君の幸せは、俺の幸せだから。

発条璃々

前編

 夜の帳が下りた公園を見て、街灯が動き始める。

 その前に立ちはだかる蛾の群れに導かれてやってきた、ひとりの少女。

 その姿は儚く朧気で、この闇にのまれてしまいそうだった。

 攻防戦を繰り広げる街頭と蛾の群れを、彼女はじっと眺めていた。

 彼女はその目に何を宿すのか。

 彼女も蛾のように、俺には見えない何かが見えているのだろうか。

 俺はそれを知りたくて、彼女を眺めていた。


「集まっているのは、蛾でしょうか。それとも、蝶なのでしょうか」


 なんの前触れもなく開かれた口に、俺は狼狽える。

 独り言のようにも聞こえるが、俺への問いかけにも聞こえるその声に、暫くしてから反応した。

 参考文献のような俺の答えは軽く受け流されるや否や、次なる質問へと移る彼女。

 それを受け取った途端、彼女が膝から崩れ落ちた。

 すぐさまそこに駆け寄り、何度も声を掛けたが反応はない。

 危機感を覚えた俺は、彼女を背負い走り出す。

 途中、彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。


「なら、おじさんにとって私は、どっちだと思いますか?」


 ちゃんと伝えたい。

 君は蝶だと。

 だから、頑張れ。


 自分の勘を信じてひたすら走り続ける。

 ようやく見つけた頼りの綱に、俺は駆け込んだ。

 藁にもすがる思いで、助けを求める。

 すると、どこからか聞き覚えのない名前が俺の耳に飛び込んできた。

 それを逃すまいと辺りを見回すと、こちらに駆け寄ってくる看護師がいたので、事情を説明し、彼女を引き渡す。

 どうやら彼女は、ここの病室から抜け出したらしい。

 彼女は何を見たかったのだろう。

 見通しの悪いこの夜の世界で。

 興味が沸いた、彼女の答えに。

 単に知りたかったのかもしれない、彼女の事を。


 翌日、俺は知らず知らずのうちに彼女の病室の前に立っていた。

 まぁ、なんというか……気まぐれというやつだ。

 病室の入り口にあるネームプレートには、「琴野 揚羽」と書かれていた。

 なぜあの時彼女は、自分と蛾を比べたのだろう。

 名前からして、蛾では無い事は確かなのに。

 何が彼女を悩ませているのだろう。

 昨日会ったばかりの俺には、話してくれないだろうな。

 少しばかりの諦めを胸に、我が物顔で目の前にある扉を開けた。

 着替えているとは露知らず、俺が入ってきたことに気づいた彼女は、込み上げる感情のままに叫び出す。

 その光景を目にした俺も一緒になって叫んでしまい、落ち着いた頃に謝罪をした。

 ここに入った時に見てしまった。

 白磁のような背中に痛々しく縫い付けられた痣を。

 彼女は背中にあるそれを隠しながら、あの時のお礼を述べた。

 先程の異物が目に焼き付いて、今はそれどころではない。

 俺の空返事を悟った彼女がこう問いかける。


「おじさんから見て、あの痣は何に見えましたか?」


 おじさんと言われたことは気に食わないが、俺は素直に「蝶にみえる」と彼女に告げた。

 それを否定するかのように、話しは続く。


「私は太陽に、陽の光に憧れているんです。昼間は長く飛べない蛾が、人工的に作られた光に集まるように。蝶に憧れた蛾が落とした羽がこの痣だと、私は思っています。」


 これが彼女とした最後の会話となった。

 次にここへ訪れた時には、ベットはもぬけの殻だった。

 今朝方、彼女はあちらに旅立ったそうだ。

 その事実を受け入れられず、その場にしゃがみ込む。

 ふと、あの時渡されたメモを思い出した。

 上着のポケットを漁り、今の今まで忘れていた存在を手に取る。

 俺を心配する看護師など気にも留めず、俺は縋るような思いで、そこに書かれていた番号に電話をかけた。

 そこから聞こえてきたのは、紛れもなく彼女の声だった。

 背筋が凍り、息を飲む。

 恐る恐るその人物から話を聞き出した俺は、

 後日、彼女の実家へ出向くことになった。

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