異世界最速のダンジョン案内人 職場を解体され失職したので、自分で最強最悪の無理ゲー迷宮を拵えることにしました ~SSSレア幼女ゾンビと天才オレっ娘エルフ女児と愉快な仲間たちを添えて~

THE TAKE

【序章】永遠の終わり

【001話】終わりと始まり


 とりとめて特徴のない女の冒険者は、別れ際にたった一人で、遠目にゆったりとイチルの目を見つめながら手を振り、透きとおるような曇りのない声で言った。


「もしまた次の機会があったならば、必ずやまた、貴方あなた案内役アライバルを依頼をします」と――


 イチルは女の言葉を適当に聞き流し、話半分で手を振り返した。

 数時間、……否、数分後にこの世から消え去るであろう者に、感情移入することなど無駄だと知っていたからだ。


 ダンジョンの最終到達点へと続く螺旋らせん状の階段を下りていく女の姿を視線の端で見届け、イチルはすぐに次の客が待つダンジョンの最深部領域、通称の入口へと戻っていった。



    ◆◆◆◆◆



 振り返れば、イチルが異世界に転生した経緯は数奇なものだった。


 400年も昔のこと、国内有数のレーシングチームに所属し、数多のタイトルをほしいままにした最速の男は、年間チャンピオンを決める最終戦、ポールポジションから後続を寄せ付けず突き放し、残り数周を残すまでとなっていた。


 もはや優勝は目前。独走状態のイチルは、一瞬たりとも気を抜かず、暴れるハンドルを強く握りしめていた。


「ピットは不要、どうやらタイヤは問題ない。残り、さらにプッシュする」

『まてイチル、残りたった二周だ。後続との差は充分にある。もう無理する必要はない!』

「それで俺の気が済むと? 俺は市部いちべイチル、この世界最速の男だぜ。圧倒的な差をつけてぶっちぎる。こんなところでヘタってられるかよ」


 そうイチルがアクセルを踏み込んだ時だった。

 突如バチンと音を立て、左前方のタイヤが爆ぜて飛び散った。

 制御を失ったイチルの車体はコースを外れ、横回転したままロード脇のガードを突き破り横転した。


 ヘルメットが割れる音が耳に響き、激しく打ち付けられる身体。朦朧もうろうとする意識の中で、このままでは終われないと必死で伸ばしたイチルの指先を握ったのは、名前も顔も知らない《犬に似た男》だった――



 こうしてイチルは、いちレーサーから名も知らぬ異世界の、しかも獣人の赤ん坊として転生した。

 細かな事前説明は一切なく、文字通り一からのスタートだった。身体は全身毛むくじゃらで、顔は狼のようなのに、人の言葉を操ることができた。


 ひとたび一歩外に出れば、見たこともない様々な種族が入り混じったその世界に、イチルは困惑した。ただただ最速を目指して車を走らせていた日常は露と消え、新たに獣人として生きる日常が始まった。


 また輪をかけて残念なことに、異世界でイチルに課せられた十字架は、そんじょそこらの甘いものではなかった。


 約8600年前から36代続くなる仕事に従事していたイチルの一族は、現在進行形で今もなお続く、通称『エターナルダンジョン』の最深部領域、いわゆる《ラストデザート》を受け持つ由緒正しき家系の長男として生を受けたことによって、拒否権すら与えられず、ダンジョンで生きていくすべを叩き込まれることとなった。


 攻撃、防御、魔法など特化した技術だけでなく、逃亡術スルースキル狙撃術スナイプスキル無効化術インバリデーションスキル捕獲術テイムスキルなど、案内役アライバルに必要となる、ありとあらゆる能力を叩き込まれ育てられた。


 世に聞くお気楽異世界ライフの異の字もなく、イチルはただ強制の世界で新たな人生を過ごした。しかし、一子相伝上等じょうとうの環境下に置かれ、悲壮感に塗れるまま生きていったかと思いきや、異世界の、しかも案内役アライバルという特異な職業は、心底イチルの性格に合っていた。


