第3話 同棲生活0日目

 山口さんが自分の部屋に戻った後、俺は息をついた。


「怒涛の1日だったな……」


 いつものように残業をし、家が燃え、上司の家に泊まっている。

 大半の人が人生で一度も経験しなさそうなことを、一夜にして経験してしまった……。


 今までは自分のことをどうとも思わなかったけど、もしかしたら特別不運な人間なのじゃないかと思ってきた。


「ひとまず着替えを用意しないとな」


 自分の不運を嘆いても仕方がない。今はやるべきことをやらなければ。


 服は今着ているオフィス用の服しかない。

 上着は着回せるが下着は流石に変えたいので、それだけでも買うぞ。俺はノーパンでは生きられぬ。


「連絡は……書き置きしておけばいいか」


 メモを書き残しておく。もちろん山口さんと何かメッセージアプリで繋がっているわけがない。

 でもなんだろう。この夫婦感。メモを書くって幸せなことなんだね。


 馬鹿なことを考えながら、俺は知らない街に出た。





 下着類を買ってマンションに戻る。

 俺が住んでいるところよりも都心ということもあってか、ちょっとワクワクした。家が燃えたのに呑気なやつだな俺。


 マンションの入り口で先ほどまでいた部屋番号をタッチすると、部屋にインターホンがつながった。


「あがくん?」

「あ、阿賀です。お手数おかけしますが、開けていただけますか?」

「うん」


 うんって言った。課長。うんって言った。なにそれ、山口さんそんなキャラでしたっけ。なんか心なしかふわふわしてる。

 夜も更けていて眠くなっているのかもしれない。普段はキリッとした姿しか見ていないので、ちょっと新鮮だ。


 エレベーターで上がって部屋に着くと、山口さんが出迎えてくれた。


 部屋着だ。ふかふかしてる感じのやつ。シロクマみたいになってる。というかシロクマの耳がフードについてる。なんだこの生き物。


「おかえりなさい。道は大丈夫だった?」

「ちょっと迷いましたけど、むしろ楽しかったです」

「?」


 山口さんは疑問符を浮かべながら部屋へ向かい入れてくれた。

 眠くなると感情がまっすぐ出るタイプなのだろうか。


「あがくん、先にお風呂入る?」

「いえ、居候の身なので先に山口さんが入ってください」

「うん」


 うん出た。目の前で見ると威力が高い。


 山口さんはとことことお風呂場の方へ歩いていった。

 妹の小さい頃と似てる。


「ちなみにおふろあがりのコーヒー牛乳は冷蔵庫に常備してあるから」

「そ、そうなんですね……」


 謎のアピールをされた。ぐっとサムズアップされた。俺の知ってる山口さんじゃない。かわいい。


 それ以上立ち話していても課長が寝てしまいそうだったので、課長をお風呂場に送った。

 そしてリビングのソファに座る。


「ふぅ……」


 部屋着になった山口さんは明らかにネジが緩くなってる。

 仕事で張り詰めている分、家ではリラックスするタイプなのだろうか。


 いつも自分を残業にしている上司が同じ人間だと思うと、微笑ましくなってきた。課長も課長で頑張ってたんだなあと思うと、むしろ嬉しい気持ちもある。

 オイラって変態なのでしょうか。


 でもすごいのは、山口さんのイメージが全然悪くならないこと。

 こういう日常の山口さんと、仕事場での山口さんはどこか別のキャラクターのような感じがして、直接結びつけることが難しかった。


「まあ、誰だってそういうもんだよな」


 そういう俺はといえば、家では推しているアイドルの配信ばかり見ている。

 いつも残業でリアルタイムでは見れていないが、アーカイブだけでも見てニヤニヤするのが休みの楽しみだ。


「お、『にゃんジュース』の登録者数2万人いってる。売れてきたなぁ……」


 オタクとしての一面が俺にもあるから、先輩の知らない一面も受け入れることができたのかもしれない。


「よし、俺も課長がお風呂出てくるまでオタ活すっか」


 と、そんなことを思って携帯を開くと、一通のメールが届いていることに気がついた。


「?」


 仕事用のメールアドレスに届いていたので山口さんかと思ったが、よくよく考えると一緒にいるのにメールを送る意味がない。


 何か問題でもあったかなと急いで開くと、そこには課長以外からのメッセージが表示されていた。


『先輩、大丈夫ですか……? 先輩が住んでいたあたりで火事って聞いて、もしかしたらと思って連絡しました。お手数ですが、無事だったら一言連絡いただけると嬉しいです』


 メッセージの送り主は、会社の後輩である星崎ほしざきだった。

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