間違いが見せてくれる豊かな世界。広瀬友紀『子どもに学ぶ言葉の認知科学』
2017年の広瀬友紀『ちいさい言語学者の冒険』は、子どもの言い間違いを「言語について探究するプロセスで推測をした結果のエラー」とポジティブに捉えて、僕たちが普段気づかない言語のルールについて深掘りするという、とても面白い本だった。その著者・広瀬友紀さんの新刊が、この7月に立て続けに出ている。僕はこの夏にどちらも読むつもりだけど、まずは『子どもに学ぶ言葉の認知科学』の方からブログに感想を書いておこう。
続・『ちいさい言語学者の冒険』?
本書はもともと、webちくまに連載していた「宿題の認知科学」をベースに大幅に改稿したもの。だから、連載タイトルが示すように広瀬さんのお子さんのテストの珍回答がたびたび登場する。お子さんの間違いがマクラや呼び水になって、言語の奥深い世界を見せてくれる構成は、基本的には『ちいさい言語学者の冒険』と同じだ。そういう意味であの本の続編と言えなくもない。ただ、対象年齢や切り口の違いもあるし、前著よりも「間違い」そのものよりは人間の認知の仕組みにまで踏み込んだ記述が多めなように思う。
おもしろ言葉ネタから、認知の仕組みの入り口まで
例えば、本書では鏡文字や漢字の書き取りミスについての章(第2章)があるが、もちろん本書は「こんなミスがあって面白い」では終わらない。子どもの漢字の覚え間違いには、漢字の字素=パーツ(部首や音符など)そのものの向きが定着していない場合もあれば、パーツは正しく書けてもそれが正しく配置できない場合もあること、そして、そもそも人は対象をどう認知しているのかという点にも話は及ぶ。この辺の話で印象的だったのは、もそも人間の視覚認知は、向きに関係なく同じ形は同じものとして認識するのが基本で、鏡文字もある意味で自然なありようなのだ、という指摘である。つまり、書くことを学ぶとは、人間が持つ「左右の向きの違いに関係なく形を認識する」能力を、文字を対象とした時だけ捨て去ることを学ぶと解釈できるらしい。なるほど、人間の元々の認知の仕組みからすれば、ずいぶん特殊なことをやってるんだなあ。そりゃあ、間違えるわけだわ….。
この例のように、本書の面白さは、間違いに端を発する言葉の面白話から始まって、人間の認知の仕組みの一端をのぞくところまで連れて行ってくれることにある。他の章では、この手の話での鉄板である語用論の話(第6章)ももちろん面白い。特に、二等辺三角形の中に正三角形を含めない見方は、理系の人からはよく「間違い」視されがちだけど、グライスの会話の公理から言えば妥当なのだとも指摘してて、「正三角形は二等辺三角形に決まってるじゃん!」と思いがちな自分としては、なるほどそうだよねと納得した。また、第3章で英語と日本語における関係節の扱いの違いの話から始まって(この話自体が、日英の比較言語ネタとして面白い)、では、日本語のある関係節に複数の解釈可能性が生じたときに、人間はどちらの解釈を認知的コストが軽いものとして採用しやすいのか、という実験の結果など、とても興味深かった。ここから、人間が言語の意味を理解するときに何を「コスト」として考えるのかもわかるんだなあ…。こんなふうに、言葉の面白ネタから言語の認知科学に「ちょっと」ふみ込むあたりの匙加減が入門書としてとても良い。興味を引いて、あとは文献案内に引き継ぐ感じ。
ちょっと脱線。体育館=たいくかん?
ところで、本書の第5章、音声知覚の話に関連して、読んでいるうちに気になったことが出てきたので、脱線だけどここに書いておく。第5章では、ジャンケンをしてグー=グリコ、チョキ=チョコレート、パー=パイナップルとして、その数だけ階段を上に進める遊びについてちょっとだけ言及されていた。筆者は、チョコレートは5拍なのに6歩進む扱いになっていたことに違和感があったようなのだけど(p161)、ここを読んで、僕も同感だったのを思い出した。だって、グリコ=3歩、チョコレート=6歩、パイナップル=6歩だったら、チョキとパーで同じ歩数になるからゲームとしてのバランスが悪いように感じて….(実際どうかは知りませんが…)。チョコレートは5音なんだし、チョキは5歩が正解じゃないの?と思っていたのだ。
ちなみに妻は、このゲームは音数をカウントしているのではなく、文字数をカウントしているのだ、と説明していました。階段の一歩が一文字を書くに相当する。なるほど、それならチョコレートも6文字だから、6歩になりますね。ちょうど先週、風越で俳句の授業をやっているんだけど、チョコレートの音数を6音と数える子も少なくない。これ、このジャンケンの影響じゃないかなあ?
そして、この話をTwitterで呟いたところ、雑談はさらに脱線し、「体育」を「たいく」と読む不思議へ。確かに、「体育」は「たいいく」なのに、「たいく」と発音する人が少なくないですよね。特に、「体育館」は多数が「たいくかん」と発音する気がする。この省略はなんで起きるんだろう、「いい」と母音が連続するからかな?
そう思って他の用例を考えたのだけど、大奥(おおおく)、退院・隊員(たいいん)、憂鬱(ゆううつ)、飼犬(かいいぬ)、会員(かいいん)など、いずれも「体育」のようには省略されない。例えば「会員(かいいん)」は後ろに「証」が着くと「かーいん(しょう)」と「かーいん」化するが、「体育館(たいくかん)」のように音の数が減る(「かいんしょう」になる)わけではない。結局よくわからなかったのだけど、なぜ「体育」だけ音の数が減るのかな? どなたか教えてください…。
間違いが見せてくれる豊かな世界
とまあ、この本から離れて脱線してしまったけど、読んでるうちに言葉が気になるモードになり、こういう脱線をしてしまうのも、結局はこの本の面白さなのだ。文法、文字、構文、音声、語用論、心的辞書と、言語に関する広い範囲をカバーしているので、国語教師のみなさんはもちろん、言葉に関心のある人なら、どこかヒットするところが必ずあるはず。
個人的には、「間違い」が見せてくれる豊かな世界を久しぶりに楽しんだ読書だった。教師は研究者じゃないから、間違いに対してそうそう寛容でばかりもいられない(訂正をしないといけない)立場ではあるけど、でも、間違いを通して見えてくるその子の頭の中の「正しい」理屈、ちゃんと見られるようにしたいな。この前読んだ今井むつみ先生の算数の本(下記エントリ参照)にも言えるけど、目の前のエラーから、その子がどう考えて、何につまづいてるのかも、もう少し解像度高く、好奇心を持って見られたら、と思う。
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