ある日、一匹の猫が目を覚ますと、彼は自分が人間であることに気づいた。


「にゃん」


 なんてことだ。

 彼は昨日までの、食っては寝て食っては寝て、飼い主に媚を売って暮らす自分が急に恥ずかしくなった。


「にゃん」


 なんとしても、今日からは人としての尊厳を取り戻さねばならぬ。

 人であるならば、最低限身だしなみには気を配る必要があろう。

 彼はいつもより入念に毛づくろいをし、立派な毛玉をげえと吐き出しておいた。


「にゃん」


 彼は人間であるので、今日からはあの良い匂いのするキャットフードなるものを食すわけにはゆかぬ。

 飼い主どもが食事をするテーブルに飛び乗り、自分にも同じものを用意せよと主張したが、彼はあえなく食卓よりつまみ出され、頭ごなしに叱られた。


「にゃん」


 なんたることだ。

 お前たちは同じ人間である自分の首根っこを掴んで放り投げるのか。

 これはひどい侮辱だ。

 彼は怒り、人間らしく報復を行うことにした。

 小用を足したあと、わざと猫砂を派手に蹴散らし、拡散させてやったのだ。


「にゃん」


 困り顔の飼い主どもを見て彼は溜飲を下げ、彼らに赦しを与えた。

 何やらテーブルの上で薄っぺらい灰色の紙を広げて眺めていたので、そのような無意味な行いの代わりに、彼の毛並みを整える栄誉をくれてやることにしたのだ。


 まったく、本来ならば人間である彼が他人に毛皮を触らせることなどあってはならないのだが、人間というのは常に他者との友好を求めるものと聞いていたので、彼は灰色の紙の上に横たわり、飼い主を見つめあげてやった。


「にゃん」


 飼い主は困り顔で彼の背を撫でた。

 その手付きはやはり慣れたもので、彼はみるみると機嫌をよくし、やがてゴロゴロと喉を鳴らし、心地よい睡魔に身を委ねることにした。


「…………」


 次に目を覚ましたとき、彼が何ものであるのか、彼にもまだ分からない




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