第12話 夜逃げ
暗闇の中、暖かな光が辺りを照らしている。天井から吊るされた小さなランプとリルリーシャの治癒の光である。結局リルリーシャは方針を決めた後、多少休憩を取りながらとはいえ、今に至るまでずっとアンナを癒やし続けている。治癒の魔法が効いているのか、アンナは穏やかな表情を浮かべながら眠っていた。
その間、祐治はずっとベッドの前の椅子に座ったリルリーシャを地べたから眺めていた。正確な時間はわからないが、2,3時間は経っただろうか。愉快な時間ではなかった。そんな長い間、眼の前で少女が消耗し、疲れ果てるのを何もできずに見せられているのだから。祐治にも手伝う気がなかったわけではない。だが、その申し出もリルリーシャにはっきりと無駄だと言われ、自分もそれに納得してしまった。きっとサーラを癒やそうとしたときのように邪魔になるだけである。だとすれば、自分にできることをするしかない。祐治は自分にそう言い聞かせた。この部屋にいるのは病人であるアンナとリルリーシャ、祐治の3人だけではない。もう一人、カールが祐治の正面に座り込んで眠っている。リルリーシャは献身的に治癒を続けているが、彼の敵意が薄れているよう様子はなかった。それを監視するのが祐治が見つけた自分の役割だった。
魔女の首には懸賞金がかけられているという話が本当であれば、未だに襲ってくる可能性は無くなっていない。祐治は頭の中で何百回とシミュレートしながらカールの襲撃に備える。
一応カールは銃を抱いたまま眠っているが、起きた瞬間に撃つというのは不可能のはずだ。その間に距離を詰めて、先制攻撃しなくてはならない。この体ならおそらく間に合うがそのとき、初撃は拳がいいのか蹴りがいいのか。狙いはどこなのか。ふっ飛ばすことができるのか。そんなことを考えるくらいしかすることはなかった。
それだけが自分に与えられた役割のはずだった。しかし、不意に灯りが消えた。暗闇の中でリルリーシャが椅子から倒れる。こんな想定はしていない。しかし祐治の体は自然と反射的に動き、彼女の体を支えていた。
「リルリーシャ、大丈夫か!?」
「……ちょっと意識が飛んだだけじゃよ。うん、大丈夫。大丈夫じゃよ。大丈夫……」
そううわ言の言うリルリーシャの瞳は虚ろだ。祐治の顔は映っていないようであった。
「少し休めよ。……かえって効率悪いぞ」
祐治は何と声をかけたものか逡巡して、口から出したのはそんな冷たい言葉だった。こうでも言わないとリルリーシャが止まるようには思えなかった。
「効率? ふふっ、それだったら常にずっと癒やし続けるのが良いに決まっているじゃろう? ああ、ダメだな。ダメなの。私が助けてあげないと。ずっとずっと、こんな日を待っていたんだから。こんな力があるんだもの。絶対助けてあげる。絶対絶対絶対……
」
リルリーシャは祐治を振り払い、アンネに手をかざした。眩しいくらいの光が部屋を包み込み、輝く雫がリルリーシャの瞳から落ちる。彼女の素顔を見えたようだった。魔女の衣にずっと隠れていた臆病な少女の泣き顔を。
爆発するほどに光が強くなるとリルリーシャは再び倒れ、祐治がそれを受け止めた。完全に気を失ったようだ。
魔法は意志によって理を曲げ、その反動は精神にも影響を及ぼすという。リルリーシャから受けた説明だ。きっとその結果がこれなのだろう。精神を削って削って、出てきた彼女の本心だ。祐治の腕に力がこもる。
祐治は彼女を抱いたまま振り向いてカールの様子を伺う。カールはリルリーシャの異常に気付いたに気付かず眠ったままだ。祐治は安堵のため息を吐いた。こんな状況でカールに目を覚まされたら好機と見て襲いかかってくるかもしれない。そうなった場合、リルリーシャを守る自信は祐治には無かった。
祐治は迷うことなく逃げることを決心した。アンネの体はいくらかは良くなったようで安らかに眠っているし、元々夜明け前には去る予定だったのだ。多少早くなったとしても問題はないだろう。
「祐治様……どうしたの……?」
玄関を出ようとしたところで眠っていたはずのサーラが目をこすりながら尋ねてきた。
「……ちょっと予定が早まってな。今日は帰るよ」
「今から? 危ないよ……?」
半分寝ぼけてしまっているのか上の空でサーラが最もな疑問を返した。
「ああ、いや、薬の材料を取る関係でな、魔獣を狩ることを考えたら今からが丁度いいんだよ。うん、またな」
適当に言い訳を返し、祐治はそそくさと家を出た。止められはしなかった。サーラも魔女様なら大丈夫だろうくらいに考えてくれるだろう。自分だってこうやって目の前で倒れるのを見せられなければ同じ思いだったはずだ。だが、今はリルリーシャを少しでも安全なところに連れて行ってやりたい。丁寧に相手をする時間が惜しかった。
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