冬眠

「おはよう。よく眠れたかい?」


 カーテンを開ける音とともに、日光が瞼に降り注ぐ。窓の奥を見ると、外はもう春めいていた。


「今回はどのくらい寝ていたのかしら。」


「うーんと。今日で、ちょうど120日くらいかな。カレンダーにもある通り、今はもう3月。奈代も来月で10才になるよ。」


「良かった。今回は、あの子の誕生日に間に合ったのね。」


 去年は、誕生日に間に合わなかったもの、と言いつつ、私はあたりを見渡した。久しぶりの身体感覚。懐かしい自室の匂い。どれもが眠る前と変わらないが、1つだけその部屋に真新しいものがあった。


「このガラス細工…。また、お姉ちゃんが買った物ね。こういうキラキラして光るものが本当に好きなんだから。」


「びびっときて、一目惚れで買ってしまったらしいよ。また勝手に買ってしまったから、君に怒られる!って言ってた。」


「そんなんで怒らないって知ってるから買ってくるくせに。そんな気持ちが少しでもあるなら、この部屋もこんなに物が増えてないわよ。」


 真新しいものはそれだけであるものの、この部屋の中には私の趣味ではないものも少なくなかった。タンスの上に置かれていたり、引き出しに身を潜めたりしているものを数えると10はくだらないだろう。


「それで、お姉ちゃんはどうだった?元気だったみたい?」


「うん。いつも通り。元気そうだった。ほら、引っ越してから初めて来たものだからさ。びっくりしたみたいで。そうそう、引っ越した後も、私が買ったものを飾ってくれてありがとう~って、君に伝言を頼まれたよ。確かに伝えたからね。」


「分かったわ。この4か月のことを後で詳しく聞かせてね。とりあえず、大きなことは無かったみたいって分かって安心したのかしら。私、お腹すいちゃった。」


 部屋を出ると、もうこたつには目玉焼きと味噌汁、白米と簡単なご飯が二人分並んでいて、シンクにはそれぞれの食器が1セットが置かれている状態だった。娘の奈代は、カレンダーから察するに今日は土曜日のようだから、朝ごはんをそこそこに仲の良い友達の家にでも遊びに行ったのだろう。私たちはテーブルについて、近況報告と明日以降の予定を話合いながら、朝食を珈琲で流し込むのだった。




 診断が下されたとき、私がまだ混乱状態だったことは否定できない。だって、そうではないか。聞いたこともないような稀な病気に自分がかかり、そして治療法も確立されていないと聞いたのであれば、現在の病状の理解も、今後のことも考えられなくなるに決まっている。


「も、もう一度聞かせてもらえる?」


「うん。 舞、君は冬眠性睡眠病の中途覚醒型という病気なんだ。最近見つかった病気で、無覚醒型と合わせて1000万人に1人の割合で発症する。原因、治療法はまだ確立されていない。突如、他の動物と同様に冬眠を開始するようになる病気で、春になり気温が暖かくなってくると、覚醒する。そういう病気に、君はかかってしまったんだ。」


「え、嘘だよね。あ、分かったわ。いつも、奈代に聞かせてるように作り話なんでしょ? そんな名前の病気、聞いたことない!聞いたことないもの…!」


「落ち着いて、舞。嘘じゃない。君が眠っている間に病院をいくつも回って、全て同じ診断を下された。脈拍と体温の低下、呼吸数の減少をはじめ、舞の身体に起こっていたいくつものことが、その病気に当てはまったんだ。」


「ちょっと…。そ、そんな、そんなこと…。そんなことがあり得るの…?私は普通に生きてきただけなのに。そんな変な病気にかかって、治療法はありませんって言われて…。つまり、治療法が発見されるまで私は、他の人の何分の1かの時間を奪われ続けるってこと?仕事は?趣味は?なにも出来ないじゃない…。」


「仕事に関しては、特例措置で春から秋にかけての労働体制が認められて、病気が原因の不平等な配置換えなどは、国が規制するらしい。だから、そこは大丈夫。何かあっても、僕がどうにかする。支えていく。舞、大丈夫。大丈夫だから。冬は思ったより長いものじゃないよ。」


 夫の宗良はそう言って、背中をさすってくれた。彼のことだから私を不安にさせまいと、安心させようとしてくれているのだろう。その時、話すスピードはいつもよりゆっくりで、普段おっとりとした印象を与えるまなざしは真剣さを含みながらこちらを見つめていた。




 春夏秋冬の冬を失う。そう聞くと、ということは、大体3か月ほど失うのか。と考える人も多いと思う。しかし、一般的にはそうではない。動物の中には、一年の大半である200日も眠るものもいる。もっと短い動物もいる。この冬眠性睡眠病の厄介なところは、その期間に個人差、個人の中でも前後差があるということ。私は大体4か月程度で、年によってばらつきはあるものの人生の3分の1を失う計算になる。


