第2話

0worldラブワールド接続完了』


 機械的な音声が流れそっと目を開けると、アイボリーで統一された部屋が視界に飛び込んできた。仮想世界0world、通称ラブワ内のマイルームだ。上司に命じられたテストプレイは、ラブワ内で動かすゲームソフトの一つとなる。

 部屋の中央に立つ自身を認識したわたしは、すぐに右に立て掛けられた姿見に目をやった。


「ふむ」


  曇りない鏡面に映るのは、柔らかい金髪を持つユニセックスな子供だ。ふわふわの白い服、白い肌を持った十代前半くらいの子供だが、頭上にはにょっきりと二つの角が、臀部には尖った黒い尻尾が生えている。天使と悪魔のコラボしたようなルックスを持つ、わたしのラブワ内でのアバターだ。うん。カワイイ。見た目の二面性が内面の二面性を想像させて、二度美味しい。滾る。

 外見チェックを終えて満足すると、薄褐色の本棚から徐に一冊の本を手に取った。表紙には会社指定のソフトである【私立KK学園ラブライフ】の記名がある。指定のログイン時刻までまだ時間があるはずだ。わたしはツルツルと手触りの良い本を開き言った。


「ダイジェスト閲覧、最初から」


  するりと開いたページの上に少女の立体映像が浮かび上がる。KK学園での『藤堂 円架とうどうまどか』だ。

  わたしはベッドに凭れ、楽し気に跳ねる制服姿の少女をじっと見詰めた。






  ※ ※ ※

  モダンな赤壁の大きな建物が前方に見える。わたし・・・はその建物まで続く道の途中に立っていた。ぱちくりと瞬きしてから納得する。そうか。ここがゲームのスタート地点って訳ね。

 テストプレイ初回、わたしはもう一人のテストプレイヤーと一緒にログインを果たした。けれどスタート地点はばらばららしい。

  わたしは自身の身体を見下ろした。キャラメイクは事前に完了している。何はともあれ装備の確認だろう。

  身に付けているのは細いフレームの眼鏡、制服。チャコールグレイのブレザーにグリーンのリボン、スカートは途中からプリーツが入っていてお洒落なデザインだ。でも防御力は外見と直結する訳ではない。

 わたしはまずスカートのポケットに手を突っ込んだ。出てきたのはクリーム生地にワンポイントの入ったハンカチのみ。次に胸ポケット。こちらは学生証が出てきた。高校時代のわたしとよく似た顔立ちの少女の写真が貼られている。リアルのわたしをスキャンして自動的に作成オートメイクされたアバターから大して弄ってないんだから、そりゃ昔のわたしにそっくりになるはずだ。

  そして本命のバッグだ。わたしは革製の黒い学生鞄を開ける。道行く同校生らしき学生達がじろじろ見てきたが気にしない。座り込んで広げている訳じゃないんだから、どう思われても気にしない。勿論必要ならいつでもどこでも鞄漁りくらいやる。


「教科書が歴史、数学、文学、英語……栄侵!? これって月刊誌じゃなかったっけ? スポンサーかしらね。それと筆記用具、モバイル端末。メモ機能と通信機能と……あ、お金もそれなりに使えそう。後は猪のマスコットっと」


  鞄の横で揺れる茶色のマスコットをピンと弾く。この子はサポーターだ。人のいない所でだけ現在の状況を教えてくれたりアドバイスしてくれる、らしい。

  こんな所か。鐘の音が鳴り出した。そろそろ学校に向かった方がいいだろう。前方にある建物が、今回の舞台となる『私立KK学園』のはずだ。

  わたしは顔を上げると、戦場に向かう勇者のような心持ちで足を踏み出した。そんな私の耳に、無機質な声が流れ込んでくる。


『プレイヤー鷹村理人、陥落かんらくしました』




  ──────は???






 さっきの音声は一体なに。わたしは自分のクラスらしい騒がしい教室で、自分の席と思われる机に座り首を傾げた。

 鷹村さんというのは他部署の先輩で、今回わたしと同じくテストプレイのためにこの【私立KK学園ラブライフ】にログインした。まだ出会えていないが、合流してチームを組んで協力プレイをするものだと思っていた。でもさっき『陥落』って……え? なに ログアウトしちゃったの? それとも序盤に強敵に殺られる強制イベントにでも遭遇した?


