第13話 狩りの始まり
暗闇の中、リルリーシャを背負いながら祐治は歩き続けた。どこに向かっているかは全くわからないが、村から離れるだけなら何の問題もなかった。適当に森の中を進んでいけば木々が自分でもわからないどこかに身を隠してくれる。
「……おい、ここはどこじゃ。私はあやつの家で……」
ふいに背中からリルリーシャの声が聞こえた。弱々しいがいつもの、魔女としての言葉だった。
「倒れたから運んできた。ここはどこかは俺もわからない」
「倒れた? ……魔力を使いすぎたか。情けない……」
リルリーシャのため息を首筋に感じた。
「覚えてないのか?」
「うむ、恥ずかしいことにな。魔力を使いすぎるとどうもこうなってしまうのじゃよ」
もう一度祐治は首筋に彼女の吐息を感じた。
どうやら本当にリルリーシャは自分の行動を覚えていないようだった。祐治は自分の見て聞いたことをリルリーシャに告げるか一瞬迷ったが、黙っておくことに決めた。あれは彼女が秘めた本心だろう、少なくとも祐治はリルリーシャと過ごしている内にあんな弱々しい面を見せられたことはなかった。つまり、あれは祐治に見せるべきものではないのだ。そうであれば触れてやらないのが優しさというものだろう。
「……無理はするなよ」
代わりに出たこんな言葉に意味が無いことは祐治はわかっていた。こんな薄っぺらい一言で止まるようなら、最初から倒れるまで人のために尽くすことなんてできるはずがない。
「それは難しいのう。今までの私なら、こんな風に他人を助けに動くことなんて絶対にできなかったじゃろう。だが、今なら……今やらなくては……待て。止まるのじゃ。下ろしてくれ」
祐治の背から降りたリルリーシャは瞳を閉じると、しゃがみこんだ。俯いたまま、じっと辺りに耳を澄まし、笑った。
「ふふっ、運がいいのう。近くに魔獣がいるようじゃ。ついでに狩っていくとするかのう」
館を飛び出した夜に見かけた獣が祐治の頭によぎった。確かに魔獣と言うに足る風格の獣ではあった。
「何を言っているんだ! さっきまで気を失っていたんだぞ!」
魔獣と言うからには普通の獣より強いのだろう。それをこれから狩るだなんてまともな判断だとは祐治には思えなかった。
「だが、一度見失ったら次にいつ狩れるかわからんぞ」
「カールはお前を殺そうとしたんだぞ。それなのに、身を挺してあいつらを助ける必要があるのか?」
「あの男とサーラと、その母親は何も関係あるまい。私はサーラとその母親を救ってやりたい。それだけじゃ」
祐治は何も言い返せなかった。こんなに強い想いを無理やり押し止める権利は自分にあるかわからなった。
リルリーシャはその沈黙を了承と受け取ったようで、ふらふらと木々を支えにしながら歩いていき、指笛を吹いた。闇の奥に潜む魔獣はこちらに感づいたようで、姿は見えずとも祐治も何か強大な存在が近づいてくるのを感じ取れた。草を踏みしめ、枝を折る音がする。
「お主は下がっておれ。無駄に身を危険に晒すこともあるまい」
無駄、その言葉が祐治の胸に突き刺さった。確かにそうなのかもしれない。祐治から見てもリルリーシャの力は強大で、その彼女に対して意味がある手伝いができるとは思えない。こんな体に押し込められようとも、自分は普通の元学生でしかないのだから。だが、それで良いのだろうか。あの悲痛な叫びを聞いた今では、彼女の尊大な口調も全てただの強がりでしかないように祐治には思えてしまっていた。
「そんなこと……」
その瞬間、影が飛び込んできた。伝説の一角獣のような獣の影がリルリーシャに襲いかかる。甲高く金属が鳴り、祐治が見るとリルリーシャは両手に大小二本の剣を生成して、その角を押し止めていた。自分の体の2,3倍は大きな獣の突撃を受け止めながら、リルリーシャは平然と言う。
「魔角虎か……気にするでない。すぐに終わる」
リルリーシャはその獣、魔角虎の体を後ろに流した。魔角虎はすぐに転回し、木々を縫いながら2度目の突撃。角の分リーチが長いとは言え、結局は単純な体当たりとそう変わりはしない。それを避けるのも、併せて一太刀入れるのも、銃弾を弾けるリルリーシャにとっては容易いことなのだろう。角を避け、相手の勢いを利用して首を落とす。そんなビジョンが祐治には見えた。