「悲観的に思ったのは最初の数年だけだったな。よくよく考えてみれば、ここでの生き方は俺の性格にピッタリだった。確かにあっちでトップになれなかったのは心残りだが、異世界こっち異世界こっちで誰に気兼ねすることなく、為すべきことは単純明快。俺のスピードで最強最悪なモンスターどもを根こそぎぶっちぎり、目的を完遂するだけ。そして今となっては、何の疑問もなくラストデザートココの主は俺だ。まぁ……、その良し悪しはわからないけどな」


 200年程前に異世界の父親が死に、それから変えたことと言えば、名前を転生前の『イチル』に戻したことくらいだった。


 変えた理由は漠然としていたが、転生前を思い出す機会が減り、少しでも自分の過去を覚えておきたいと願ったからかもしれない――



 仕事用にあつらえたダッシュスロープを巧みに操り、ダンジョンに蔓延はびこる凶悪なモンスターを朝飯前で躱し、ラストデザートの入口へと戻ったイチルは、予約時刻の五分前、集合場所の目印として置かれている円形の大きな石に腰掛けた。


 ただ薄暗く湿った香りのするダンジョンの奥底からは、常に阿鼻叫喚の叫び声や、モンスターの猛り狂う声が聞こえていた。しかしイチルはいつも、喧騒を子守唄のようにたしなみながら、静かに時がくるのを待つのが好きだった。


 言葉にできない緊張感と、落ち着き払いすぎた自身の感情とが混じり合う瞬間。

 前世でドライバーズシートに腰掛けた時の極限状態に近い感情がよみがえり、血湧き肉躍る感覚を取り戻すことが病みつきになり、イチルは400年もの間、迷いなくこの仕事を続けてきたのかもしれない。


「……人の足音が二つ。一つは聞き慣れたプロのもの。もう一つは、足を引きずり、既に満身創痍の男。約束は16人のパーティーだったはずだが、はてさて」


 薄暗い通路の奥に、暗闇をボウッと照らす松明たいまつの明かりがゆっくりと浮かび上がった。


 明かりを手に、常人には聞き分けることすらできない微かな足音で近付いた小洒落た雰囲気の男は、小脇に抱えていた小さな荷物を、まるでトスするかのようにイチルへと投げた。

 無言で受け取ったイチルは、微かに届く松明の明かりで中身を確認し、後続の何者かに気付かれぬよう小さく頷いた。


 松明の男に続いて、今度は壁に手を付き、這いずるようにした男の冒険者が姿を現した。

 全身は傷つきボロボロで、恐らくは最高クラスに設えた装備も既に半壊状態だった。見るからに半死人で、これ以上の戦闘などは望めず、指一本で押すだけで倒れてしまうほど、疲弊している様子だった。


「どうも、最深部ラストデザートを受け持つイチルだ。エターナルダンジョン最後の案内人アライバルとして、以降は私が担当させていただく」


 イチルの自己紹介に対し、声すら届いていない様子の冒険者は、精神的に追い詰められ、今にも呪い殺されそうな顔で、すがるようにイチルに抱きついた。

 イチルは心配するをしながら、一番安価な回復薬を冒険者にふりかけた。しかし、決してそれ以上のことはしない。

 なぜならば、それ以上の行為がすぐ無駄になることを知っているから――


「ご予約いただいていた内容によると、パーティーメンバーは全部で16名とあるが。まだお集まりでは?」


「し、し、死んだ。俺以外、みんな死んだ。アシュリーは蟻に食われ、デスクスはゴーレムに潰され、ミンテも、ギグズもみんな死んだ。俺はコルヴァント公爵様の命により、絶対にここを攻略しなきゃならない。頼む、俺一人で構わない、アンタの力でここをクリアさせてくれ。でないと死んでいった仲間にも、公爵様にも顔向けできん!」


