第10話 つぼみが二つ

 それにしてもかなりの無茶をしたものだなと裕治はサーラの華奢な体を見て思った。1人で森の中を倒れるくらいボロボロになるまで歩き、得体の知れない人間たちに会いに行くなんてそうそうできるものではない。それほどに母親を思う気持ちが強いのだろう。裕治は純粋に彼女を助けてやりたいと思った。父親もリルリーシャがいれば大丈夫だろう。

 ひとしきり泣いた後、サーラは袖で顔を拭いて前を向いた。


「……ごめんなさい。落ち着きました」


 それと同時に、ぐぅと彼女の腹の虫が鳴る。


「うぅ……すみません……」

「ずっと歩き放しであったのなら腹も減るじゃろう」

「何か食べられるものってあったか?」


 祐治はここで食べ物を見たことはない。祐治だけではなくリルリーシャも食事を必要としていないようだった。魔女ともなれば魔法によって生命を維持することができるというから仙人が霞を食べて生きるのと同じようなものなのかもしれない。


「無い。だがすぐ近くに果実のなる木があるからのう、取ってきてやろう」

「で、でもリルリーシャ様にそんなこと……」

「私もたまに食事を取りたくなっただけじゃ。気にするでない」


 そう言ってリルリーシャは立ち上げると、心なしか逃げるように早足で部屋を出ていった。

 リルリーシャが出ていくのを見送るとサーラが祐治に言った。


「……リルリーシャ様、優しいんですね」

「ああ、本当だな」

「それなのに、どうして魔女様たちは悪者扱いなんでしょうか。私には全然わからないんです」


 悲しげにサーラが呟き、ため息を吐いた。他人の苦しみを我が身に受ける聖女のようだった。


「さあな……俺にもわからないよ」


 祐治は銃を向けられたときのことを思い出す。あの男の瞳から伝わってきた憎悪は生半可なものではなかった。過去に因縁があるわけでもないのにあれだけの憎しみを他人に向けるなんて容易なことではないはずだ。彼女の家に行けば衝突することは確実だろう。リルリーシャは軽く引き受けてしまったが、本当に大丈夫なのだろうか。祐治は少し心配になった。


「……あの、祐治様。ちょっと、目を見せていただけませんか?」


 そんな不安も元気を取り戻した彼女には伝わらないのか、サーラは無邪気に言った。


「目?」

「はい。魔女様の瞳です」

「ああ、これね……」


 多分自分を魔女足らしめているこの瞳。魔女に救いを求めに来た彼女が興味を示すのも当然のことだろう。祐治は立ち上がると髪を掻き上げて、ベッドの上に身を乗り出すようにサーラに顔を近づけた。


「ありがとうございます」


 サーラの大きな瞳がじっと祐治を覗く。瞳を見せる以上、目を逸らすことも出来ずに、祐治もサーラを見つめる。パッチリとした瞳に長いまつげ。こうして見ると大分可愛らしい。リルリーシャの現実離れした不思議な魅力とは異なり、平凡な雰囲気でありながらもかなりの美少女だ。子供とはいえこんなに間近で見つめられてしまえば気恥ずかしくもなってしまう。


「真っ赤ですね」


 少女の言葉が祐治の頬をくすぐった。自分の顔のことを言われているのではと一瞬どきりとした。


「確か……血色って言われてるんだっけ?」

「そうですね。でも、王女様が付けている宝石も真っ赤だって聞きました。宝石の瞳です」


 リルリーシャの瞳を初めて見たとき、同じ印象を持ったのを祐治は思い出す。確か口には出せなかった。


「それリルリーシャに言ってやってくれよ。多分喜ぶから」


 同じ目を受け取った自分よりも、全くの他人からの方が真に迫って聞こえるだろう。それに、祐治にはそんな恥ずかしいセリフを言う自信はなかった。


「はい……でも、さっきは一回も目を合わせてくれませんでした。リルリーシャ様の目もじっくりと見られたら嬉しいんですけれど……」


 サーラが悲しそうに言った。


「まあ、リルリーシャは……人見知りの気があるみたいだからな」


 祐治はサーラを慰めるために適当に言った。怖がっていると言うよりはお互いのためになるはずだろう。


「誰が人見知りじゃと?」


 声の方向を向くと、リルリーシャが水辺で遊ぶ乙女のようにローブの裾を持ち上げながら睨んでいた。ローブは彼女の膝のあたりで折り返されおり、その底はパンパンに詰め込んだポケットのように丸い形が浮き出ている。