「さて。授業を始めますよー」


 わからない。考えてもわからないことは、まあ後回しでいい。思考を一旦放棄して、教室前方で声を上げた推定担任を見る。

 あ。攻略対象その一見つけたわ。




 このソフトはソフト名からわかる通り、所謂恋愛ゲームだ。プレイヤーの深層心理チェック等を踏まえ、複数人の攻略対象がAIにより自動設定オートメイクされる。

 黒板前に立つ攻略対象その一である教師は、推定二十代半ばの男性で、黒髪長身、爽やかな顔立ちのイケメンだ。恐らく女子生徒にきゃーきゃー言われるだろうルックスで、実際周囲の女子生徒がこそこそひそひそやっている。ただわたしの第一印象を言わせてもらうと、どちらかというとマイナス方向。直観だけど恐らくコイツ、わたし達と一線を画して絶対に自分の領域には入れないタイプな気がする。いわゆる信用には値しないタイプ。

 とりあえずこのままだと先入観で偏ってしまう可能性が高いので、第一印象は留意しつつ、一旦彼に対する分析は保留にしておいた方がいいだろう。


「授業は歴史、数学、文学、英語、時事の分野を進めます。毎回小テストをやるから気張って下さいねー。テストの結果次第では、今後に有利な特典が付くかもしれませんよ」


  それであの教科書だったのか。特典ってパラメーター強化とかかしらね。良い結果を残しておいて損はなさそうだ。


「じゃあ始めます」


  号令と共に目の前に薄くブルーの入った画面が浮かび上がる。軽快な音楽が流れ始めると同時に、文字が浮かび上がってきた。


『問一 赤と黄色のギフトボックスがあります。二つ買うと五百二十円です。赤は黄色より六十円高いです。黄色のギフトボックスはいくらですか』


  高校生らしからぬ単純な計算問題だ。わたしは苦笑した。えっと五百二十円を二で割って、同じく六十円を二で割った数をマイナスさせるんだから。うわっ! 制限時間あるんじゃない。

  慌てて答えを入力すると、ピロンと音が鳴って次の問題が表示された。次は文学、歴史、また数学、英語とランダムに出題される問題に答えていく。正否はわかるが、正答は出ない。また難易度も結構バラバラだ。

  計十問、今回時事問題は出なかった。途中で鞄の教科書が参考になるんじゃないかと気付いたけれど、それほど難易度が高くなかったのと制限時間が短いこともあって、結局机上に出さずに終わった。次は最初から出しておいた方が良いかしらね。


「はい終了です。答えは各自教科書で確認して復習しておくように。通信機器で検索なんていう横着をしてはいけませんよー。背景や関連事項を確認するのも大切ですからね」


  この後は休み時間らしい。まあゲームで授業を延々とやられても仕方ない。さてどうしようか。


「円架ちゃん、テストどうだった?」


  クラスメイトの女生徒が親しげに話しかけてきた。どこにでもいそうな平凡な顔立ちの彼女は泣田紗枝なきたさえといい、正門で戸惑うわたしをクラスに連れてきてくれた子だ。栗色のショートカットにくりりとした目が大変可愛い。小動物みたい。抱きしめたいほっぺぷにぷにすりすりしたい。女同士だしゲームの世界だし、何の問題もないじゃない。ちょっと頼んでみようかしらええ何なら今すぐにでも。

  ただ、可愛いんだけど印象に残りにくい。そういう意味では周囲にいるクラスメイトも同様で、そう、先程教室を出ていった教師とは明らかに違う。画風が違うといか、与える印象の強さが全く違うのだ。だから先程もすぐに教師が攻略対象だとわかった。


「ねえねえ円架ちゃん、良かったら立木たちぎ君に話しかけに行かない? 今なら一人だよ」


  わたしの内心のあれこれ等は露知らず、無邪気に言われて見た先には、窓際で頬杖をついて座る短髪の男子高校生がいる。そしてやっぱりわかりやすい攻略対象その二だ。こう振ってきたということは紗枝ちゃんもまた、猪のマスコットとは別の意味でサポートキャラなのかもしれない。