 悲壮感に塗れた顔ですがり付く冒険者に、イチルはうんうんとうなずいてから、さとすように言った。


「残念だが、俺にできるのはアンタを最終到達点へ連れて行くことだけだ。そこから先のことは何もしてやれない。戦うことも、助けることも、何も」


「だったら教えてくれ。俺がここを、ここをクリアできる確率はどれくらいある。あるんだろ、どうにかなる裏技が?!」


 口元だけを柔らかに崩し、イチルは慈悲深く伝えた。


。階段を降りてすぐに、アンタは何事もなく殺される。……一瞬で」


 絶望したように膝を落とす男の肩に手を置き、イチルは男が一番望んでいる言葉を耳元で呟いた。それが如何に罪深く、辛すぎる言葉かを理解していながら――


「今ならまだ間に合う、諦めて戻れ。むざむざ死んでやる必要はない」


「あ、アンタ、よくもそんなことを。俺たち冒険者を愚弄するつもりか?!」


「ならば最終到達点までご案内いたします。そうですね、五分後に出発しましょう。それまでに準備を整えておいてください」


「ちょ、ちょっと待てよ! 俺が、俺たちがここまで辿り着くのにどれだけの労力を要したか知ってるのか。幾年もの時をかけ、尊い仲間たちの命を犠牲にし、どうにか歯を食いしばってきた俺たちの苦労を。それを今さら戻るなんて……、戻るなんて……、お前に何がわかる……、戻るなんて……」


「……進みますか? それとも、戻りますか?」


「戻りたくても、もう不可能なんだよ。俺一人で戻るなんて、絶対無理、絶対に、シ、ヌ……」


 イチルは、松明の男に目線で合図を送った。しばし一考し男が仕方なく頷いたところで、イチルは冒険者にトドメの言葉をかけた。


「ならばそうですね。アンタの主人であるコルヴァント公爵様の持つ財産の半分。それを即金にてお納めいただけますか。ただそれだけで、アンタを無傷で上まで送り届けよう。どうだい?」


 呆気にとられた顔をした冒険者の男は、全ての生気が抜けたようにボロボロと涙を流しながらイチルの手を握り、「頼む、なんでもする、俺を助けてくれ」と縋り付いた。


 松明の男の耳元で「五・五な」と呟いたイチルは、もはや全ての意志を失った男の指先を取り、あらかじめ用意されていた紙に血判を押させた。


「では地上へ戻り次第、即金にてお支払い願います。五分後に出発しましょう。ということでベノム。数日間、ここを頼めるか?」


 松明を持つ男ベノムは、成立させた契約に満足し、軽く敬礼のポーズを取った。しかしどこか納得いかない顔でイチルに質問した。


「でもなんでイチルさんが直々に。戻るだけなら上階の奴らでも余裕でしょ」

「随分戻っていなかったからな。野暮用があるんだよ」

「どうせまたマティスさんの要請を無視し続けてたんでしょ」

「そんなところだ。なるべくすぐに戻るから、後は頼んだ」


 消沈し全ての感情を失い死んだような顔をした男の肩を叩いてから、イチルは男を背負ってから腰元のベルトで固定し、ベノムに小さく手を振った。


「上には俺が伝えておく、それまでラストデザートここを頼んだ」

「アイアイサー。あ、最後に一つ確認。イチルさんの部屋、使わせてもらっていいっすか?」

「いいよ。自由に使ってくれ」

「ラッキーラッキー。ジェノムロックの秘密、今度こそ解明してやりますからね」

「無理無理、お前じゃ永遠に無理だよ」


 ちぇと舌打ちしたベノムを残し、イチルは冒険者を背負い、ラストデザートを出発した。しかし直後、通路から開けた空間に出たところで、ガゴンと地面が揺れ、近くで鼓膜を破くほどのモンスターの咆哮ほうこうとどろいた。