 リルリーシャはベッドまでそのまま近づくと、地面に座り裾を離した。拳程の大きさの赤い果実がローブから転がり出てくる。


「ず、ずいぶん早かったんだな」

「すぐ近くじゃと言ったろう? で、誰が人見知りなのじゃ?」

「……リルリーシャが」

「ほほう、なるほど。面白いことを言うな」

「違うんですか?」


 サーラが不思議そうに口を挟む。今までのリルリーシャの態度からサーラは祐治の言葉を鵜呑みにしたようだった。


「違うわ! お主たち私をバカにしているのか!?」

「じゃあ、サーラに目を見せてやれよ。魔女様の瞳をじっくり見たいんだとさ」


 その言葉にサーラはぶんぶんと何度も首を縦に振った。


「そうなんです! 祐治様の目も綺麗だったけれど、リルリーシャ様のもじっと見てみたいんです。いいですよね?」


 サーラはベッドから身をより出してリルリーシャに顔を近づける。恋をする乙女のように澄み輝いて、情熱的な目だ。リルリーシャは怯えるように顔を反らして、手で視線を遮る。


「……や、嫌じゃ……」


「えー、どうしてですか?」


 サーラは手を避けるように体を左右に揺らす。


「どうしてもじゃ!」


 リルリーシャはそれに合わせて腕を振り、的確にサーラの射線を切る。サーラも負けじと更に体を揺らす。傍から見るとじゃれあっているようだ。とても平和的な、心が安らぐ光景であった。まるで楽園で戯れる乙女たちのよう。


「だから……もう……やめよ! 嫌だと言っているじゃろう。全く……」


 リルリーシャは呆れるようにため息をつくとまた立ち上がった。


「どこに行くんだ?」

「水を汲んでくるだけじゃ」


 そういうリルリーシャを止める理由は祐治には無かった。確かに水は大事だ。この果物も外側を洗った方がいいだろうし、すっかり気が回らなかったがサーラにも飲ませてやらなくてはならない。自分よりよほどしっかりしているリルリーシャに感心すると同時に自分の至らなさに祐治は軽い自己嫌悪を覚えた。


「……リルリーシャ様、可愛いですね」


 そんな心も知らずにサーラが呟く。祐治は同意する気にはならなかった。




 その後にリルリーシャが持ってきた果実を食べたが、まさに赤くつるつるした皮のその果実はりんごそのものだった。植生とかも現代とそう変わりはないのかもしれない。祐治は久しぶりに口にした食物を楽しみながら、一人でそう結論付けた。

 やがて食事が終わる頃にはすっかり辺りは真っ暗になっていた。リルリーシャと祐治は僅かな明かりでも十分視界を確保できるが、サーラはそうもいかない。そうでなくとも彼女を休ませないとならず、サーラの家に向かうのは翌日にすることとして早々に眠ることにした。


「さあ、祐治様。早く寝ましょう?」


 暗闇の中、ベッドの縁に2人は並んで座っていた。サーラがベッドで寝ることは祐治に異論はない。倒れるほど疲労した少女を床で眠らせるつもりはなかったがこんな状況は想定していない。


「……えっと、そういうつもりは無いし、リルリーシャも何で俺のベッドで寝ようとしているんだ?」

「流石にこんな子供を床で眠らせるわけにはいかまい。だが、こやつが一緒に寝るのなら私もいいじゃろう。机で寝るのは疲れるのじゃぞ?」


 古びているとは言え、天蓋すら付いていた立派なベッドで祐治が寝る一方、リルリーシャはいつも彼女の書斎で眠っていた。ベッドはない。それを手放しで受け入れられなかった祐治は、自分は床で寝るからとベッドを明け渡そうともしたのだが、リルリーシャは首を縦に振らなかった。その時はベッドより机の方がよく眠れると言っていたが、それなのにである。

