系男子であるイチルが、これだけの面白な被写体を逃すはずはなかった。


 もう一本持っていた酒瓶を投げ捨て、答える気がないならと、少し距離を開け女子の後方をついて回った。

 何食わぬ顔でついてくるイチルに不信感を露わにしたゾンビ女子は、パタパタと走って逃げた。確かにこれでは不審者かと我に返ったイチルは、建物の上に飛び上がり、姿を隠して遠目に観察を開始した。


「してることは完全にストーカーだな。転生前なら間違いなく逮捕案件だ」


 しかも狼型の獣人が追いかけてくるとなれば、悪意はなくとも一発お縄だと冷静に笑い、気付かれぬように距離を保ったままアンデッド女子を尾行した。

 富裕街を出て、ゼピアの街を抜け、さらに寂れた郊外の一角へと移動した女子は、舗装もされていない砂地の地面を蹴りながらさらに進んでいった。

 それにしてもアンデッドという種族がここまでの自我を保ち行動するものなのかと怪しんだイチルは、どうやら見えてきた女子の目的地を前に足を止めた。


 立っていたのは寂れた看板だった。

 一見何もない荒野に突如現れた看板は違和感以外の何物でもなかったが、女子は一瞥もせず慣れた様子で敷地に入っていった。

 イチルは女子から一旦目を離し、看板に書かれた文字を読み取った。


「ラビーランド、アトラクション……ダンジョン?」


 ところどころすすけてひび割れた古めかしい看板に触れれば、劣化していた板が剥がれて落ちた。改めて周辺を見てみると、何年も管理されていないほどくたびれた案内板や施設らしきものがあちこちに点在していた。

 なるほど、ここは郊外型の娯楽施設かと納得したイチルは、その間にも随分離れてしまった女子を慌てて追いかけた。


「なんだってこんな辺鄙へんぴなところに。まさか敷地の地下にアンデッドダンジョンが……? それにしてはモンスターの姿が見えないが」


 女子は様子を窺いながら、敷地内にある小さな掘っ立て小屋の扉を開けて中に入った。イチルは離れた小高い丘の上から小屋を見下ろし、ふぅと息を吐いた。


「さてどうしたものか。もしここがダンジョンなら、ギルドに報告し排除しなければならない。しかも街にこれだけ近いとなればなおさらだ」


 一人頷いたイチルは、すっくと立ち上がった。

 しかしそれを静止させるように、また別の何者かが敷地内に入ってきた。


 妙にガラの悪い連中だった。敵意を剥き出しに侵入した男たちは、罵声を撒き散らしながら、自分たちの存在を大袈裟にアピールしているようだった。


「何をしてるんだアイツらは。意味がわからん」


 手にした武器で敷地内の備品を壊して回る男たちは、あおり立てて派手に暴れた。指揮している小男は、意図的に大きな音を立てながら、誰かにアピールしているようだった。


 声を聞きつけ、小屋の扉が開いた。慌てて駆け出したアンデッド女子は、必死の形相で暴れる者たちにしがみつき、「やめてやめて」と止めて回った。しかし気のない男たちは、女子を無視し、破壊の限りを尽くした。


「襲う側のアンデッドがヒューマンに襲撃され、やめてと懇願している。しかも女子のあの顔ときたら。……可愛らしい顔が台無しじゃないか」


 女子に加勢する者もおらず、抵抗も虚しく敷地の一角は完全に破壊されてしまった。

「一週間後が楽しみだな」と悪役じみた台詞を残した小男たちは、膝を落として落ち込む女子を案ずるでもなく、ゼピアの街へと戻っていった。


 這いつくばる女子を眺め頭を掻いたイチルは、丘の上から一気に飛び降り、女子の真後ろに着地した。振り返る気力すらない女子は、呆然と足元の砂粒を見つめていた。


「随分な状況だな。どうだい、話してみる気にはなったか?」


 言葉なく振り返った女子は、無気力のまま歩き出した。

 イチルは返事もしない女子の態度に天を仰ぎ、しつこく質問を続けた。


「さっきの奴らは誰だい。ここはダンジョンなの?」

「…………」

「アトラクションダンジョンとあったが? なぜ親は助けにこない?」

「…………」

「君はどこのダンジョンから? それともキミはモンスターじゃないのかい?」


 キッとイチルを睨みつけ、女子が肩をいからせた。

 しかし後ろ姿はどこか珍妙で、どうしても可愛らしさが勝ってしまう。

 イチルはますますストーカーちっくに、小屋までの道すがら、質問を止められなかった。


「奴らはなぜあんなことを? にしても、ここは随分モンスターが少ないね。何か理由でも?」


 小屋の扉を開けた女子は、今にも泣き出さんばかりの感情を抑えながら、毅然きぜんとした態度でイチルを睨んだ。しかしいよいよ耐えきれずポロッと一筋の涙を流してから、吐き捨てるように言った。


「私はモンスターじゃありません。歴としたヒューマンです。です!」


 バシンと扉を閉められ、イチルが「アンデッドヒューマン?」と首を捻った。

 なにそれと質問したが、再び女子が小屋を出てくることはなかった――

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