 イチルの背中で気絶したように伏せていた冒険者の男が顔を上げた。今度はカタカタと震え始め、イチルの肩によだれを押し付け、泣きながら叫んだ。


「あ、あいつ、まだ追ってきていやがった……。俺たちの仲間を何人も食いやがって、あの化け物め、どうしても俺を殺して食おうってことかよ!」


 グギョオォォと叫んだのは、ラストデザート上層部に生息するゴブリンドラゴンの最上位種だった。

 20メートルをゆうに超える巨体と、毒々しい青紫色のコブだらけな翼を振り乱し、ベノムに連れられて一人逃亡していった冒険者の匂いを辿り、この場所まで追ってきたようだった。


「もうダメだ、殺される。あんな化け物を倒せる奴なんかいるはずねぇよ」


 イチルの肩にしがみついた冒険者の男は、全てを諦め顔を隠した。しかしその隣でニィと不敵に微笑んだイチルは、冒険者の耳元で囁いた。


「アンタは俺たちの仕事を知っているかい。純粋で無知な冒険者は、俺たちアライバルを都合のいい運び屋程度に思ってるかもしれないが、それは違う。俺たちの仕事は、キミら冒険者を目的の地まで何事もなく送り届けること。それがただひとつ、唯一の使命だ。それにもう一つ、アンタたちは勘違いしてる。モンスターってのは、全て


 グギャウと翼を振るったゴブリンドラゴンの攻撃をひょいと躱し、イチルは怯えて相手を直視することもできない冒険者の頭を後ろ手に掴み、しっかり見ておけと予告した。


「どれだけ強くても、どれだけ巨大でも、絶対的な速さの前で全ては無意味だ。如何に威力が凄くても、当たらなければ意味はない。よーく見てな」


 再び振り下ろされた翼を躱し、吹き上がった地面の破片を蹴ったイチルは、おちょくるようにドラゴンの目の前で中指を立ててから、そのままドラゴンの角を巧みに利用し、EXチェーン(※高速で巻き付く糸のような魔道具)を巻きつけ、反発力で反対側へと超高速で飛び出した。

 ドラゴンもあとを追おうと翼を羽ばたかせたが、一瞬にして突き放したイチルは、数秒とかからずドラゴンを振り切った。


「圧倒的なスピードの前に、全ての攻撃は無力と化す。俺は誰よりも速く、全ての者を置き去りにする」


 冒険者の追跡を無効化するアイテムを周囲にばら撒き、驚くべき速さで壁から壁へと飛び移ったイチルは、スピードに耐えきれず気を失った冒険者の横顔を眺めながら細路地の入口に着地した。


 魔道具を腰につけた装備入れに戻し一息ついたイチルは、何事もなく上階へと続く通路を歩き出した。その時だった。


 これまでに感じたことのない揺れが、突如ダンジョン全体を襲った――



「地震? 珍しいな」


 パラパラと天井から砂粒が落ち、遠くモンスターの遠吠えが聞こえてくる。大きな揺れで意識を取り戻した冒険者が「何事だ」と叫んだ直後、今度は自分たちが立っている足場が眩く発光し、異様な熱を帯び始めた。


「見たことのない反応だな。いいねぇ、新しいイベントか?」


 光は秒ごとに増し、ついには目を開けていられないほどに膨らんでいった。


 もしかすると、これは最期の瞬間なのかもと緊張感なく呟いたイチルは、どこか浮遊感のある身体をあるがままに預け、ゆらりと脱力した。


 困った時は無理せず力を抜くこと。

 異世界の父親と、転生前の父親がイチルに伝えた言葉だった。そんなことを思い出しながら、イチルは静かに目を瞑った――




「――――……さん! ……チルさん! イチルさん、起きてください!」



 誰かが揺り起こす声にイチルの頭が反応した。

 一瞬の油断は死を意味する。

 それを知っていながら、イチルはゆっくりと目を開けた。


 しかしそこで見た光景は、イチルの想像の斜め上をいくものだった。



「……ここは、……地上?」



 異世界に転生し400年と1日。


 イチルは何の前触れもなく、異世界の全てだった仕事を失った――

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