 祐治はまだ易しそうなサーラから説得することにした。それに論理的にもサーラが1人で寝るのならリルリーシャも身を引く気がした。


「……なあ、見知らぬ男と同じベッドで寝るってどういうことかわかっているのか?」


 サーラがまだ子供とはいえ、未就学児というような年齢では確実にない。確実に倫理的な問題が生まれてくるくらいの歳だ。


「はい。でも、祐治様がその気ならどこで寝ても同じですよね。魔女様には敵いませんから」

「一緒に寝ることでその気になるって可能性もあるだろ?」

「そのときは……いいですよ。お母さんを助けてくれるなら、それくらい喜んでします」

「させぬからな。そんなことは」


 反対側から横槍が突き刺さった。とても面倒臭いことになりそうだ。


「決めたぞ。今日は絶対にお主と眠るからな。私の前でそんなふしだらなこと、絶対に許さんからな」


 やれやれ、困った子たちだ。クールぶってそんなことを心の中で呟いてみても意味はない。開花前とはいえ両側から花に挟まれながら熟睡できるほど人生経験を祐治は積んではいなかった。


「じゃあ、3人で一緒ですね。魔女様たちと一緒に眠れるなんて嬉しいです!」


 暗闇の中サーラは屈託のない笑顔を浮かべ勝手に話をまとめようとする。このまま本当に一緒に眠ることになってしまいそうだ。いや、眠れないのかもしれないが。


「待て。待ってくれ。その、何というか…ああ! サーラとリルリーシャが一緒に眠ればいいだろ! 俺は別にいらないだろ!?」


 祐治に突如完璧なアイディアが閃いた。

 祐治とリルリーシャ、どちらが本当の魔女かと言ったら、間違いなくリルリーシャだ。となれば、リルリーシャさえベッドで寝ていればサーラは彼女の崇拝する魔女様のベッドを奪ったことにはならず、リルリーシャもサーラを近くで見張っていれば彼女が懸念するような自体にはならないだろう。隙の無い論理である。


「それは……嫌です。やっぱり3人ですよ」

「嫌じゃ。どうして私がこやつと2人で寝ないといかんのじゃ」


 2人は意思疎通を図っていたかのように同時に祐治の腕を掴んだ。小さくて柔らかい手だ。年下の姉妹たちに甘えられているように錯覚してしまうそうだ。


「もう寝ましょう? 明日は早いんですよね?」

「そうじゃぞ。睡眠は精神に影響するからな。その体でも寝不足は辛いぞ?」


 もはや彼女たちに人間の論理なんて通用しない。自分の意志をわがままに押し通し、人を誘惑する小悪魔と化しているのだ。祐治だって本心では嫌なわけではない。それを最後の一線で押し留めているのは現世での常識であった。


「だけど、普通に考えて会ったばかりで一緒に寝るなんて……」

「よし、わかった。サーラ、お主が床で寝ろ。私なら数日経っているし問題なかろう」


 祐治が口に出せなかったことをリルリーシャはすっぱりと言い放った。自分の前の言葉を完全に否定しているのにも気付いていないようだ。


「え!? 私が!? ……いえ、そうですよね。ごめんなさい。魔女様たちがあまりにもいい人で、調子に乗っちゃっていました。その、一人で眠るのが怖くて……」


 サーラはしょんぼりとそう答え、ベッドから降りようとした。だが、常識的に考えると来客の女の子を床で寝かせることも祐治にはできない。きっとこのまま言い争いを続けても朝まで終わらないだろう。


「……わかったよ。もう好きにしてくれ」


 祐治はベッドに上がると2人から少しでも離れられるように奥側の縁で横になった。こちら側は壁に面している。仮に寝返りを打つなりして寝ている間に接触してしまうことがあっても片側だけならリスクは小さいはずだ。祐治は物言わぬ優しい壁に身を預けた。


「何をしておる。私をこやつを隣にする気か」


 リルリーシャは祐治の体を乱暴に引きずり、中央へ寄せる。壁に伸ばした手はその表面を滑り、彼女は祐治の体をまたいで壁との間に入る。物言わぬ優しい彼とのつながりは容易く引き裂かれたのだった。


「じゃあ、私はこちらですね」


 サーラも続いて祐治を挟んでリルリーシャと反対側で横になる。完全に挟まれて危険な状況だ。

 祐治は覚悟を決め、考えるのをやめた。

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