レジェンド・オブ・スノウ 現代編

オダ 暁

第1話

『北島和子は私が秋田に住んでいた時の年上の友人、突然死しました。

彼女の冥福を悼んで名前をお借りしました。』


 北島和子は二十二歳、来春卒業予定の大学生だ。

 東京生まれの東京育ちで、いかにも都会的な容姿と垢抜けたセンスを合わせ持ち、そんな彼女が同じ大学の仲西健司と四年間の交際の末婚約したというニュースは、少なからず友人らを驚かせた。というのも、卒業後彼は郷里の秋田で就職することが決まっていたからである。

 長年住み慣れた東京を離れ、東北の全く見知らぬ土地に嫁ぐということに、和子の両親はそろって反対をした。が、本人はいたって呑気でむしろ新しい生活に期待さえしていた。健司から幾度なく聞かされた山々の鮮やかな新緑や紅葉、そして荒々しい日本海といった東北の自然を、実際に自分の目で見たかった。それより何よりも健司自身が好きだった。健司は現代風な外見を持ちながら、純朴でものにこだわらぬ大らかさが内にあり、彼女はその両方に惹かれていた。他の男子学生と彼はどこか違って見えた。

 なかなか「うん」と言わぬ両親を二人でなんとか説きふせ、正月三が日が過ぎてから、和子は秋田に出向くことになった。先に健司は帰省しており彼女の一人旅になった。とりあえず彼の家族に挨拶をして互いを知り、その上で結婚を認めてもらおうというのが今回の旅行の目的である。

 ばたばたと年は明けて、いよいよ出発日が来た。和子は出発時刻の正午よりかなり早く東京駅に到着し、東北新幹線を利用するのは今日がはじめてだった。まだ開通してそう間もないせいか、ホームで乗客を待つ新幹線の外観は近代的でとても綺麗だ。中に乗り込むと墨色の座席シートが妙に新鮮に目に映る。切符の座席番号を確かめて、和子は窓際の指定席に座った。

 この時期、東京へのUターン客はごった返していたが、その逆はがらがらだ。すぐに発車ベルが鳴り、乗客もまばらなまま新幹線は出発した。はちきれんばかりの希望とわずかな不安を抱いた、和子を乗せて。

 東京から秋田までは四時間程かかる。福島、宮城、岩手の三県を通過するルートの終点地である。

 車窓からの風景は、ビルやマンションが立ち並ぶ東京近郊を抜けるとすぐに鄙びた田舎といった風に変化し、和子の心は浮き立ってきた。街並をあっという間に通過したかと思えば延々と田圃や畑がそれに続き、間隔をおいて古い家屋が散らばっている。都会のぎゅうぎゅう詰めの住宅街とはまるで違う。昔グラビアで見た閑かな異国の風景を見ているようで、彼女は退屈しなかった。

 新幹線が仙台を越えて北上していくと、窓の外はしだいに北国らしくなってきた。田圃の中にちらちら顔を覗かせている真っ白な物体は解け残った雪のかたまりなのだろう。途中車内販売のワゴンで買った鮭ハラコ弁当を食べると、いよいよ旅気分は高まった。

 盛岡を過ぎてからは、しばらくの間、山越えが続いた。幾つものトンネルを過ぎ、山間をひたすら通り抜けていった。悠然として畏怖の念すら持つ大自然に、和子は感嘆していた。窓の両側にごつごつした山肌が迫り、まだ人間に浸食されていない雄大な景色を窓硝子に顔をくっつけて見入った。強い意志が潜んでいそうな、ざっくりと切り込んだ山の斜面はぶ厚い雪の層で覆われている。座席の後方から


「ここさ熊が出るんだべさ」

「んだ、んだ」


 と、東北訛りの話し声がしきりに聞こえてくる。和子はぞくぞくした。今までTVや雑誌でしか知らなかった世界がすぐ間近にあるのだ。

 峠を越え、新幹線はいつしか秋田県に入っていた。枝垂れ桜で有名な角館に停車すると、また新たに感激した。ここは昔から一度は訪れたかった場所だ。春になったら絶対花見に来ようと思った。

 それにしてもこの雪の凄さといったら・・地上はこれこそまさに銀世界だ。路上に止められた車は雪に埋もれ、あれでは乗ることも動かすこともできやしない。屋根の雪下ろしもさぞ難儀だろう。健司は結婚したら、一階が駐車場になっているマンションに住みたいと言っている。一軒家は庭や玄関先の雪かきが面倒なのだ。実際に目のあたりにして彼の気持ちがよく理解できた。

 ようやく新幹線は秋田駅に到着した。大都会から北国へと、まったく異なった情景が車窓に巡り映り、和子は興奮していた。どきどきしながらホームに降り立つと、とたんに身震いしそうな空気に包まれる。いつもより厚着をしてきたが、それでも寒かった。冷たい何かが頬に触れ、彼女は立ち止まって空を見た。鈍色の曇り空を雪の粉がはかなげに舞っている。太陽はどこにも見えなかった。

 



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