しかし、衝突の直前、リルリーシャは糸を切られた操り人形のように体勢を崩し、その小さな体は簡単に串刺しにされた
「リルリーシャ!」
「あれ……? 祐治……逃げ……」
魔角虎は首を振り上げ、角を引き抜く。リルリーシャの体はゴミのように放り投げられ、鈍い音を立てて地に落ちた。そして、魔角虎は次の標的を祐治に定めたようだった。ゆっくりと祐治との間合いを詰めてくる。
以前に祐治が見た獣で間違いなかった。真っ黒い毛皮に包まれたその獣は存在自体が影のようだ。角に目を引かれてしまうが、ナイフのように手の先から飛び出る爪も脅威だ。この手なら引っかくというより、斬りつけるという表現の方が正しいだろう。獣の斬撃を受けたら体も簡単に真っ二つにされるかもしれない。
祐治はジリジリと後退しながら考えを巡らせる。人をこんなことに巻き込んでおいて逃げろとはなんて自分勝手なのだろうか。きっと自分で全部済ませるつもりだったのだろうが結局は無理だったではないか。やっぱり誰かが止めるか、それが無理なら助けてやらなくてはならないのかもしれない。
背中が木にぶつかる。祐治の意識が一瞬木に移り、その瞬間を魔角虎は見逃さなかった。一瞬で距離を詰め、襲いかかってくる。通常の人間なら反応もできずに、その鋭利な爪で裂かれてしまうだろう。だが、その動きが祐治には見え、転がるように避けた。
祐治の代わりに斬り裂かれた木には、斜めに4本の筋が入っていた。その深さからすると、まともに受けたら人間の背中の皮も繋がらないだろう。
リルリーシャの傷はどうかと祐治が視線をちらりと移すと、綺麗さっぱりいなくなっていた。今の隙にどこかに隠れたようだ。この森の中なら木の上か影か、どちらにしてもそんな風に動けるくらいには元気ということだ。祐治は少し安堵し、そして目の前の獣に現実に引き戻される。
祐治は魔角虎の様子を窺いながら考えを巡らせる。
助かるために戦うか、逃げるか。リルリーシャはまだそばにいるのだ。自分が逃げれば魔角虎は弱っている彼女を襲うかもしれない。そちらの方が分のある賭けではないだろうか。あのとき、魂が弾けるような衝動に突き動かされて死んだあのときとは違う。自分は冷静なのだ。彼女を見捨てて逃げるという手もある。
そんな風に生き延びた自分を想像して、その嫌悪感からかこの場の緊張からか祐治は吐きそうになった。
「2度死ぬくらい、何だって言うんだ」
浮かんだ選択肢を切り捨て、自分に言い聞かせるように祐治は呟いた。血色の瞳の魔女。そう呼ばれる彼女の瞳を一つもらったのだから、自分も魔女みたいなもののはず。もしそうじゃなければ死ぬだけだ。戦って死ぬのだ。逃げるなんて許されるはずがない。
「俺はいい子だったからな、多少わがままを言っても……今度は許してくれよ?」
魔法とは理を曲げて自分の意志を通す力だと彼女は言っていた。少なくとも見知らぬ女の子を助けようとしたときよりは、よっぽど明確ににこの感情は固まっている。反抗期も無く、そこそこ真面目に学校に通い、人を助けて死んだ立派な人間なのだだ。彼女を助けたいという意地くらい押し通させてもらわなくては困る。
「頼むぞ武器の一つくらい……!」
形なんて何でも良い。ただ獣を屠り、彼女を守る力が欲しい。そう願い、祐治は叫んだ。
祐治の右手の周りが光ると、一瞬でその武器は形づくられた。真っ白い手斧だった。4,50cmくらいのシンプルな柄の先に、台形型の刃が一つ付いている。
手斧、素人には単純に叩きつけるくらいしか用途が思いつかないその武器は今の祐治の理想とするものだった。素人の自分は何を持っても振り回すくらいしかできないのだ。それに獣相手ならば威力がありすぎて困るということもない。
「よし、来い!」
祐治は斧を持った右手を下ろし、低い位置で構えた。
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