 また、この病気はいつ発症するのか分からない。いつも通りの睡眠のつもりが実際は冬眠で、何か月か経った後に目を覚ますということもある。今では恐怖も薄らいできたが、発症直後は、夜が来るのが怖くて仕方が無かった。毎晩、毎朝涙がこぼれた。これで目を閉じたら、次起きる時は春かもしれない。起きたら、もう二人はいなくなっているかもしれない。病気自体が、まだまだ情報が不足しているのだ、そのまま私は眠り続けて、目を覚まさなくなってしまうかもしれない。


 家族とは、もう2度と冬の景色を見ることはない。夏に赤道を越えることも考えたが、医師から「命の保障は出来ません」と言われ、やめた。


 寒いのは嫌いだ。なるべく暖かい恰好でいたい。冬の凍てつくような寒さは、冷え性である私にとって不俱戴天の仇のようなものだ。毎年早く終わってくれ、とずっと思っていた。


 冬は長さに呻かれ、春になると明るさの中で振り返りもされず、夏にその存在を忘れられ、秋にまた来ても良いかなと思われる。そういう存在が私の中の冬だ。そう思っていた。今は少し冬を恋しく思っている自分がいる。町の人々が家族が待つ家へと急ぎ、カップルの多くは手を繋ぐ。一番、自然に人が近寄って温度を感じられる季節は、冬以外に無いのだと思う。昔、夏へと続く扉を探す猫が登場し、冷凍睡眠(コールドスリープ)が出てくる小説を読んだ。その小説とは対照的に、冬眠してしまうこと以外普通の人間である私は、いつも冬への扉を探していた。




 こたつで宗良と身体を温めていると、大きなドアの開閉音とともに、元気な声が聞こえてきた。


「ただいま~!え、あれ、ママが起きてる!おはよう!」


「おはよう、奈代。冬の間は元気だった?」


「うん。友達とスケート行ったりして、楽しかった!今度、お互いのママもパパも誘って、家族で来ようねって話してたの!」


「ふふふ。いいわね、スケートなんて何年ぶりかしらね。」


 行けるのかどうか分からないが、そう返事をする。屋内の施設で、長時間でなければ大丈夫、と医師から言われた。しかし冬に恋焦がれる自分がいつつ、何かあったらと冬らしさにおびえる自分も心の内にいて、そんな自分が情けなかった。


「そういえば、奈代。ママにお土産があったんじゃないか。」


「そうだった!友達の香立と遊びに行ったときにね、ママにお土産買ってきたの…!ちょっと待ってて!」


 そう言って、娘の奈代がリビングを飛び出していく。夫の宗良が意味ありげに頷きながら、娘を視線で追う。


 綺麗に包装された箱を持ちながら、現れた、奈代は両手でそれを私の前に突き出すと、


「はい、ママ。おすそ分けだよ~」


 と言ってきた。それを受け取り、二人の家族の視線を独り占めにして開けると、それは小さなスノードームだった。


「今年はね、あんまし雪が降らなかったけれど、粉雪が何日か降ったんだよ! このスノードームとおんなじだね!」


「ありがとう。奈代。嬉しいわ。」


 スノードームの中には、小さな雪だるまの親子が立ち、キラキラの雪を積もらせていた。


「ママ、逆さまにして!そして、また戻すの!そうそう、そんな感じ!」


 言われたとおりに動かすと、スノードームの中は、光を反射しながら舞い踊る雪に包まれて、いっぱいになった。雪だるまも心なしか、満足そうに笑っているように見える。ママがキラキラしたものが好きだと思ったからこれにしたんだってさ、と宗良が話す。私の部屋にキラキラしたものが多いことを、娘の奈代は気づいていたらしい。興奮冷めやらぬといった状態で、こたつの隣に立っている。


「奈代、私からもおすそ分け。こたつにどうぞ。」


「ママからもおすそ分け?」


 こたつの出口を開けると、素直にそこに身体を入れながら、奈代が聞いてきた。


「こたつはね、温まることだけを考えたら、人はたくさん入れない方がいいの。その人に熱を持っていかれるかもしれないし、その分布団と床の隙間が空いちゃうわ。」


「うん。」


「だからある意味、熱を分けるってこと。でもね奈代、皆で一緒に入ると、不思議と心まで温かくなるでしょう?」


「うん、ぽかぽかする~。おすそ分けすごいね~!」


 外はもう春で、冬らしさはもうとっくに消えてしまっている。そして、私自身、冬を生きることはこの先しばらくはない。だけれど私を取り巻くこの空間は、まさに冬の時期の屋内でしか出せない、温かな空間そのものだった。

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