 立木君と言われた男子生徒の斜に構えたような表情、鍛えているけどまだまだ少年の域を出ない薄い体つきを上から下まで見て、わたしは口腔内で舌を動かす。うん、ヤバイ気になる。とーっても気になる。だけどそれよりも。


「ゴメン紗枝ちゃん、わたしちょっと用事があるんだ」


  心の底から残念さを滲ませながら断ると、鞄のマスコットと端末を手に持ち立ち上がった。鷹村さんの状況を早めに把握したいし、自身のステータスも確認したい。何もわからず行動することも必要だけど、時には命取りになることもあるのだ。序盤から情報もなく見知らぬ敵との戦いに赴くのは、流石のわたしにも無鉄砲だとわかる。

  わたしはざわつく生徒の群れをすり抜けて、廊下を歩いた。わたしのクラスは二年四組で、突き当りの六組を背に歩くと一組から三組の区画とこちらを分断する廊下に出る。


「藤堂さん!」


  そこで立ち止まった時、男の子のどこか焦ったような声に呼び止められた。いかにも軟派な顔立ちにきりりとした眉が特徴的な、見たことのある男子生徒がこちらに向かってきている。


「えーと、もしかして鷹村さんですか?」


  小首を傾げて確認すると、突然彼に腕を捕まれ引っ張られた。痛い痛い!


「ちょっ! 何ですかいきなり! というかさっき何か変なメッセージ聞いたんですけどあれは!?」

「悪い! 詳細は後で話すから今は黙って付いてきてくれ!」


  常にない鷹村さんの態度に口を噤む。足早に廊下を進んだ彼は、一つの空き教室を見つけるとそこにわたしを連れ込んだ。乱暴に扉を閉めてやっとわたしの腕を離した彼は、疲れたように大きく息をつく。


「鷹村さん? こんな人気のない密室にわたしを連れ込んで、一体ナニするつもりなんですかねー?」


 並ぶ机の合間を縫って歩きながら胡乱気に鷹村さんを見上げてやると、扉に凭れた彼がわたしを見て大きく溜息を吐き、姿勢を正した。


「──悪かった。あいつに捕まる前にと急いだんだ。とにかく藤堂さんと話をするべきだと考えた」


  その口調に先程までの焦りは一切ない。完全に立て直したようだ。ふむ、あまりノってくれるタイプじゃない訳ね。鷹村さんとは数える程しか会ったことないので、まだ今一どういう感じで接するのが良いのかわからない。


「どうした?」

「いえ。わたしも鷹村さんと合流しようとは思っていましたけど、そんなに急いで一体何があったんですか?」

「……正門付近でいきなりゲームオーバーになった」

「は?」


  苦虫を噛み潰したような表情の鷹村さんが、ポケットから刀のバックチャームを出した。


「サポーター、話がしたい」


 鷹村さんの言葉で、無機物の刀がぶるりとその身を震わせ、机に飛び降りた。柄の部分で器用にバランスを取り、白い刀身を揺らす姿が妙に愛らしい。刀がもう一度ぴょんと跳び跳ねると、木机が硬い音を立てた。それと同時に薄いブルーの画面が浮かび上がり、文字が表示される。


『何をお聞きになりたいできる?』

「鷹村さん! 語尾が! 語尾が可愛いです!」

「……ああ、刀だから『斬る』か」

「え、『KILL』じゃないですか?」

「自社ゲームで物騒なこと言うな」

「物騒さは鷹村さんもあまり違いないじゃないですか。って言うか文字なんですね」

「音声にしたいなら一日始まる前か終わる前に、自室で設定を変えるか人型ひとがたにする必要がある。デフォルトは文字のみだが、間違いがないように音声と文字併用がいいだろうな」


 あれ? 鷹村さん何でそんなことを。不思議に思っていると鷹村さんがこちらを見た。


「キャラメイク前の導入部で説明があっただろう。聞いてなかったのか」

「勿論聞いてましたよ。それでサポーターに何を確認します?」


 流れるように笑顔で返すと、鷹村さんは片眉を上げた後、何も言わずに刀のキルちゃんに向き直った。


「ゲームルールの再確認と、俺の現状を把握したい」

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